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中国であって中国でない、超過密都市国家マカオ&香港

ヨーロッパの地味な小国、ポルトガルがひときわ輝いていた大航海時代。
マカオに到来したポルトガルは中国と交易するようになり、フランシスコ・ザビエルもマカオを拠点としてアジアでキリスト教の布教をおこなった。
マカオは19世紀からポルトガルの植民地となり、1999年に中国に返還された。
香港と同じく一国二制度の特別行政区であり、高度な自治が保持されている。

中国であって中国でない?
ほぼ独立国家同然で中国とは別国扱い、独自の通貨を持ち、国境では中国の出国スタンプが押される。

なんと左側通行。

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今まで見てきた中国よりも中国的。

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「マカオ」という名の響きから中国的なものはイメージしにくいが、住民の92%が中国語を話す漢族。
毛沢東の文化大革命による文化破壊を免れたこともあり、むしろ中国よりも中国的な文化が残っている。

面積、人口ともに板橋区と同じぐらいの規模のミニ国家。
ひとつの独立国としてみなした場合、人口密度は世界一。

マカオといえば、エッグタルト。

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こんなん、何個でもいけちゃいますよ。

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エッグタルトのルーツは、ポルトガルのパステル・デ・ナタ。
ポルトガルにいた時は、スーパーで安いパステル・デ・ナタをまとめて買って一気食いするのが日課だった。

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これはまさに、ユーラシア大陸の西端と東端をつなぐスイーツ。

エッグタルトさえ食えば、もうミッションコンプリート。
あとは宿探し。
この過密地帯で何よりも気がかりなのは、宿の敷地内に自転車を置くスペースがあるかどうか。
何軒か安宿をあたってみたが、自転車は断られた。
そして何かの間違いだろうか、エアコンなしのボロ宿でも250パタカ(3396円)と言われた。
自転車を置かせてもらえそうな中級宿、中国だったら100元(1669円)前後のレベル、をあたってみたら、900パタカ(1万2227円)と言われて腰を抜かした。

マカオは高いとは聞いていたが、これは異常だ。
地価の高騰のため、事前に収集した情報より数倍に跳ね上がっている。

こうなったらもう、とにかく最安宿を選んで、自転車は強引に入れさせてもらうしかない。
と思ってやって来たのがここ。

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皇宮旅館 = The Imperial Palace Hotel
その華やかなネーミングとは裏腹に、中に入るとそこはまるでカンボジアのトゥール・スレン強制収容所のように陰鬱で、暗くて狭くて息苦しい。

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窓なし、エアコンなし、Wi-Fiなし、トイレ・シャワー共同(めちゃ汚い)で、なんと170パタカ(2309円)。
この、プライスとクオリティのギャップは過去最大ではないか。

ここは中国ではないので外国人宿泊拒否のルールはない、むしろ外国人しか泊まりに来ないであろう。
Wi-Fiは見つけられなかったので未確認だが、ネット規制もないはず。

中心地には、ポルトガル時代のコロニアル風の建物が残っている。

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マカオといえば、カジノ。

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すごく、ケバケバしいです。

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皇宮旅館は純粋に寝るためだけなので、寝る時間になるまでは外ですごす。
とても蒸し暑いので、エアコンのきいた高級デパートに入ってエスカレーターを昇ったり降りたりを繰り返す。
カジノの中も、1階ロビーぐらいだったら軽装で入っても問題ないみたいなので、特にやることもなくひたすら涼む。

マカオは1泊が限界。
2泊以上する気にはとてもなれない。

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マカオから直線距離で65kmほどにある香港へ、船で行く。
カーフェリーではなく高速ボートで、基本的に人のみの搭乗。
とても自転車を乗せられるような感じではないが、確認してみたら自転車の持ち込みもOK。

チケットカウンターから乗船まで、ことごとく車輪を拒絶するつくりになっており、階段が次々に立ちはだかる。
僕の自転車は担いで一気に運び上げることは不可能なので、階段が現れるたびに荷物をはずして、複数回に分けて運び上げる。

やっとこさ、乗船。

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マカオと同様、香港も中国とは別国扱い。

下船後もまたいくつもの階段を越え、イミグレーションを通過して、いざ香港入国。
と、そこはなんとデパートの中、しかも3階。
デパートの中に荷物満載の自転車を持ち込んで歩いている人なんて、見たことありますか?
まあどこでもいいけど、せめて1階にしてほしい。
エレベーターは狭すぎて乗れないので、エスカレーターで階を下りるごとにまた荷物をはずして担ぎ下ろして、ようやく外に出れた。

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香港も左側通行。

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ようやくせいせい走れると思いきや、、、
香港も超過密都市で、車道を走ると2階建てバスや2階建てトラムがスレスレまで迫ってくるし、歩道は階段や歩道橋だらけのため荷物をはずして担ぎ上げなければならない。
都市のつくりが、自転車という乗り物を完全に拒絶している。

なんと、香港の都市部は自転車の通行が禁じられている(商用を除く)、と後になって人から聞いた。
自転車通行禁止の都市なんて、初めてだ。
僕は知らずに来てしまった。

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香港は、「アンチ中国」で成立しているような国。
自転車なんてものは中国人の乗る野蛮なもの(二昔前ぐらいのイメージ)で、文明人である香港人はトラムや地下鉄で移動する、とか。
しかし、今や中国では移動手段として自転車に乗る人は少数だし、香港では郊外でロードバイクなどを乗りまわすのが金持ちの道楽となっている、とか。
そういえば、僕の知り合いの香港人女性は、生まれてから一度も自転車に乗ったことがないと言っていた。

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イギリス植民地時代からアジアの金融物流の要所として発展してきた香港。
世界で最も競争率が高いといわれ、高層ビルの集積率はマンハッタン以上で世界一、オフィスを構えるのに必要な費用もマンハッタン以上で世界一。
富裕人口の多さも世界有数。

しかし、近年の中国による支配強化とデモ騒動、そしてコロナの影響で、現在の状況は相当揺らいでいると思われる。

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面積も人口も、東京都の半分ほど。
自転車を入れさせてくれるような宿はなさそうだ。
そしてここも、超絶物価高。
頼みの綱として、日本人宿へ向かった。
事情を説明すると、無事自転車を入れさせてもらうことができた。

しかし、ベッドの下に自転車を置くなんて、後にも先にもこの時だけだ。

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中国が清という弱小国だった19世紀。
当時世界最強であったイギリスは貿易赤字解消のため、インドで生産されたアヘンを清に強引に売りつけた。
アヘン中毒にされた清はイギリスに反発し、アヘン戦争勃発。
当然のごとく清はボコボコにやられ、香港を奪われた。
以来、香港はイギリスの植民地となり、1997年に中国に返還された。

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人口の92%が中国語を話す漢族。
中国人も香港人も、元は同じ民族。
しかし、清から中華民国、そして中華人民共和国となって共産党の一党が独裁支配する中国と、150年以上もイギリス領であった香港は、あまりに違う道を歩んできた。

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返還から50年、つまり2047年までは一国二制度として高度な自治が認められることになっている。
が、そんな約束が守られるはずもなく、当然のごとく中国は香港の支配を強化してきている。
いや、中国としては奪われたものを元に戻そうとしているだけだから、悪いことをしているなんて考えはないだろう。

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民主主義国家の立場からすると、香港の一連のデモは、自由と人権を守るための正義の戦いだ。
しかし中国側から見ると、かれらは秩序を乱す暴徒あるいはテロリストでしかなく、武力を用いて鎮圧するのが正義である。
歴史上ずっと繰り返されてきた、支配せんとする者と支配されまいとする者の戦い。

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そして、すでに形勢は逆転している。
中国本土で香港と隣接している深圳は、BATHを始めとする巨大企業が本拠を置き、中国全土からエリートが集まって新しいことをバンバン始めて、今や世界最先端のハイテク都市となっている。
2019年、ついに深圳のGDPが香港のGDPを超えてしまった。
今の中国にとって、香港は是が非でも欲しい価値あるものではなく、同化させるべき一都市にすぎない。

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ここもケバいな。

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香港から飛行機で台湾へ。
空港までは、電車やバスなら簡単に行けるようだが、自転車の場合はまたいくつもの障害が次々に立ちはだかり、困難を窮める。
フライトは夕方で、朝一番に出発したのだが、わずかな距離なのに一日かけてもたどり着くことができず、これでは乗りそこねてしまう、と結局最後の最後でタクシーに助けてもらった。
空港でも、自転車や荷物に対する許容が非常に厳しく、チケット代の何倍もの法外な超過料金をとられた。
香港は、自転車で来るところではなかったようだ。

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