世界最大の物体エベレストを見に行く、そして直後に襲ってきた恐怖の高山病
エベレストを見たい!
首都カトマンズを拠点として、サガルマータ国立公園内を歩く「エベレスト街道」と呼ばれるルートがある。
しかし残念ながら、自転車での通行はムリがあるようで、トレッキングすることにした。
たまには歩くのもいい。
いつもの如く、標高が上がるとそこはチベット。
アンナプルナ・サーキットと同様、このルートも地元民の生活道路となっている。
シェルパの日常。
高価な装備をそろえて身軽にトレッキングする外国人を尻目に、シェルパたちは普段着で素足にサンダルだったり、そしてその軽装備でゆうに5人分ぐらいの荷物を背負っていたりする。
酸素も薄く、寒さも厳しいこの環境で。
異次元の人たち。
2021年1月、史上初のK2冬季登頂をシェルパの登山隊が成し遂げた。
誰もがわかっていた、シェルパが本気出したら外国人のトップアルピニストだろうが足元にも及ばないということを。
標高3400m。
アンナプルナ・サーキットと同様、ここも数kmおきに村がある。
村には宿、レストラン、売店があり、食料と寝場所に困ることはない。
宿代は1泊200円前後と安いが、標高とともに物価が上昇し、ATMもないので、現金が尽きたら大変なことになる。
エベレスト、みーっけ。
エベレスト - (英語) - イギリス人測量者の名前
サガルマータ - (ネパール語) - 「世界の頂上」
チョモランマ - (チベット語) - 「大地の母神」
道が消えちゃった。
迷子になっても、エベレストに向かって歩いて行けばいいだけだし、こういう方がアドベンチャーな感じがするよね。
それに、王者ヒマラヤの眺望をひとりじめできる。
でもとりあえずは、どうやってこの崖を下りようか。
神々しき山の住人たち。
ネパールの国鳥、ダンフェ。
まるでリトルフェニックス。
アマダブラム(6812m)。
標高4000m。
視界が開け、広大な谷と間近に迫るヒマラヤ、澄みきった青空が迎えてくれる。
エベレスト街道。
盛り上がってきた。
クーンブ氷河。
ヌプツェ(7864m)。
プモリ(7165m)。
標高5550m。
エベレスト展望地、カラパタールに到達。
まぎれもない「世界最大」が目の前に。
エベレスト(8848m)。
黄昏。
なんて、なんて、美しい。
すべてを忘れて、ただ無心に、その美しさにみとれる。
黄昏の最後のひとときは、エベレストだけが赤く染まる。
最後まで夕日を見続けるもの、それが王者の証。
あとは下山するだけという日の朝、異変が起きた。
手足がガクガクで、コントロールがきかない。
まともに立てない、歩けない。
部屋を出て、10mほど離れた共用トイレに行くにも、ゾンビのようによろめきながら、必死でたどり着く。
部屋に戻ると、ベッドの上に誰かがいる。
それが布団の塊だと認識するのに、4秒ほどかかった。
なんだ、ただの幻覚か。
布団の模様や、壁の木目模様がパラパラと剥がれ落ち、人の姿となって空中でうごめきだす。
にぎやかだな。
体に力が入らず、倒れ込むようにして眠りに落ちる。
ひどい夢を見る。
もともと夢というのは不条理なものだが、高地で見る夢は特に、炸裂している。
起きている時は意識的に深呼吸することで平静を保てるが、睡眠中はそれができないので、息を切らせながら、心臓を高鳴らせながら、シュールかつアヴァンギャルドきわまりない、奇ッ怪な夢の途中で目が覚める。
一度目が覚めると、その後はなかなか眠れない。
今まで経験した高山病の症状とは違うけど、それでも単純明快。
脳も筋肉も内蔵も、全身で、酸素が不足しているのだ。
山小屋の従業員のにいちゃんも、早く僕を追い出そうとしている。
高山病を治す方法はただひとつ、下山するしかないのだ。
それはわかるけど、標高5140mの過酷な山小屋「Highest Inn」(この命名はあながち誇張でもないっぽい)で、「明日の朝7時にチェックアウトしろ!」だなんて、ひどいよね。
まあ、このにいちゃんも何かの模様にすぎないわけだけど。
とうとう、ここにある3つの山小屋すべてにおいて宿泊拒否され、瀕死状態のまま外に放り出されてしまった。
徒歩で片道6日のエベレストトレッキング。
這いつくばってでも自力で帰らなければならない。
さもなくば死ぬ。
車の通行が不可能なこの山奥では、脱出方法は3つ。
歩くか、馬か、ヘリか。
ヘリで帰る外国人トレッカーはけっこう多く、しょっちゅうヘリが行き来している。
あらかじめ保険に入っていればUS$300ほどでヘリでカトマンズまで帰れるらしい。
僕は保険に入ってない、いくらぐらいかかるのか、シェルパのおじさんに聞いてみたら、US$4500だという。
へえ、US$4500か、ちょっと高いけど乗っちゃおうかな。
・・・
へっ!?
ちょ、ちょ、ちょっと待って。
US$4500(48万円)!?
ムリムリムリ。
「ムリなら、日本大使館へ連絡して助けを求めた方がいい」
「いや、そういうのも勘弁してほしい」
「なら、自力で帰るしかないな」
「ここに泊めてくれませんか?」
「ダメだ、ここに長くいてはいけない、少しずつでもいいから、とにかく低いところへ行くしかないよ」
おじさんは栄養ドリンクをつくってくれて、半ば強引に僕に飲ませた。
たまたまそこに居合わせたオーストラリア人カップルが医療関係の人で、僕の病状を聞き、高山病の薬を飲ませてくれた。
それから、中国人トレッカーが、惜しげもなく僕にスニッカーズやハチミツなどをどっさりくれた。
物価の高いこの山奥では、スニッカーズ1本で何百円もするはずだ。
この中国人が、雇っていたネパール人ポーターに頼んで、途中まで僕の荷物を持って付き添わせる、という。
なんて親切な人たちだ。
しかし、どうだろう。
荷物を持ってもらって手ぶらだとしても、ここから一番近い村まで、歩けるか?
自分の体に聞いてみると、明らかに答えは「ノー」。
それでも、この状況だと、行くしかなさそうだ。
強引に栄養ドリンクを飲ませられながら1時間ほど休憩して、出発。
今の自分の戦力は、100歳ぐらいの老人レベル。
歩くのが遅いとかいうレベルではなく、かろうじて倒れないでいられる、ぐらいヨロヨロ。
荷物を持ってくれる若いポーターは、僕のあまりの遅さに、じれったそうにしている。
しばらくして、「今、おれの兄が死んだって電話があった、急いで行かなきゃならない」と言い出した。
「いいよ、行きなよ」
いいんだよ、別にそんなウソつかなくても。
君の雇い主であるあの中国人はもういないし。
若者のウソなんて簡単に見抜けるし、インド人とネパール人がどれだけウソつきなのかも、よく知っている。
しばらくして、通りすがりのドイツ人トレッカーが僕に付き添ってくれた。
彼、パウルは60すぎの老紳士だが、なんとカラパタールに来るのは6回目だという。
パウルは脳ガンを抱えていて、何度か手術をしている。
「ドイツにいる時は脳ガンで頭が痛くて、ヒマラヤに来ると空気が薄くて頭が痛い、いつも頭痛だ」と冗談みたいなことを言う。
彼も平均的なトレッカーに比べたら格段にスローペースで、数十m進むごとに、「ここにいい岩がある、腰かけて休もう」と言ってくれる。
決して急かそうとせず、僕のペースに合わせてゆっくり進んでくれる。
お茶を飲ませてくれたり、飴をくれたり、常に何かしら世話を焼こうとする。
底抜けにやさしいおじさんだ。
村までわずかな距離のはずだが、もうだいぶ日が傾いている。
僕の体力は、すでに限界を超えていた。
体全体がしびれて、感覚を失っている。
自分が帽子をかぶっているのか、サングラスをかけているのか、手袋をしているのか、感覚がないのでわからない。
ついに動けなくなり、倒れ込んでしまった。
パウルには先に行ってもらい、村でポーターに頼んでここまで来させて助けてもらおう、ということになった。
「動いてはいけないよ、ここで待ってるんだよ」
太陽が山に隠れると、一気に冷え込んだ。
確実にポーターが助けに来てくれるという保証はないし、来てくれるとしてもどれだけ時間がかかるのか、わからない。
とうとう暗闇となり、突き刺すような冷たい空気、ガタガタ震えながら、ひとりで助けを待つ。
危機的状況なら今まで数知れず経験してきたけど、今回は一味違ったヤバさを感じる。
今日が命日、なんてなりませんように。
いやいや、こんなところで死んでたまるか。
1時間後、遠くの闇から「ジャパニ! ジャパニ!」と呼ぶ声が聞こえてきた。
来てくれた!
僕は喉も涸れて大きな声が出せなかったので、ライトを振ってそれに応えた。
やって来たポーターは、素手に素足にサンダル。
なんつー軽装!
標高5000mの氷点下だぞ。
ライトも何も持ってないようだ。
シェルパにとって、ここは庭なのだ。
かなわない。
彼の肩を借りながら、力を振り絞ってゆっくりゆっくり進み、19時頃、ようやく山小屋に到着。
パウルが笑顔で迎えてくれた。
ありがとう、命の恩人たちに心から感謝とリスペクト。
僕はまだ食欲もなく、何もできず、力尽きてベッドに倒れ込み、2日間寝込んだ。
少しずつ回復しているように感じたが、それでもひとりで歩くのはまだ危険と判断し、ここでポーターを雇うことにした。
料金は、1日につきUS$30。
2日間、お願いすることにした。
「くれぐれも、スローペースで頼むよ」と念を押した。
帰りは下りだから楽だろう、と思われるかもしれないが、それは大間違い。
登りよりむしろ下りの方がしんどい。
ふだん自転車をこいでばかりいる僕の足の筋肉は、ガチガチに固くなって柔軟性がなく、下る時に垂直方向に負担がかかると、特に太ももの筋肉がひどく痛む。
健常な時でも、調子良くトントンと下ることができない。
と、こんな細かい説明をポーターにすることもできず、下りでゼーゼー言っている僕を彼は不思議そうに見つめる。
シェルパたちにも、出世のステップがあるようだ。
最初は荷物運びのポーターから始めて、次はガイド、ゆくゆくはロッジの運営や旅行会社の経営へとのし上がっていく。
だから、ポーターは若者が多い。
ただでさえ屈強でタフなシェルパ、特に若者は力があり余っているようで、僕の超スローペースに合わせるのは退屈で苦痛のようだ。
休憩は、少なくとも3分ぐらいは座っていたいのだが、彼は1分30秒ぐらいで僕を立たせて行かせようとする。
標高4200mまで下り、山小屋で1泊。
ポーターも同じ山小屋で泊まる。
山小屋はとても寒い。
ダイニングには、唯一の暖房システム、暖炉がある。
寝るまでは部屋に行く気になれず、トレッカーもシェルパも皆、暖炉に集まってひたすら体を暖める。
ちなみに暖炉の燃料は、ヤクのフン。
ここは別料金でホットシャワーを浴びれる。
もう何日もシャワーを浴びていないし、洗濯もしたかった。
しかし、なんとなく嫌な予感はしていたのだが、2分ほどで突然水が止まってしまった。
タンクの水が尽きたのだろう。
髪を洗っただけで、体も洗えていないし洗濯もできないまま、タオルで体を拭き、暖まるどころか逆に冷えた。
金返せ。
そんなこんなで、ついに、スタート地点でありゴールでもあるルクラ(標高2800m)の村に到着。
一時は馬やヘリも考えたが、やはり自分の足で歩いてきてよかった。
体力の回復度は50%ぐらいで、歩くスピードはまだ老人レベルだが、ここまで来ればもう安心。
あとは、飛行機でカトマンズへ飛ぶだけ。
しかし、このルクラ空港は、山間にあるため滑走路が異常に短く、しかも傾斜しており、世界で最も危険な空港と言われている。
そよ風程度でも、欠航となる。
来る日も来る日も、欠航。
ムダに待ち続ける。
所持金はあとわずか。
もしこのまま現金が尽きて無一文となったらどうするのだろう?
飛行機がダメなら、ヘリでカトマンズまで飛ぶこともできる。
ヘリは6人乗りで、ここで出会った日本人とオーストラリア人で結託して、なんとか6人集め、相場が1人US$250〜300のところを交渉してUS180まで値引きさせた。
しかしヘリも先客がおり、すぐに乗れるわけではない。
やって来たヘリに乗ることもできず、飛び去るヘリを呆然と見つめる。
ルクラで待つこと5日目。
ようやく僕らのヘリがやって来た。
いや~、長かった。
人生初のヘリということもあり、一同興奮して乗り込む。
1時間弱で、無事カトマンズに帰還。
生きてる。
大自然を求めて挑んだエベレストトレッキング。
今は物質と文明にまみれたい。
コーラ飲みて~。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?