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記憶の底に眠る根源的な何かを呼びさますギニアビサウの美しき農村

「ギニア」が付く国名は4つある。
・ギニアビサウ
・ギニア
・赤道ギニア
・パプアニューギニア

「黒い肌の人」という意味のベルベル語が語源だと言われている。
パプアニューギニアは、現地人がギニア人に似ているということでスペインの探検家によって名付けられた。

アフリカには、同様に「黒」を意味する国名が他にもある。
・ナイジェリア
・ニジェール
・スーダン
・ソマリア
・モーリタニア

ナイジェリア(Nigeria)とニジェール(Niger)は「ニグロ」(negro)の語形変化と考えると連想できる。

かれらにとっては黒であることはふつうのことだが、ヨーロッパからやって来た支配者にとっては黒であることだけが特徴に見えて、そう名付けられてしまった。

逆に、黒人が覇権を握るような世界線であれば、ヨーロッパには「白」を意味する国名がいくつもできていたであろう。

ギニアビサウの面積は九州ほど。
ポルトガル領だったため、公用語はポルトガル語。

巨大アリ塚。

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ギニアビサウの主産業はカシュー。
カシューナッツの実の成り方が予想外すぎた。

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果実の先端から下方にナッツがニョキッと生える、ユニークな形状。
赤い果実も食べる。
一口かじると果汁がドボドボとこぼれ落ちるほどジューシー。
甘酸っぱくておいしい。

売店もレストランもない農村が続く。
村の井戸で水をお願いすると女性たちが汲んでくれる。

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すかさず子供たちが群がってきて大騒ぎになる。

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ここでは僕は「ブランコ」と呼ばれる。
「branco」はポルトガル語、意味はもちろん「白」。

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誇張なしで1日300回ぐらい、あたかもそれが僕の名前であるかのように「ブランコ! ブランコ!」と大声援(?)を浴びる。
スターのようにもてはやされるが、その言葉の意味が「白」っていうのがね・・・

逆に、アフリカ以外の土地で黒人を指さして「ニグロ!」なんて言ったりしたら大変なことになるぞ、なんてことはかれらは知るよしもないのだろう。
でも元々はただ単純に色を表す言葉である「ニグロ」や「ブラック」が黒人蔑視の差別用語として言葉狩りされる、そんな世界の方が不健全だ。
もちろん僕はここでブランコと呼ばれることが差別的だなんてこれっぽちも感じない。

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世界最貧国のひとつとも言われ、政情も安定しないギニアビサウ。
しかし農村は美しく、笑顔が絶えない。
情報だけ調べてみると不幸な国のようだが、いざ人々の生活をのぞいてみると、こんなにもピースフル。

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フェリーで河を渡る。

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乗客たちは大量の物資を対岸へ運ぶ。
おばさまたちは息をつく間もなく大声でしゃべり続ける。
いったい何をそんなにしゃべることがあるのだろう、っていうぐらいとにかくよくしゃべる。

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岸に近づくと、乗客たちは荷物を抱えて、いや正確には頭に乗せて、タラップの先端まで詰め寄る。
それはまだいいが、対岸の船着き場にもこれから乗ろうとする客たちが、同じように荷物を抱えてギッシリ詰め寄っているではないか!

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これじゃ乗り降りできない。
バカなのかな?

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着岸すると、両者ともにどうにも動けず、にらみ合って膠着状態。
何これ?

まだタラップも降ろしていないのに、いち早く乗り込もうとする者がいる。
それをクルーが警棒のようなもので殴りつける。
何これ?

ただ船を乗り降りする。
それだけのことで、まるで暴動でも起きるかのような緊迫した空気。

タラップを完全に降ろさずに、1mほどの高低差をつけた状態にして、ひとりひとり下船させる。
船着き場の人混みにわずかなスペースをつくらせて、そこを通って行く。

またスキを見て船に乗り込もうとする者がいる、するとまたクルーが警棒で殴る。
奴隷制度ってもう終わったよね?

岸には柵も何もないので、押し合いになったりしたらドミノ倒しになって河に落ちる。
依然として危険な状況。
僕の常識では降りる人優先、船着き場の人々を遠ざけて別の場所で待たせておけば何の問題もないこと。
ほんと何これ?

タラップに1mも高低差があると、僕は自転車を自力で降ろせないので、しばらく動かず状況を見守る。
ようやく乗客が皆降り終わり、最後にクルーが僕に向かってGOサインを出し、屈強な男4人がかりで自転車を降ろして、無事下船。

ただ船を降りる。
それだけのことにこんな戦慄したのは初めてだ。

ちなみにこのフェリーは月~金の週5便。
毎日こんなことやってんの?

上陸後、奥まった静寂な農村を進む。

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また村の井戸で水をいただくと、子供たちがワーワーやってくる。

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そしてまたブランココール激化。

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まったくまとまりがないので撮影も難しい。
皆それぞれ自由に動き、自分が一番前に前に、と詰め寄ってくる。
なるほど、これがそのまま大人になった図が先ほどの乗降の光景というわけか。

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井戸水を汲み、マンゴーをかじり、カシューを収穫し、限りなく自給自足に近い生活を営むギニアビサウの農村。
水や食糧は金で買うものではなく、何か買おうにも店もない。
こういった原始農村社会での旅は、金や経済といったものは取っ払われ、人々の善意に依存することになる。
井戸水を分けてもらい、マンゴーやカシューも分けてもらって、生命をつなぐ。

村で泊まらせてもらい、日が沈むとあっという間に真っ暗闇となる。
村人たちは闇の屋内でもやんややんやとしゃべり続ける。
僕は夜風に涼みながら、村人たちの話し声や生活音に耳を傾けてみる。
星の降りそそぐもと、やがて村は寝静まる。

記憶の底に眠る根元的な何かを呼びさます、これぞアフリカ旅。

朝、日の出とともに水汲みが始まる。

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小さな村でも、人間が消費する水のなんと大量なこと。
そして水を汲む女性のたくましいこと。

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子供たちは遠方から目ざとく僕を見つけて、ありったけの大声で「ブランコブランコー!」と叫び、手を振りながら走って追いかけてきて、お別れした後も、僕の姿が見えなくなるまで「ブランコブランコー!」と大合唱。
また一方で、僕を一目見ただけで恐怖におののいて「ギャー!」と泣き叫び、全速力で逃げ去っていく子供もいる。

かれらにとってブランコは未知との遭遇なのだ。

僕が生まれ育った世界では、肌の色で人を判断してはいけないと教育されてきた。
しかし根源的なものがあらわになるアフリカでは、人はどうしたって肌の色を見るということを思い知らされる。
だからこそ、僕がブランコであるからこそ、かれらはこんなにもキラキラした瞳を見せてくれたのだ、とも思う。

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どういったコンセプトでそんなヘアスタイルに?

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ブランコー! ブランコー!

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