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九州・無職・車中泊(1/9)

 車を売っておよそ1年が経つ。

 買ったばかりのスーパーカブを、ブイブイ言わせる毎日を過ごしている。スーパーカブがある生活は楽しすぎる。燃費が良すぎるので、頻繁な長距離ライドに全く罪悪感を抱かない。

 バイクの免許を取ってよかった、私の前世は風だった、私はスーパーカブのケンタウロスになりたい……とうっとり恋をすることができたのは、せいぜい11月くらいまでだった。

 日本海から吹き荒ぶ北風が、寒すぎる。スキーウェアとゴアテックスのグローブでも、全く防ぐことができない。焼け石に水だ。鰤起こしにゴア。
 スタットレスを履かせるのは面倒くさいので、雪が積もったらどこにも行けない。積雪地帯とスーパーカブは、あまり相性が良くない。

北陸は秋から冬にかけて、ほとんど毎日雨か雪が降る

 もう、こんなところで暮らすのは嫌だ。
 もう少し暖かくて、雪の降らないところに行きたい。

 そういえば、今まで、九州地方に行ったことがない。いいな、九州。重たい雪が吹き荒ぶここよりは、ちょっとだけ温和な気候のような気がする。
 行ってみようかな。どうせ無職だし、10日くらいかけて回ってみようかな。
 そんで、私の中で九州という土地がバッチリ嵌ってしまったら、そのままここにふらっと住み着いちゃってもいいかもしれない。

 そうしよう。決定だ。

きれいな町なのに嫌気がさすのは悲しいことだ

 本当はスーパーカブで向かいたかったが、わざわざスタットレスタイヤを購入するのも煩わしい。キャンプ道具をたんまり積んで、土地勘のない雪道や凍結路の運転をするのも不安だ。

 だが、新幹線や飛行機に乗る金もない。宿泊費もバカにならない。

 考えあぐねた結果、車中泊しながら本州を横断することに決めた。学生時代を思い出す。車を売る寸前まで私は、車中泊のことが大好きだったんだ、そういえば。

 いいじゃないか、無職特権の車中泊旅行だ。行ったことのない九州に行って、移動と住居が完結している方法で、孤独に旅をしよう。決定だ。

 レンタカーを借りて、マットと寝袋、友人の助言で羽毛布団を積載しよう。ランタンを灯して未読本を積んで、クルマの窓ガラスは段ボールで塞いでしまえばいい。車中泊の準備というのは、どうしてこんなに楽しいのだろう。

 準備を終えたら、さっそく電車に乗る。駅から1時間歩いて、激安レンタカー・ショップを訪れるためだ。

家から駅まで歩く最中で、一番好きな光景

 到着したレンタカー・ショップは、激安でカラオケスペースを提供していることもあり、中高生のグループで溢れている。列に並んで待つことが、全く苦ではない。なぜなら、私は今から、この足で、九州に向かうからだ。心に余裕がある。

 前のグループが捌けていった。ふと窓の外に目をやると、先ほどまで持ち堪えていた曇天の糸がぷっつりと切れて、どさどさと雪が降りしきっていた。
 嫌だな、雪の降る街って。でも「雪の降る街」ってめちゃくちゃ素敵なハンドル・ネームだよなあ……と、漫然と考えるでもなく考えながら、カウンターのお兄さんに、レンタカーを借りたい、1ヶ月ほど……と告げる。

「いま貸せるのはないですね……」と、慇懃に告げる店員の声。

 そうか、レンタカーというのは、ぶっつけ本番で借りにいってはダメなのか。知らなかった。知見を得た。目の前が真っ白になった。

 何も考えられなくて、呆然としてしまって、「あ、じゃあ、この”カラオケ”を1時間……」とトンチキムーブをかましてしまった。
 Fishmansを大熱唱した後、横殴りに吹雪く極寒の町を、1時間かけてトボトボと帰宅した。

広くて、孤独

 泣く泣くクルマ3台持ちの母親に泣きつき、スズキのハスラーをレンタル。以前乗っていたのがこのハスラーだったので、運転したことのない車種とは比べものにならない安定感と信頼感がある。結果オーライだということにしておこう。

この北陸日光(北陸に差す日光のこと)ともおさらば

 借りたその日に、坂道を転げ落ちるように、福井を立った。
 しばらく、ここへは帰らない。この信号機とも、このローカルチェーン・スーパーとも、束の間のおさらばだ。すごくいい気分だ。

 相棒。遠くまで連れてってくれよな。アクセルをべた踏みすると、キイキイと悲鳴のような音が鳴る。愛おしい。

兵庫の山奥は積雪していた

 国道9号線を爆走(あんぜんうんてん)。1日目の夜は出雲まで行きたい。
 コンビニのコーヒーを飲みながら、YouTubeで配信しているネットラジオを聴く。いつものルーティーンに変わりはないのに、ただ車を運転しているということだけで、あたかも偉業を成し遂げているかのような尊大な気持ちになれて、得だ。

 まだまだ雪が積もっていて寒い。だが、知らない道の駅に駐車するたび、別の地域のナンバー・プレートがついた私の車が心もとなく嬉しくて、ほくそ笑んでしまう。もう私は福井にはいない。

なんだかワカランがかわいい
山陰の空港名はなんかヘン

 ただ、ひたすらに、国道9号線を南下していく。山陰の人たちは運転が穏やかで良い。車間距離もたっぷりで、あんまり煽られない。いいところだ。

うまそう

 ただひたすらずっと走るっていうのは、予想以上に疲れるもんだ。
 特に日が暮れるともうだめで、前のクルマのテールランプをボケっと追従する自動思考。

おみやげ。昆布が効いてて甘くてウマイ

 昨年の秋にスーパーカブでヒイヒイと駆けずり回った道を、クルマってのはこんなに快適かね?とトレースする作業は、痛快では、ある。文明だ。

 音楽を聴きながら、ラジオを聴きながら、カーナビも曲がるところをやすやすと示してくれる。エアコンも効く。時速80km/hまでなら速度を出してもキイキイ言わない。トラックに無茶な追い抜かれ方をすることも、至近距離で後ろにつけられて煽られることもまったくない。
 人権が、保障されている。人権が保障されていないゾーンが存在することについて、クソッタレだと思う。

 明日は九州に上陸できそうだ。道の駅でおやすみ。

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