日記122 MAN MACHINE

 別にクラフトワークと関係のあることではない。「R62号の発明」を読んでいて、何となく思い浮かんだことである。
「R62号の発明」は、誤解を招くように簡略化して説明すると、ロボットに改造された元技師・R62号君が、人間にロボットに課せられるような苛烈な運動をさせる話といえる。本作では人間ではないロボットを、人間よりも自発的に資本家たちの都合のいいように働くものとして描き、その夢物語に社長や頭取らが喜び称賛するさまが表現される。
 ここで、ちょっと思ったのが、現実の雇用契約を、機械の期限の定めのない月額制リース契約と読み替えてみたらどうなんだろう、ということである。もっとも機械のリース代の相場が全然わからないからどうあがいても不正確なものになるが、それはそれとして考えてみると、その相違とかが何となくわかった気になってきたのである。
 主だったものを述べれば、機械は基本的に、ある特定の作業または業務のために、専門的に導入すると思う。しかしその特定の作業または業務以外には使えないので多少使い勝手は悪くなろう(万能型の機械でも、設定とか移設が大変だと思われる)。しかし、その特定の作業または業務においては、他の追随を許さない高度な実力を発揮するだろう。
 かたや人間は、機械が担うような、特定の作業または業務において、機械ほどの再現性は披露できないし、継戦能力も劣る可能性がある。というのは疲労という観点から、一定時間ごとに休憩を入れてやらねばならないからだ。また、自我や意志をもつため、たまに反抗したり、期待した働きをしなかったりする。一方で、特定の作業または業務の実力では機械に劣る代わりに、人間には雑にいろいろな業務をやらせることができる。倉庫から商品をとってきたり、書類をバインダーに綴じたり、車に給油したり、不満をぶつけて萎れさせ気持ちを晴らしたりすることに使える。それに、機械はきちんと命令や操作を行わなければうまく動かない場合が多々あるが、しかし人間は適当に言いつければ指示の空白を埋めてくれるし、よしんばできなかったとしても、作業者の無能を理由にして命令者の責任を押しつけられる。そしてこれが大事な点なのだが、向こうから勝手に慮って作業してくれる。機械は命じないと動かない。命じればその通り動くけれども、その手間と責任が命令者に降りかかるおそれがある。しかし規律化された人間なら、こちらがどうにかせずとも、自発的に都合のいいように動いてくれる。反抗しそうな分子や馬鹿、優秀なやつを排除できたなら、とても都合のいい自動機械が生まれる。自発的に、さまざまな作業や業務を、自らの判断で進めてくれる可能性がかなりあるのだ。
 人間と機械とを比較してみたが、これを兼ね備えれば理想的な労働力となるような気がしてきた。「R62号の発明」では人間が人間を機械にして操ろうとしたが、逆に機械にされた人間の機械で人間が機械化されて復讐されてしまった。おそらく人間でない、人の能力をもった労働力を獲得するためには、機械が人間――特に命令する人々――を機械化しようとすることを防ぐことが肝要となるだろう。

(2024.1.31)

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