孑孑日記㉞ 泥舟に乗った安部公房

 僕は卒業論文で安部公房を書いた。まあ字数だけ多い、見返したくもない恥ずかしい代物である。いまからでもやり直したい。ほんとうに就活が恨めしい。
 その資料集めの途中で、安部公房と小松左京の対談を見つけた。ともにSFを書いてはいたが接点はあまり感じなかったので、少々意外なように思った。詳細は憶えていないが安部は小松の『日本沈没』のラストシーンについて、だいたいこんなようなことを言っていた。すなわち、『日本沈没』では生き残りが日本を出て異国で生きていこうと決心するけれども、それは外国語が話せる人の発想だ。僕(安部)みたいな外国語が全然だめな人間はそうはいかない。日本が沈没するようなことがあっても、たぶん最後までしがみつくだろうね、と。
 ゼミの先生は安部がまるで外国語を使えないことに意外性を感じていたが、そりゃそうだと思う。安部公房は日本の作家のなかでもトップクラスに世界で読まれた作家であり、その普遍性は他の日本語作家と比しても群を抜いていたからだ。なお、彼は学生のころドストエフスキーを翻訳で享受していた。翻訳を重視する近年の世界文学の潮流を、かなり早い段階で実践していたともいえよう。
 外国語を操れず、日本が泥舟になってもしがみつくしかないと断言した安部は、東欧地域で特に人気があったらしい。その理由のひとつに、外国語の問題もあったのじゃないかと思う。
 安部は外国語ができないゆえに、日本以外で活動するという発想ができなかった。だから彼は内的亡命という考えを提案したのだと考えられる。そしてその現実は、出たくてもこの国から出られない閉塞感へと容易に繋がっていく。そして脱出の不能は、東欧地域のソ連の傘にくるまれ、その指導下にいざるを得ない地域の閉塞感に、見事にマッチしたのだろう。僕も会話が苦手で外に出がたいから、安部にちょっと共感するところがある。
 こんな考え、きっと沼野充義あたりがすでに論じているはずだ。確か安部公房追悼の雑誌の文章で見た気がしなくもない。だが車輪の再発明としても、僕はこう思ったのである。だから厚顔無恥にも、この考えを堂々と述べた次第だ。

(2023.9.4)

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