孑孑日記㉝ 感想「万徳幽霊奇譚」

 作者金石範は1925年、朝鮮・済州島生まれ。戦後の悲劇、済州島四・三抗争の際に現地には居合わせず、その悔恨等から、済州島を舞台にした小説を書きつづけた。なお現在97歳で存命であり、3〜5年前の時点では、「もう全然飲めないよ、ビール3杯しか飲めない」というくらい元気であった模様。

「万徳幽霊奇譚」は1970年に発表され、翌1971年に芥川賞候補となっている。一読した限りでは、「これで落選するのか」というのがまず抱いた感想であった。Twitter(現X)で調べてみると、どうやら当時の選評で「直木賞的」と言われていたらしく、それもそうかと感じたのだが、それでもこの悲惨な事態をユーモラスにここまで書けるのは驚異的なことだから、やはり惜しいなと思ってしまう。
 主人公万徳(マンドギ)には戸籍がない。のちに彼はある行動がきっかけで警察に捕らえられ処刑を執行されてしまうが、何やら不思議な力が働いて彼は死なずに済んでしまい、しかも官憲は誰も気づかずに他の死体と一緒に放置していった。そして寺に戻った万徳だったが、寺に駐留していた警官隊や、彼の面倒を見ていた寺の女管理人ソウルぼさつに幽霊だあ! と怯えられ、彼は自分が大手を振って表を歩けない、冥界の存在だと気づく。このとき、官憲に抵抗するパルチザンの人々もまた、白昼堂々と街を歩けぬ存在であり、官以外は幽霊と似たようなものなのかと万徳は考える。このシーンが個人的本作品のクライマックスだと思うのだが、もうだいぶ眠いので割愛する。
 さて戸籍がないということは、公的にその存在が認められていない、まさに行政的には幽霊に等しい存在であったといえる。しかし寺で寺男として彼は長年生き、そして警察に囚われ死刑囚として刑場で銃を向けられる。このとき、彼の名前万徳は公文書に乗り、ここで初めて彼は、殺されるためという逆説がありつつも、公的に生きている人間として把握された。しかし執行されてもなお生き残ったために彼は再びもとの無戸籍人に戻った。しかもソウルぼさつも彼を切り離した。ゆえに彼自身は一周回ってもとの鞘に収まったと言うことも可能だ。しかし今度は、奇譚として住民たちの間に残ることとなる。万徳はもとに戻ったかしれない(最後、万徳の行方は明言されていないのでこのあたりは想像力が必要になる)が、しかし彼の周りはたしかに何かが変わるのである。

中途半端だけどここまで。

(2023.9.3)

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