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体は食べたもので出来る、じゃない!

病のほとんどは意識が関係していて、中でも癌は感情の強い抑圧。なので体をゆるめると(どこもかしこもとかいう安易な意味じゃない)回復に向かうのだが、そういった難治度が強い病ほど抑圧されている感情の度合いも強く、ちょっとのきっかけでそれが解放されると場合によってはその方の回復の機会を奪いかねない。

体の抑圧を解くと、心の抑圧も解かれるので、鈍っていた感覚も感じやすくなる。それは良いことなんだけど、喜怒哀楽どれも同じく「感覚」なので、平等にそれらの感度はUP。重症の場合その〝いったん〟は今まで感覚が鈍化していた分、まずは〝不快〟が目立ちやすい。イコールそれは「好転反応」なんだけど、

今まで平気だったのに、〝逆に辛くなった!〟〝これは悪い!〟とだけ取られる危険があるってこと。そうなるとそこで終了、その体から回復に向かう力を奪い、ただの仇となってしまう。

ー体と心がリンクしている
ー体は意識が関与する

これがまだまだ知られていない世の中。体と心はまったくの別物と切り離されてる世の中。

精神疾患も、「心」の在り処を「脳」としているから、脳内物質に働きかける薬が処方されるけど、東洋医学では心は体の中ではないとされる。
(というか、そもそも皮膚に覆われた個体だけを「体」としてない。皮膚の外側も含めて「体」なんだけど、その部分を一般的に「オーラ」とか「波動」とか、馴染みのない言葉で表現したり、そこについてまっとうな研究をしている人もいれば、ただの胡散臭い人もいるので総じて「スピリチュアル」=「まやかし」「あり得ないもの」と片付けられちゃってて、耳を塞ぐ人も多いのでもったいない)

整体師として長年多くの人の体に触れて来て、当初は私も皮膚で覆われた中身を「人間」とし、筋肉だ内臓だという物体の機能向上にフォーカスしてきたけど、今まで頂いた施術後のお客様の感想の多くは
「すごく気持ちが明るくなる!」
「1か月間おおらかな性格が保てる」
「心の余裕が持てる」
「悩みがふっとんだ!」
「トラブルがあったんだけど、施術の後勝手に解決した!」とか、そういった目には見えない部分によるものばかり。私はずっと
(「ただ、コリや滞りをほぐしてるだけなのになぁ…」)と思い、それらの感想が出るのが不思議だった。

だけど、年月が経ち、施術した人数が増える毎に比例してフィードバックも増え、様々な勉強もしてきた結果、〝そこの繋がりこそを健康にしていくことが、真の健康を作る事〟だと感じる。

結果、意識を健康にすることが最も大事なんだが、そこに至れるレベルにもままならない心の声を無視しまくりの体は、変化できる準備が整っておらず、いくら良いことをしても(意識を変えるあれこれ。例えば今流行りの瞑想とか、食育とか、筋トレとか、カウンセリングとか、神社仏閣巡りとか色々あるね)変化が遅い。

もちろん効果がないわけないが、流れる体でそれらを行うのと、固まった体のままそれらを行うのとは変化スピードに雲泥の差が出る。(まぁあとは、素直さにも直結するね。滞った体では感度が鈍化してるから良い物を良いとはなかなか実感できない=性格も素直じゃない傾向にあります(笑))

私は最初の夫をガンで亡くしているのでその分野に思い入れが強かったのだけど、もちろんそこにお役に立ちたい、立てる事を目標にしているが、それが「固執」にならないように常に自分に問いかけている。「執着」は心の停滞を生むから。

で、最近特に思うのは、
上で述べたように、体はむしろ心がすべて作ってるといっても過言じゃないのだが、そこが〝科学的〟に証明されていないから、〝エビデンスが無いから〟それを大手を振って堂々の主張がし辛かったり、そう言う人が避難されたり、「いわゆるスピ系」とかってくくりにされ信用されなかったりというちょっと残念な事態だなぁ・・・という話。

先日こんなWEB記事を見つけて、目に見えないもの以外信じない!という時代から着々と変化してきている節を垣間見て、嬉しかった。↓

最近、
「そこを理論的に、科学的に分かりやすく伝えたいんだけど、それに見合う研究とか論文ってないんですか!?」と探していたところある方にこう言われた。

「まだ無いから、作ってくんでしょ」
「あなたがね」

・・・・・。
あっ
そうか。私もそれを作る一員なんだ。

科学的とかエビデンスベースってのは、どこか遠くの感覚でいて、私でない、医療研究機関がやることで、もしかしたら世界のどこかにはもうこれはすでに体現されてるんじゃないか?あるなら欲しい!などと思っていたが、

「西洋医学と東洋医学に隔たりがあって、残念だー」
と言ってた自分が隔たりを作っていて、残念だったーという事実に気付く(笑)

昭和から平成、そして令和と時代は移ろい、
と同時にだいぶその隔たりも緩和されつつあるように思う。

上海の中医学薬大学に留学した際、中国では有名な医学部かつ大学病院だが、同じ建物の中に、内科・外科・眼科・推拿科・鍼灸科などと西洋東洋すべての科が等しくあり、西洋医も中医も甲乙無く存在。すべての科が連携し、患者の症状に合わせて必要な部位に必要な段階で登場するという在り方に、本来の「治癒」の在り方をみた。

要は、その人が何を手段としても「良く」なればいい。だけどまだまだ私たちの日常はその選択肢の幅が取り辛い世の中と思う。また、そのせいで機会損失している人が多いのも事実。時代の推移だけじゃなく、今後そこをいかにスムーズにしていけるか、きちんとした情報を届けられるかは大きな課題だと思う。

「医者の言う事さえ聞いてればOK!」
「これさえ飲めばOK!」
「これはいい、これはダメ!」
「食が全て!」
「整体ずっと通ってるから大丈夫!」

そんな狭い味方では狭い変化しか起きない。今の世の中、すごく短絡的だと思う。すごく商用的だと思う。

出だしから話がそうとう逸れたが、そんなことを考えている日常。今後は、さらに勉強、研究を重ねて自分自身がもっとこのことを深く理解し、このように長ったらしくなるこの話を1行で表現できるようになりたい。そして、そう出来る頃にはだいぶ『本質の健康』を届けられるようになっているだろうな。

(2019.09.14 Facebook投稿記事)


「緩和ケア」と「産後ケア」。一見対極な存在と見られがちですが、両方を経験しそれらは近い存在であり、両方の重要性を心から訴えたい。これらの在り方捉え方の啓蒙、それらにお役に立てる活動をすることが私の将来の目標です。頂いたサポートはそのために使わせて頂きます!