不安は発達障害

不安は、かつては常にあったけれども、今は波のよう(ってよく表現されるよね)。以前はみちみちていて、不安という名の死にたいしかなかった脳の中。

つまり自分のことばかり考えていて、自分が自分から逃げることに必死だった。自分自分自分すぎて恐ろしい思考。

今の不安は息子にまつわることが大半である。

・偏食はどうなるのか?
・友達とコミュニケーション取れてるのか?
・自分の気持ちを人に伝えたり相談する、言語化が苦手だけどどうなるのか?
・中学行ったらどうなるのか?
・そもそも小4からも勉強どうなるのか?
・いじめられないか?
・高校行けるのか?全日でも通信でも(高校は出てほしい)
・寝つき悪すぎないか?(21時半に布団に入っても23時まで眠れない)
・寝つき悪いのは私の遺伝か?
・双極が遺伝(発症)しないか?
・働けるか?
・働けなかったらどう過ごさせるのか?

・私たちが死んだあとどうなるのか?

列挙してみたがまじで息子にまつわることばかりだ。他が浮かばない。あ、夫が健康でいてくれるかもあるか。

どれも、考えても仕方のないことばかりで、「全てはなるようしかならない」に尽きるのだけど、それで割り切れたら不安なんてないし、人類皆ハッピーだと思う。

なるようにしかならない、では不安は解消されない。具体性がないから。どうなっていくのか全く見えないから。

だからみんな、今まで培ったパターンと、それから派生する可能性を探りつつで、なんとかこなしていくのだけど、なんせ子どもは自分ではないから失敗が許されない気持ちになってくる。

自分の人生なら割り切れる。人のせいにもできない。代わりに生きてくれる人なんていない。
それは息子にも同じく適用されるもので、息子の人生は息子のものだ。

しかし成人するまでは親に責任が重くのしかかる。

通常発達とされる子たちにももちろん個性があって、ひとりひとり違うから、苦労がないわけではないだろう。親も不安なことがあるだろう。それにしても息子は、この先どうなってしまうのか、どうやって生きてくれるのか、不安は繰り返し、やってくる。

「他の子と比べない」を信念にしてやっているつもりでも、困難に立ち向かうと「他の子はこんなこだわりないんだろうな」とかよぎってしまうことがある。
しかも「他の子」とは特定の誰かではなく、「世間一般で言う通常発達の子」という、もうまるで馬鹿馬鹿しい、ステレオタイプな比較なのだ。

何がこの子の支えになるか。
どうしたら自己肯定感を保持できるか。

いつも、いつも、悩ましい。

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