ひとりで死なないで

だいじょうぶ、だいじょうぶ、必ず乗り越えられる。時間が経てば。生きていれば。必ず。

ごうごうと泣いたのはいつ以来、振り返れば高校まで。だらだらと涙を流したり、ほろりとしたり、止まらない涙を抑えるように泣き止もうとしたこともたくさんあったけれど。あの日、体育のあと更衣室で、タオルを押し当てて涙が止まらなかったこと、授業が始まるのに泣きながら保健室へ走ったこと、覚えてる。青いタオルだったことも。授業に向かう教師に廊下で止められて、ぼろぼろに泣く私を見て保健室へ行かせてくれたことも。覚えている。

私は17だった。

それからの17年間それはそれは様々なつらいことはあったけれどその感情を抑えるようにしてきた、押し込めてどうにかしようとしてきた。そうするうちに悲しいときもうまく泣けないようになっていった。

叫ぶように吠えるように泣くことは、よしもとばなな先生がよく「吐くように泣く」と表現するけれども、ほんとうにそんな感じだ。顔全体の穴という穴から毒素が吹き出すような感覚。

底、まったくの底にたどり着くには、全部空気を抜かないと沈まない。毒を。今の自分に苦しいものすべて。

声を上げて泣くこと。ただ涙を流すことでは足りない。いくらでも泣いていい場所で、叫び声を上げて、気が済むまで泣くこと。人目を気にして泣かないこと。自分の感情に忠実に泣くこと。全部出し切ること。何日かかっても。毒が尽きるまで。

澱みが底に沈んでいる水は飲めない。全部捨てていい。捨てるのが罪のように思わなくていい。腐ったらもう価値がない。どんどん澱む。ためていると身体を壊すか、こころがおかしくなる。それはすぐに病気にはならないけれど、毎日ちびちびと毒を飲んでいるのと同じようなこと。
そんなものを大事に溜めていても絶対によくない。
自分という鍋をぴかぴかに洗うこと。浄化するのは、自分だ。そのために泣くのだ。

誰か助けてほしいって思うときがある。つらさがすごいとき。でも底引き網みたいにつらさを全部すくい上げて除いてくれる人はいない。
それは自分がすること。
誰か、は、何かを気付かせてくれる。ヒントをくれる。それ以上のことは求めない。自分の面倒は自分しか見れない。自分のことを守れるのは自分しかいない。
一番丁重に扱えるのは自分自身だ。

身体は脱げない、ひとつしかない。ひとつだけの乗り物で一生を生き抜く。

誰かを助けたい。
目の前の困ってるひとはもちろん、どこかで閉じこもって泣いているひとまで。わたしが乗り越えられたことを糧に、その人に届く言葉を身に着けたい。
くるしみには終わりがあること。死んでしまっては救われる前に終わってしまうから。そうなる前に。
飛んでいきたい。今度こそ止めたい。生きてほしい。ひとりで死を選ばないで。
頼って。

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