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【小説】Love Train 2/5

1/5(前回)

(前回までのあらすじ)ミュージシャンで「RHYTHM-R」のリーダーの南田巧は、バンドと夫婦生活に行き詰まり、妻の直子と口論の末、切羽詰まった様子で家を飛び出した。彼が向かう先は・・・?


タクシーを呼んで上野駅まで走らせた後、南田はぼんやり乗車券売り場に佇んでいた。
どこへ行こうか。
子どもの頃から、何か嫌なことがあると、列車や地下鉄に乗っておもむろに小さな旅に出かけるのが常だった。行き先はどこでもいい。山手線に乗ったまま眠りこけ、深夜に「ボク、お父さんやお母さんは?」と乗務員に心配されて家に連れ戻されたこともあったものだ。


飛行機は駄目だ。極度の高所恐怖症で、空の上を不規則にユラユラ揺れながら飛行する恐怖感に耐えきれず、西島にしがみついて泣きじゃくってしまったことすらあった。ヨーロッパツアーの飛行機では当然一睡もできず食事も摂れず、ライヴ中に何度も倒れかけて、そのたびにスタッフ数人に引きずり起こしてもらった。
船も駄目だ。売れない頃の全国ツアーの移動手段が船だったとき、乗り物酔いが酷すぎて最初から最後までトイレから出られなかった。乗り物酔いの薬を飲んだのにまるで効かなかった。
ツアー用のバスやミニバンでの移動も、決して楽な乗り物ではなかった。
ドームやアリーナでのライヴが中心になった現在は、他のメンバーやスタッフが飛行機やツアー用バスで移動する場合でも、南田は常に単独で、列車で移動している。
売れて良かったことは何ですかと質問されると、すぐさまこれを答える。インタビュアーらはこぞって大爆笑するが、南田にとっては真剣な大問題なのだ。

それにしても暑い。南田は乱暴に背広を脱いで、肩にかけた。黒いストライプのワイシャツの脇が汗染みを作っている。気に入っているシャツをまた汚してしまう。少々潔癖症の傾向がある彼は、無性に苛立ってきた。


そうだ、北海道だ。札幌に行こう。ここより少しは涼しいはずだ。
昨年のツアーのときと同じ要領で、南田は窓口で手早く列車を手配した。
札幌に行くなら、やっぱり寝台列車がいい。東京から札幌まで、ひとっ飛び。ストレスを溜めて不眠がちになっているような時期でも、列車でなら安心して眠ることができた。バスや車だと酔ってしまう揺れも、下を向いて読書などをしない限り、全く問題なかった。

寝台列車『北斗星』に乗り込み、B寝台の1人用個室「ソロ」の下段に入る。シングルベッドに横たわると、不思議な安堵感が南田を包んだ。
列車が動き出した。東京から、山のような雑事から、しばし雲隠れである。
こんなにホッとできるのはどれぐらい振りだろう。すぐに強い眠気に襲われて、南田はスーツのまま、ものの数十秒で深く眠ってしまった。


普段の癖で、体の左側を下にして、うずくまるように眠る南田の横顔は、高くすらりとした鼻や、長い睫毛、シャープに尖った顎の線が一層引き立っている。細身で骨ばった、スーツの似合う体型といい、彼が無闇矢鱈とモテてしまうのは、仕方のないことかもしれない。

寝入ったときと寸分違わぬ体勢で南田は目覚めた。
用を足したくなって、個室を出ると、途端に腹の虫が元気よく鳴り出した。そういえば昨夜は食事をするということも思いつかないほどの慌ただしさで、この列車に乗ってしまった。


通路に降り立って歩き出した途端、首やら肩やらの強い凝りと痛みが急に彼を襲った。個室に用意されていた浴衣にも着替えず、スーツ姿で長いこと眠ってしまったためだろう。南田は札幌に着いたらまずマッサージを受けようと決めた。

食堂車『グランシャリオ』のモーニングタイムで洋食を選び、くつろぎながら朝食を摂っていると、向かいに座っている女性から声をかけられた。
「あの、すみません、南田さん・・・・・・ですよね?バンドの、リズム・・・・・・えーと・・・・・・」
「はい、RHYTHM-Rの南田です」
「ああ、リズム・アールですよね!なかなか読み、覚えられなくて・・・・・・ごめんなさい」
「いいえ」


「リズム・アール」という読みは、ファンにすらちゃんと覚えてもらえないことがある。
メンバーチェンジ前の、オリジナルのバンド名が『RHYTHM&ROLL(リズム・アンド・ロール)』だった。ダンス音楽の「リズム」とロック音楽のロックン「ロール」の融合を表現した。数年後、ベーシストとドラマーが脱退し、ロックン「ロール」部分を直接担う人間が居なくなったので、Rだけを残し、「リズム」「ダンス」を強調した音楽づくりをアピールする狙いで現在の名前にリニューアルしたのだが。


バンドの世間への浸透がいまいち悪いのは、バンド名の読みにくさもあるのだろうか。TMネットワーク、ビーズ、アクセス・・・・・・簡単に読めて覚えられるユニット名ばかりだ。こんなところでも、差は既についてしまうのだ。
「南田さん?」
「あ、はいっ、すみません、考え事してしまって」


すぐ物思いに耽ってしまうのは南田の悪い癖だ。誰といてもいつもそうだ。
大学生の頃、大学近くにあった行きつけのロック喫茶で直子と出会ったときも、次の日が締め切りのデモ音源のことばかり考えていたのを不意に思い出した。出会ってすぐに恋に落ちた。あの頃ふたりは、互いの違いが面白くて仕方なくて、何時間でも語り明かしたものだ。

「・・・・・・疲れていらっしゃるなら、これ以上お話しないほうがいいですよね。失礼しました」
「ああ、すみません。僕なら大丈夫です。・・・・・・札幌へは、お仕事で?」
自分としたことが、よりによって今、直子との出会いを思い出してしまうなんて。確かにひどく疲れているのだが、札幌では気を紛らわせたい。南田は急いでその場を繕った。


「いいえ、観光です。ちょっと仕事やら何やらで嫌なことが続いたもので、気分を変えたくて、有給を取って羽根を伸ばそうと思ったんですよ」
「ああ、まるっきり僕と同じ動機だ、ハハッ。・・・・・・札幌へはどなたかと一緒に?」
「いいえ、ひとりで急に思いついて、寝台を取っちゃったんです。それにしても、南田さんともあろう方が、サングラスもしないで向かいの席にいらっしゃるなんて思わなかった。雑誌にあった、いつも気負いのない人っていう話は本当だったんですね」
「いや、そんな。・・・・・・寝台を思いつきで取っちゃったなんて、あなたもかなり思い切った方じゃないですか。まぁ、僕も同じなんですけど。なんだか僕ら、似て・・・・・・いるんですかね」


そう言ってやっと南田は目の前の女性を、失礼にならない程度に観察し始めた。
朝というのもあるのか、ノーメイク。綺麗な肌だ。無造作なままの艶やかな黒髪、胸くらいまでのロングのワンレン。意志の強そうな、釣り目がちでキリッとした瞳。低い鼻の周りに僅かに舞うそばかす。真っ赤なルージュの似合いそうな厚く大きな唇は、愛情やエネルギーに溢れた証拠だと聞いたことがある。年は20代後半ぐらいだろうか。
全体的な雰囲気からは思慮深い印象を受けるが、行動は大胆。不思議な女性だ。
そして、RHYTHM-RのツアーTシャツ。昨年、94年末の武道館公演の際に会場で限定販売したスペシャルカラーだ。


「このTシャツ!嬉しいな。僕らのライヴに遊びに来ていただけたんですね」
「そうです。本当に楽しかったわ。今年もまた行きますよ。だから、あんまりここでお金を使いすぎないようにしなくちゃいけないんだけどね」
彼女は白く綺麗に並んだ歯を見せて笑った。
「今年はもうすぐ新曲を出して、それからツアーをします。東京は秋か冬になると思います。ツアーTもデザインを考えてる最中ですから、しっかりお金を貯めておいてくださいね」
南田は人をからかう時の癖で、右の眉をちょっと上げて微笑んだ。ファン曰く、笑顔の南田は「目がなくなって」しまうらしい。そして、えくぼが出来るのだとか。


「あっ、えくぼが出来た、目もなくなっちゃった。南田君の笑顔って面白い!」
喫茶店で、微笑む南田を見て、テーブルの向こうの直子が指を差して笑った。
「おい、人の顔を見て指を差して笑うかなあ。それに僕の笑顔が面白いなんて・・・・・・君、怖いものなしだろう。そんなにはしゃいでると、ミートソースが白いセーターにつくよ」
直子は途端に「あっ」と慌てた顔になった。南田の言った通りになってしまった。
南田は意地悪くニヤけた。直子の真っ赤に染まった唇を、セクシーだと感じながら。

「もしかして、場所を選ばず曲が降ってきちゃってる真っ最中だったりします?」
「ああ、うん、そうなんです。でもうまく形にならなくて」
また直子との思い出が蘇ってきた。南田は咄嗟に誤魔化した。
まったく、さっきから、旅先でまで直子はうるさい女だ。

3/5につづく

3~5からは有料(100円)となります。

物語は佳境に入ったばかり。どうぞ引き続きお楽しみ下さい。

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2014年頃に、90年代のロックやポップスに触発されて12作の短編小説を書きました。そのいくつかをここに掲載します。しばらくしたら、数百円…

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