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HONEY(5)

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 ワタルさんが、いつものMilk Barで、いつものように二人で話し込んでいたとき、少し耳に痛いというか酸っぱい忠告をしてきたのも、この頃だった。
 いつからかワタルさんは、Helter Shelterのことや、俺以外のほかのメンバーのことを、よく思わなくなっていた。
「涼はさ、なんか独自の世界があって。河村隆一みたいな? 洋楽の難しいやつがルーツってのは知ってるんだけど、ナルシストってしか周りにはわかってないと思う。ある程度、意欲と能力があるのは、聞けばすぐにわかる。でもお前とは方向性が違うんじゃないか? お前はもっとこう、男くさいヴォーカルとやりたいのを、妥協か我慢してるんじゃないかって」
「悟はいつからか自分を見失っていったな。涼に惚れ込みすぎたのかな。お前と透が何考えてるのか、リーダーとしてバンドをどう引っ張っていくべきか、今何をすべきか、見えなくなってる。涼の退廃に溺れて、ヤケになってるのかな。あいつらはどういう間柄なのか、俺には全く理解できないけど、最近のあいつ、まるで涼の奴隷みたいに見える。目が死んでる」
「それで透はお前のことが好き。なんだけど、あいつの場合、基本『みんな』が好きなんじゃないかな。『みんな』を守るためにドラムをやってる。そういう使命感が見える。だからといってあいつが自分で何かしたいとかはない。あいつこそ自分がないんだよ。中学の頃からお前の子分か奴隷みたいな感じだった。多分あいつは音楽のこともドラムのこともそんなに好きじゃないんだよ。お前が好きで、『みんな』と繋がるのが好き。そういう奴だ」
「そんな奴らと、潤、お前は本当にずっと一緒にやりたいか? お前はプロに真剣になりたくてがっついて頑張ってる。きっともっと本物のメンバーとやるべきだ。ヘルシェルは、バラバラで中途半端だ。今に潰れる」
 ワタルさんが、喋りたいように好きなだけ喋っているのを、最後まで聞くのも苦しかったけど、唇を嚙みしめて最後まで聞いた。そして俺は怒鳴った。
「あいつらをバカにするな! 俺の仲間たちをバカにするのは、俺をバカにするのと同じだ!」
 それまで、ワタルさんにそんな真っ正面から、悪態に近い反論を言ったことは決してなかった。
「悪いな。でも、それが果たしてお前の本気かな?」
 そうやってワタルさんと揉めたのが、11月くらいのことだったけど、ワタルさんのその言葉は、俺の気持ちにも確実に波紋を広げていった。
 練習していて、ライヴしていて、音源を聞き返していて、もどかしさばかりが胸に浮かぶ。「ああだったら」「こうだったら」が次々と浮かぶ。
 悟にはもっとトリッキーに弾いてほしい。トム・モレロみたいにとまでは言わなくても、音でぶつかって来てほしい。もっと本気を出してほしい。悟が死んだ目をするようになったのは、涼と出会ったからだけじゃない。それ以前からのことだ。ずっとそばにいた俺にも、何が原因なのかわからない。引きこもり姉貴みたいな感じだ。悟の身にはきっと何かがあったんだ。でも悟は決して俺には何も打ち明けてくれない。生きる気力をなくして、楽しくないのに無理に笑って、面白くもない冗談を言って、カラカラ笑って。あいつは、どうしてあんなになってしまったんだろう? 俺が引きこもり姉貴を助けてやれないのと同じように、悟のことも助けてやれないし、あんなに仲良くしてたのに、どんどん心の距離が離れていった。そしてあいつはいつの間にか大人びた男になった。陰の色気っていうのか、明るくもたくましくもないのにあいつは妙にモテて、そこら中の女を貪っている。悟には俺に動かせない、届かない、何か特別なものがあるんだ。でも俺にはそれを絶対に取り出せない。それを音楽で思い切りぶちまけてほしいのに。いつもどこか虚空や、足元ばかりを見ている。
 透にはもっとワイルドになってほしい。レッド・ツェッペリンのボンゾとか、フーのキース・ムーンみたいに。ドラムセットをぶち壊せとまでは言わないけど、それくらい、強引で、俺様な感じを。俺たちの言うことをうんうんと聞くばかりで、骨がない。俺のスタイルは歌や楽曲を大切にしたシンプルなものなんだが、それでドラムに骨がないと、ただなよっちい、頼りないものになっちまう。透に腕力がないとか実力がないとかそういう話じゃない。リズム隊は、もっとどっしり構えて、時にぶつかり合って、歌を支えていくものだろう?
 涼に関しては、スタイルが違いすぎて、初めから「こうなってほしい」とは見られなかった。加入したときに反対することもできたかもしれないが、高校生の友だち同士のバンドで細かな音楽性の一致まで望むことは難しいし、涼以上の実力と個性のある奴はなかなか見つからない、と判断して俺も最後になってOKサインを出した。リスペクトはしてる。あいつがいなければ『バンド見本市』だって受からなかったし、セミプロのような今の活動だってできなかった。俺は今の場所から出ていこうとしてるが、実力と魅力のあるあいつがいなかったら今の場所にすら来られなかったんだ。でも、俺のやりたいこととは違う。
 悟が、透が、涼が、今までと同じポジションにいるのに、すごく遠くにいるように感じた。
 ずっと楽しく、仲良くしてた奴らと、同じでいられなくなるのは、いつの間にか見下しているのは、追い越していくのは、とても、哀しい。

 そんないわゆる「傷心」の俺に、さらに爆弾をぶち込んできたのが、かおりだった。
「ねえ、今まで秘密にしてたことがあるんだけど」
 いつもの週末、もうセックスも形ばかりになり果てようとしかけていた時期、あいつは急にそんなことを言い出した。
「何?」
 ずっとつれなくしてた、俺への仕返しや当てつけだったのかもしれない。
「あたし、小学生の終わりから中学の頃、ずっと、悟と付き合ってたの」
 思わず息を吞んだ。でもかおりの言うことはたぶん事実だ。かおりも、悟も、ずっと一緒にいたから、バカな俺だって、あいつらが今までと何かが違ってたことくらい、なんとなくわかった。3人で、気づかない振りや、隠してる振りをし合ってた。俺が傷つくのがわかってるからかおりも悟も俺に気を遣ったんだ。この野郎ども。
 かおりのデカい胸や尻を頬張って、舐めまくって、あんな体位もこんな体位も、しらっとした顔つきで全部やり尽くしたんだ。他の山ほどの女を抱くのと同じ位置づけで。俺の女神を汚して、平気なツラして、のうのうと俺と仲良くしてた。悟、悟、あの野郎。どうしてあいつなんだ。どうしていつもあいつなんだ? どうして俺じゃダメなんだ? 何がダメなんだ? 俺が貧乏だからか? 弱虫で女物の服を着て泣いてばかりいたガキだったからか?
 俺はかおり以外のどんな女にも手を出さなかったし、これまでにたくさんの告白を断り続けた。童貞童貞って悟にバカにされても絶対に手を出さなかった。他に誰のことも見なかった。今だってかおりを失ったら他に抱きたい女なんかいない。それなのに、あんなフラフラしてる悟が、どうして昔から、ずっと俺から、かおりを奪うんだ? あいつより俺の方が遥かにプロに近いし、そもそもあいつははっきりした目標も持たずに漂っているだけだ。そんなゴミ野郎がどうして?
――自分の幼なじみを「ゴミ野郎」って思った俺自身に死ぬほど自己嫌悪がした。最低だな、俺。
 あらゆることが俺の思うままになってきたけど、悟だけが、悟とかおりのことだけが、いつもずっと思うままにならない。

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