見出し画像

Prism(1)

 僕の世界が光を失ったのは忘れもしない、2014年のことだった。
 2014年、僕の憧れのサッカー選手、長谷部誠がブラジルでワールドカップを戦っている年、僕は毎日サッカーボールを蹴っていた。小学生から高校3年生までずっとサッカーを続けていて、長谷部と同じミッドフィルダーを任されて、余計なことは何も考えず、ただ前だけ、ただサッカーのことだけ見て生きてきた。毎日ボールを蹴っては、長谷部の大好きなミスターチルドレンの『終わりなき旅』の入ったアルバムをウォークマンで聴いて、部屋にでかでかと掲げるように貼った日本代表のポスターを眺めていた。
 僕は完璧だった。僕の選択は必ずみんなに支持され、僕の一挙手一投足によってしばしばゲームの流れが決定された。世界は僕の思い通り動くように感じられた。
 そうやって大人になってずっと生きていけるんだと信じていた、夏のことだった。
 僕たちの高校のチームは全国大会の地方予選に出場した。一試合、また一試合と勝ち上がり、あと一つ勝てば準決勝が見える。そんな矢先、僕がミスをした。不意のボールロスト。その球は相手に渡り、シュート、ゴール。それが逆転の決勝点となって僕たちは負けた。
 僕一人のミスさえなければ、僕一人のロストさえなければ勝てたのに。
 控え室に戻るやいなや僕は顧問に拳で頬を思い切り殴られた。
「申し訳ございません!」
「うるせぇ、クズ!」
 僕の謝罪は顧問に一蹴され、それを合図のように、チームの誰もにこてんぱんにけなされた。顧問だけでなく、同じイレブンのメンバーからも、試合に出られなかった補欠のメンバーや後輩からさえも。
「中澤(なかざわ)のせいだ」「あいつにボランチなんかさせなければ良かったのに」「雄登(ゆうと)はマジクズだ」「メンタルの弱い情けないヤツ」
 みんなの目線が、言葉が、僕を責め、火であぶり、痛めつけた。誰も僕を擁護してはくれなかった。帰り道、聞き慣れた『終わりなき旅』が、僕にはとても届かない、遥か遠くのことのように感じた。
『高ければ高い壁の方が 登った時気持ちいいもんな』
 僕は胃腸は比較的丈夫な方だが、座右の銘と化していたそのフレーズに、胃のもたれるような圧を感じた。心が弱っている人間にとって『終わりなき旅』が厳しい曲であることは、後になって知った。
 それから、部活に行くたび、みんなに無視され、悪口を投げつけられ、カバンの中にはゴミが投げ込まれるようになった。あるとき、メンバーに殴られたので、殴り返したら、喧嘩になった。お互い血を流すまでやりあった結果、僕だけが顧問に怒られてまた殴られた。
 家に帰って、部屋に帰っても、みんなの目線や言葉が見えたり、聞こえたりするようになった。よく眠れないようになった。怖くて、ベッドでシーツをかぶっても、長谷部たち日本代表のイレブンは僕を守ってはくれなかった。僕はポスターを剥がし、ミスチルを聴かなくなった。ずっと絶対的な居場所だったはずのサッカー部を退部した。元々地方予選の最後の試合で卒業の予定だったが、その試合以来、僕が再びサッカー部に足を運ぶことはなかった。
 高校は辛うじて卒業し、学力の低い私大に入学することができたが、みんなの目線や言葉は消えず、初めの数ヶ月で大学から足が遠のき、僕はやがて引きこもりになった。じくじくと傷が疼くように僕の心は憂鬱さと罪悪感に苛まれ続け、傷つき続け、そのたびに痛む箇所をかばって世界と自分の内部に逃げていった。何もかもがうるさくて、心の中で、時には実際に、耳をふさいだ。
 僕は自分だけの世界を作って要塞を築き上げてそこに篭もった。昼間に起き出して朝が来るまでネットゲームとインターネットをやり続けた。ニルヴァーナやレディオヘッド、深夜でもぎらぎらと流れて止まないラジオの音楽が、僕とパソコンの僅かな合間を埋め尽くすように絶えず流れていた。自分だけの世界は誰からも攻撃されず居心地が良かった。このまま、ずっとここでこうやって暮らしていこう。そんな風に何日も何週間もあっという間に過ぎていった。
 窓はずっと閉ざしたままで、食事は摂ったり摂らなかったり、ヒゲも髪も伸び放題、お風呂にもあまり入らない。
 そのうち母親に強引に部屋から連れ出されて精神科にかかった。『統合失調症』『抑うつ状態』そんな病名を医師は僕に告げた。母親はその場では強張った表情を崩そうとはしなかったが、家に帰ると泣き声が聞こえた。気丈な母親が泣くのは僕が知っている限り初めてだった。僕はそんなことをさせるほどにクズに成り下がっていたのだ。
 クズ、クズ、クズ、クズ。ゲームにのめり込んでいるときは聞こえなかったみんなの声が、また聞こえ出すようになった。クズ、クズ、クズ、クズ。
「違う、違う、違う、違う!」
 僕はそのたびに叫んで、それらの声を打ち消そうとした。でも声はやまなかった。クスクスクスクス、やがて笑い声も混じるようになった。
「違う!」
 僕は一人きりで、自分で築き上げた居城の中で行き詰まり、もがいていた。頭を抱え、壁に叩きつけ、転げ回り、叫び続けた。本棚を何度も倒した。倒したままの大量の本と本棚がそのままになって、部屋は手がつけられないくらいメチャクチャになった。それは僕の置かれていた混沌をそのまま表していた。僕は自分でも自分がどうしようもなく壊れていくのを感じていた。でも何もできなかった。
 舞依(まい)が僕の部屋の前に初めて現れたのはそんなときだった。
 僕を心配した母親が、連れてきた。傾聴ボランティアの小花(おばな)舞依さん。そう説明を受けた。僕の話を何でも聞いてくれるのだという。俺には話すことなんて何もない。そう吐き捨ててその日は部屋のドアを一切開けなかった。舞依は一週間おきに僕のもとを訪れるようになったが、その次もその次も開けず、舞依には一言も話させず、僕は心を閉ざし続けた。
 4回目のときだった。
「じゃあ、私の話、聞いて」
 話すことなんてないという僕の言葉に舞依は柔らかい口調で静かにそう重ねた。
「私って、ヘンなの。みんなとどこか違うの。それが何か、なんでなのか誰もわからないの。子どものときから、いつも一人で浮いてた。でも、傾聴ボランティアの相手の人とだったら話せるの。聞けるの。私もきっと苦しいのね」
 そう言った後、舞依のすすり泣く声が聞こえた。
 僕は思わずドアを勢いよく開いていた。舞依は黒く長い髪を後ろで一つに束ね、清楚な花柄の青いワンピースを着ていた。小さな身体を丸めるようにして、顔を覆って泣いている。首筋には白いうなじが見えている。気が付けば手を差し伸べていた。僕はきっとひどく匂っていただろう。しかし舞依はそれに一切構う素振りを見せなかった。僕の差し伸べた手を握り、瞳を涙で濡らしたまま、顔を上げた。
「今度は雄登くんのお話も聞かせて」
 そう舞依にせがまれるままに、僕はこれまでの20年間のことをぽつぽつと話し始めた。週を重ねるうちに、数回に分けて全ての過去や苦しみを、舞依に話してしまっていた。舞依に会うために、シャワーやお風呂に入るようになり、ヒゲを剃った。床屋にはまだ行けなかったので、伸ばし放題の髪をとかして後ろで束ねた。部屋はできる限り整頓し、倒した本棚は母親や不在がちの父親が手伝ってくれてきちんと元あった場所に立て直した。掃除機をかけ、窓を開けて換気し、カーテンには防臭スプレーをかけるようになった。
「少し入院することにするよ」
 舞依に全てを話し尽くした数週間後、僕は舞依にそう告げた。以前からの母親の忠告を受け入れることにしたのだ。
「お見舞い、行かせて」
 舞依は黒い瞳を少し湿らせて、しばたたかせながら僕にそう懇願した。
「ありがとう。でももう少し落ち着いて、元気になってからまた会いたい」
 会いたい。それは僕がこれまで抱いたことのない感情だった。舞依に会いたい。会いたい。そんな感情が、1週間に一度、舞依に会えるまでの6日間、僕の胸を埋め尽くしていたのだ。だからこそ僕はきちんとまっさらになってちゃんとしたかった。
 3ヶ月の入院を終え、髪を短く切り揃え、僕は僕の望むそういった準備を全て済ませることができた。僕の胸に嬉しそうに飛び込んでくる舞依のことを両親の前で、正面から抱きしめた。僕の世界が再び光を取り戻したのは忘れもしない、2016年のことだった。

いつの日か小説や文章で食べていくことを夢見て毎日頑張っています。いただいたサポートを執筆に活かします。