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HONEY(3)


 サッカーが好きだから「サッカー選手になりたい」と言う俺の思考は単純で、そこに理由なんて大して必要なかった。好きだから、それでプロになって、頂点を極めたいって思うのなんか当たり前だと思っていた。そういう単細胞な理屈で、最初はプロのバンドマン、ベーシストになりたいと思っていたけれど、本当に強く決心する理由は他にもいくつかあった。
 まず、俺には姉貴が3人いて妹もいる、つまり5人きょうだいって話をしたけど、頭のいい奴なら察しがつくと思うけど、俺の家は貧困なんだ。親父の稼ぎがあまりよくなくて、肉体労働の仕事をプツプツ途切れながらしていて、もちろんそれだけで家族7人が食べていけるはずがない。それでお袋が近所の八百屋でパートのような感じで働いて、でもまだまだ足りない。一番上の、男をとっかえひっかえ食いまくってる「アバズレ姉貴」が働いてて、結婚しないで家に稼ぎの多くを入れてくれてる。二番目の、男同士の漫画描いてハァハァ言ってる気持ち悪い「やおい姉貴」も働いてて、金を入れつつ、趣味で同人誌描いて売って楽しそうにやってる。三番目の姉貴はパンクが好きで、俺といちばん気が合う姉貴だったんだけど、なんかのきっかけで引きこもりになっちまって、ほとんど家にいるから「引きこもり姉貴」。この姉貴は外に出られないので稼ぐことはできない。妹はバカだからそのまま「バカ妹」で、まだ中学生だ。それぞれ、減らず口を叩きまくる、どうしようもない姉貴たちなんだが、いつも稼ぎを少しずつ俺に分けてくれる。バンドの活動で忙しすぎて、ろくにアルバイトもできない俺の夢を支えようとしてくれる。
 親父を見てると、わかる。俺はこのまま普通にしてたら絶対に同じ道しか歩けないってこと。つまり、高卒で肉体労働みたいな割に合わない仕事しか就けなくて、稼ぎも悪くて、俺の嫁さんや子どもも貧困になるってこと。オアシスのリアムとかノエルみたいな感じだ。彼らも言っている通り、貧困から抜け出すには、スーパースターになるしかない。だから俺の夢はサッカー選手で、プロのベーシストなんだ。それ以外の道は考えられない。
 悟や透も、そのあたりのことは、大体知っている。あの二人は経済的に俺なんかより遥かに裕福だ。特に悟は、家にプライベートスタジオじみたものを親父さんに作ってもらえるほど裕福で、親父さんから溺愛されてる。透も親が公務員だから安定してる。あいつらが、よく俺みたいな貧乏人と友だちになってくれてるなって、つらいときもある。二人とも、よくも悪くも「理解がある」からな。でも俺は知ってる。悟が昔、よく顔とか身体にアザや傷を作ってきてたこと。あいつはどうも、ガキの頃にお袋さんに何か手を出されていたらしいんだ。多分それで悟の親父さんは離婚して一人で悟を育ててる。あいつ自身がそういう話を何も打ち明けないし、気配一つ見せないから、俺は何も言わないし知らない振りをするけど、裕福だからって幸せとは限らないらしい。
 もう一つ重要な理由がある。Helter Skelterをやってるうちに、SKUNKのメンバーとすごく親しくなって、俺は本当の弟みたいに可愛がってもらえるようになった。ギターのリオさん、ドラムのマコトさん、ベースのキタダさんと、メンバー全員、男らしくて、優しいけど、特にギターヴォーカルのワタルさんは、本当に俺によくしてくれる。カリスマで、才能の塊みたいな人だけど、ガキの頃に親が自殺したりしてすごく苦労してて、だから貧困を抱えて一人で困ってる俺みたいな奴に特に親しみが沸いたらしい。悟にも透にも言えないつらいことを、いっぱい聞いてもらった。それで、かおりと出会う前後の時期に、ライジングサンロックフェスティバルがあって、「潤一人の分のチケットしか取れなかったから、他の奴らにはすまんが、黙っててくれ」と言って、ワタルさんたちが俺をライジングサンに連れていってくれたんだ。生まれて初めて観るロックフェスティバルで、バカでかいコンサートで、生のブランキ―・ジェット・シティやら、ミッシェル・ガン・エレファントやら、椎名林檎、ナンバーガール、スーパーカー、ハイロウズ、ブッチャーズと、夢みたいなアーティストが次から次へと出てきて、もうとにかく信じられないような光景だった。そこで俺は泣いた。こんなふうになりたいって思って。こんなふうにデカくなって、大勢の観客の心を震わせてみたいって。若い奴からおじさんおばさん、ロック好きな親父とお袋を持った何も知らない小さなガキども、ロックで元気なじいさんばあさんまで、皆の心を一つにして、震わせてみたいってね。
 だから俺はどうしてもプロのベーシストになって、ここから抜け出して、ロックスターにならなきゃならないんだ。

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