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HONEY(4)


 秋が過ぎて、冬になった。
 Helter Skelterの練習やライヴに加えて、俺はワタルさんに勧められ、プロのベーシストがときどき札幌に来ることを利用して、月一回くらい個人レッスンを受けるようになった。
 透の兄貴の豊(ゆたか)さんが、仕事のついでに、俺を札幌まで乗せてってくれる。で、レッスンスタジオに着いて、そこでとにかく、とにかくしこたま叱られる。サッカー部の顧問や、ワタルさんにも言われたことがないくらい、厳しいダメ出しばかりされて、まるで褒められない。ほとんど𠮟られてばかりいる。心も身体もぐったり萎れた俺を、かおりが迎えに来る。
「ダメだ。俺はとてもじゃないけど耐えられない。プロのベーシストになる前に、俺のメンタルがやられちまう」
 いつもなら、かおりの前では絶対に弱いところなんか見せないけれど、この先生とのレッスンに関しては、そんな自分で決めた決まり事を守り切る余裕も持てなかった。
「しっかりしなさいよ。何のために慣れない運転して、わざわざ毎回来てやってると思ってるの。札幌の道なんて、もう、運転しづらいったらありゃしない!」
 まだ免許を取りたてのかおりは、癇癪を起こしながら、必死に札幌の複雑な道のりを運転してくれる。
「ごめんな。俺のために、苦手な運転させて」
「何しょげてんの! 元気出しなさいよ。運転だっていつかうまくなるわよ! あんたの夢を直接応援できる場面なんて、このくらいしかないんだから」
 実際、かおりの言う通りだった。
 俺は、かおりの住む札幌近郊とは離れた虹ヶ丘で、Helter Skelterの活動に明け暮れて、レコーディングをしたり、俺らの拠点となっているライヴハウス『Milk Bar(ミルク・バー)』やその周辺のライヴハウスなんかで四六時中ライヴをして、練習してる。その合間に高校に通って適当に勉強した――まあ正直に言うと、ほとんどは寝てた――。夏休みの合宿で応募した『バンド見本市』というオーディションに合格してオリジナル曲をオムニバスアルバムに収録させてもらって以来、地元FM局で曲がたびたびかかるようになり、俺たちは「ヘルシェル」ってあだ名もついてファンにチヤホヤされるようにもなって、地元のテレビやラジオにちょっと出させてもらったり、フリーペーパーにインタビューが載ったりするようになっていた。少しばかり顔と名前が知られている俺は、かおりのことをそういう場では隠さなければならなかった。地元のファンやメディアに見つからないように、週末に変装して出かけていったり、豊さんの車に乗せていってもらったりして、辛うじて週1ではかおりに会えていた。
 かおりにできることといえば、週末に俺と会うことと、こうやってレッスン帰りの車出しをしてくれることくらいだった。
 レッスンの帰りは、かおりの車を適当にどこかに停めて、札幌のカフェとかで一緒に飯を食って、ボウリングしたり、プリクラ撮ったりして、それでススキノのホテルでさんざっぱらセックスするか、小樽あたりまでドライブに出かけて景色を見て飯を食ってホテルでセックスするか、というお決まりのコースが出来つつあった。そのうちに体力や気力なんか、とうに使い果たしちまっていて、栄養ドリンクをキメてホテルでかおりを押し倒すも、気が付けばいつの間にかかおりの横でビービーいびきをかきながら何時間も寝ていた、なんてことがしょっちゅうになっていた。それで、虹ヶ丘までの帰り道も、やっぱりかおりの隣でずっと寝ていて、家に着いてももうすぐにバタンキューって感じで延々と大いびきをかいて寝ているらしくて(クソ姉貴たちに「いびきがうるさくてどうしようもない」としょっちゅう訴えられるから知ってる)、一人きりで起きて、俺は誰へともなく「じゃあ俺は、どうすればいい?」なんて独りで怒鳴ったりしていた。
 クソ姉貴たちに、よく、こんなことを説教されるようになっていた。
「潤、あんたねぇ、かおりちゃんを運転手か何かのように思ってんの? かおりちゃんはあんたの召し使いか何かなの? そんなんで、本当に結婚できると思ってんの? あんたはかおりちゃんを一体どうしたいの?」
「うるせえな! バツイチは黙ってろ!」
 一番上のアバズレ姉貴は離婚して家に戻ってきたが、姉貴たちのうち、結婚した経験があるのはこのアバズレ姉貴だけで、この姉貴が一番的を射てて耳に痛い忠告をしてくるから、俺も逆上してイライラしちまう。
「かおりちゃんにもそんな口聞いてんの? 街中でチヤホヤされてプチ有名人になった気でいるけど、そんなんで本当に全国区のプロになれると思ってんの?」
「黙れこのクソババア!」
 でも、もしかしたら、直接言葉にしないだけで、かおりも同じように思っているのかもしれなかった。
 俺たちは昔のようにただ一緒にいるだけで笑い合ったり、「潤はバカだから」ってかおりや悟にバカにされて「うるせえな! 悟なんてナニは俺の半分しかないのに」なんて頭の悪い減らず口を叩いて二人にもっとバカにされたり、かおりとバカみたいに一日中セックスしたり、手を握ってあちこち好きなだけ好きなところを二人で歩いたり、そんなガキみたいな無邪気に楽しいやりとりや時間ってのが全然築けなくなっていた。そういう時期や、関係性から、まるで気づかぬうちに卒業しちまったみたいだ。
 いつだったら、いつ付き合い始めたら、俺たちは最高に幸せでずっといられたのかなって考えたりもした。
 やっぱり中学の頃。ガキで、バカで、まだ自分がサッカー選手になるのかミュージシャンになるのかもはっきり決めてなくて、ただベースを弾きまくったり、ステージ上で暴れたりするのが、楽しくて楽しくて仕方なかった頃。悟と透と、悟の家とか小さな貸しスタジオで、バカでクソな話をしまくって、練習も目的なんてなくてダラダラと好きな曲やフレーズばっかりやみくもにぶつけ合ってはしゃいでた頃。悟と下ネタの話を一日中し続けて、あの体位がどうの、全部の体位をマスターするぞ! って二人で意気込んで大研究をして、透にすごい顔でうんざりされた頃。
 そんな頃に、かおりが彼女だったら、最高に楽しかったのにな、と思った。

いつの日か小説や文章で食べていくことを夢見て毎日頑張っています。いただいたサポートを執筆に活かします。