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Prism(2)

 退院してすぐに僕たちは付き合い始めた。
 僕は母親や舞依の勧めで、入院していた精神科の五芒星病院のデイケアに通い始めた。僕くらいの歳の若い人からおじいさん、おばあさんまで、精神を病んだ人々が社会に戻るためのリハビリの場所だ。スポーツをしたり、絵を描いたり、自分の病状を話し合ったり。僕はそこで週5日はスポーツをしていただろう。バスケ、バレー、バドミントン、ソフトボール、そしてフットサル。一日中身体を動かしている日も少なくなかった。思うままに身体を動かして、毎日しっかり服薬していると、病状はみるみる安定していった。自由だ。そう感じた。病気を抱えた僕を、ここでは誰も見下さず、同じ仲間として扱ってくれる。いつも周りに同じような仲間がいる。それが僕を心身共にのびのびとさせてくれた。心の中にずっと張っていた霧が、スッと晴れていったような実感を何度も覚えた。
 デイケアが終わると舞依に会った。舞依は大学3年生になっていた。平日の夕方と週末に僕たちはいつも、僕の部屋と舞依の一人暮らしのマンションを往き来した。
僕たちはいろんな話をした。僕のデイケアでの話、主にスポーツのプログラムでの出来や、友だちになったメンバーの話。舞依の傾聴ボランティアでの話、変わっているが魅力的な患者さんのエピソード、そして大学生活。
 僕の部屋で、ベッドに腰掛けながら二人でよくミスチルを聴いた。二人隣り合わせに並んで座って、時々手を繋ぎ合って、舞依のスカートからのぞいた太ももを撫でて。
「雄登くんはどうして古い曲ばかり聴くの? 最近も曲出してるのに」
「昔の方が名曲が多いんだ。それに、子どもの頃からずっと聴いてるから、落ち着くんだ」
 僕が好きなのは『終わりなき旅』の入ったアルバム『DISCOVERY』やそれ以前の『深海』や『Atomic Heart』に収録された曲ばかりだった。僕は再び『終わりなき旅』を聴くようになったけれど、舞依はもっとロマンチックなラブソングを好んだ。『抱きしめたい』とか『Youthful Days』とか『雨のち晴れ』とか。
 その中で、舞依が特にお気に入りの曲があった。『Prism』だ。
「切なくて、二人のすれ違いが、やるせなくて、いいの。何かと引き替えに、何かを失っていく感じ。メロディの感じも、優しくて、まるで包み込んでくれるみたい」
「悲しい曲なのに、包み込むみたい?」
「そう。切なさに包み込まれるみたいな気がするの」
 僕たちはミスチルの楽曲に包まれながら、日本代表のイレブンに見守られながら、何度も身体を重ねた。最初はお互い初めてだったから、僕はつたなく、ぎこちなく、ひたむきに舞依を求めた。キスから先には、すごく慎重に、ゆっくりゆっくり進んだ。服を全部脱がせたとき、ためらって身体を隠し、そっぽを向いてしまった舞依に「きれいだよ」と言ってあげると、舞依の小さく厚い唇がそっと開いて、瞳はうっすらと涙がにじんで、「いいよ」とつぶやいた。そうして僕たちは初めて結ばれた。夜を重ねるごとに、僕たちは懸命に、深く、熱くお互いを求め合うようになっていった。笑い合って、抱き合って、そうしてまた笑い合って、疲れ果てて二人で眠った。
 僕たちは幸せで、満たされていた。心の底から。
 そんな日々が2~3ヶ月続いた頃だった。舞依が大学に行けなくなっていったのは。
 人間関係がうまくいかず、就職活動もどうしたらよいかわからず、落ち込んで、混乱して、どうしていいかわからなくなって、学校に行けず、引きこもりがちになってしまうのだという。傾聴ボランティアもなかなか参加できなくなっていった。
 五芒星病院を受診すると、『広汎性発達障害』と診断されたのだという。
「今まで自分は困ってる誰かを助けてあげる側だと思ってた。なのに、本当は私が助けてもらわないといけない立場だったなんて・・・・・・」
「昔から『何かヘン』だったと気づいてた。でもどこにでもある話だと思ってた。なのに、生まれつき脳の仕組みが偏っていて、みんなと同じに生きれないようにできているなんて・・・・・・」
 そう言って舞依は僕の胸で何度も泣いた。付き合い始めはニコニコ幸せそうに笑っていたのに、その頃からは、苦しそうな顔、泣いている顔ばかりになった。僕は戸惑いを覚えるようになり始めた。それが舞依の「普段通り」であることに気付くのに時間がかかった。出会ったときや、付き合い始めの姿は、僕のために付けた仮面だったことも。よかれと思って、舞依の相談事やグチにアドバイスすると、かえって舞依は怒ったり泣いたりしてしまう。どうしてやっていいのかわからない。ただ聞いてやるしかない。これが傾聴ボランティアなのか。立場が逆だな。僕はそんな皮肉も腹の底で浮かべた。
「子どもの頃から、ありのままを両親に受け止めてもらえなかったの。ずっと傷ついてきたの・・・・・・」
「愛されなくなるのが怖いの・・・・・・」
 僕に向けられる舞依の言葉は、日に日に重くなり、LINEにも毎日長文のメッセージが送られるようになっていった。
 僕だけに心を開いてくれている。受け止めてやりたい。そう考えて、泣いている舞依の顔が少し可愛くて、一所懸命、抱きしめてやることしかできなかった。

 2018年、僕は週の半分デイケアに通い、残りの半分は、就労継続B型事業所に通い始めていた。B型事業所は、仕事というよりは勉強の場所だった。テキストを使ってパソコンの勉強をするのが中心で、たまに簡単な事務の手伝いをする。それで一日200円ほど、皆勤すると2万円のクオカードがもらえた。
 デイケアでは、フットサルにますます打ち込んでいた。デイケアのメンバーでチームを結成してリーグ戦にエントリーし、毎月よその病院のチームと戦うようになった。メンバー同士でグループLINEも作った。さらに、チームの先輩たちに誘われて、市内のフットサルスタジアムや体育館にも通い始めた。月と木と土の週3回、フットサル漬けの生活だ。あとの日はジムに通ったり家で筋トレをしたりしてひたすら身体を鍛えた。
 ボールを蹴っていると、自分を表現している、と感じられる。他者と関わっていることも実感できる。のびのびとした気持ちだ。ここに自分がある、自分らしさがある、自分でいられる。ボールやフットサル仲間は僕の思う通りに動いてくれる、思った以上を汲んでくれる。そう考えていた。
 リーグ戦やフットサルスタジアムでフットサル繋がりの仲間が増えた。他の病院のデイケアや事業所のメンバーともLINEで連絡を取り合っては、フットサルをやったり、観たり、遊びでもつるむようになっていった。ワールドカップもフットサル仲間と観た。僕たちが長く親しみ、敬愛を抱いてきた、長谷部や本田の代表引退を嘆きながら、大迫や柴崎や昌子の台頭を喜んだ。もちろん、長谷部のことは一生尊敬するし、ついていくし、『終わりなき旅』も大切な宝物だ。
 社会人との交流も多くなり、フットサル仲間や、デイケアの仲間が少しずつ就職し出して、自分も障害者枠で就職したいと考えるようになっていった。僕は社会的にも前に進みたい、真っ当に社会やフットサルと関わりたい、このままじゃだめだ、そう思うようになっていた。
 舞依のことは・・・・・・忘れかけていた。
 舞依は発達障害当事者の会に熱心に通うようになっていた。僕と同じ五芒星病院のデイケアも通ってみたが3ヶ月ほどで人間関係に躓き、やめてしまった。大学も休学。当事者の会以外は病院の通院くらいしか外出しない、引きこもりに近い状態だ。
「つらい」「苦しい」「悲しい」「憂鬱」「昔のことを思い出してつらい」と、後ろ向きでネガティブなことばかり言うので、次第に話を聞くのがおっくうになってしまった。二人でいても、舞依のグチを僕が聞くばかり。だから僕は話をあまり聞かなくなった。適当にあいづちを打って、聞いている振りをした。
 二人でサッカーの試合を観ていても、舞依はぼんやりしていた。それで舞依の好きなドラマを一緒に観ていても、ドラマの世界は僕にとってはままごとのようで、ばかばかしく、ついついスマホをいじっては、舞依に怒られていた。
 身体を合わせることはほとんどしなくなっていた。舞依に対して、性欲が湧かなくなってしまっていたのだ。性的な相手、対等な相手として見られない。子どもか妹のようにしか認識できない。部屋の中、ベッドの横の、巨大なキティやマイメロのぬいぐるみや、レースやピンクで彩られたシーツやカーテンなどに、年齢不相応の幼さを感じて、萎えてしまう。
 自分の病気の話ばかりして、発達障害コミュニティの人とだけ固まっている。いつも重苦しい陰鬱な表情をしている。会えない日は毎日のように、自分がいかにつらくて憂鬱な気持ちで、落ち込んで、泣いているのか、日記のような長文LINEを送りつける。そんな舞依のことをいつしか僕は「かわいそう」と感じるようになっていた。毎日活動していて就職も見えている自分と、活動できなくて居場所もない舞依を比べて、「住む世界が違う」と感じだした。

 そして今、2019年、僕は毎日就職活動に打ち込んでいる。
 2018年10月から就労移行支援事業所に通い始めた。皆が男女でワイワイ盛り上がっている中、脇目も振らず、トレーニングに精を出した。パソコンのトレーニング、電話応対の練習、ディスカッション、履歴書や職務経歴書作り。休憩時間はスマホで音楽を聴きながら、自己啓発書や長谷部の『心を整える』を読んだ。LINEのステータスメッセージは『終わりなき旅』のフレーズ『高ければ高い壁の方が 登った時気持ちいいもんな』にした。誰も人を寄せ付けず、「俺は人と違うんだ。絶対に就職するんだ。絶対に就職して障害者の世界を抜け出して、社会と対等に関わり、認められるんだ」と、がむしゃらにかたくなに走り続けた。
 周りには、いろいろな障害を持つ人がいたが、僕はその中で誰よりも能力が高く、誰よりも障害が軽く、扱いに長けていて、誰よりも就職に近いメンバーだと、常に他者と自分を比較してひりついていた。出し抜いてやる。いつもそう考えていた。
 移行支援事業所のメンバーとはあいさつや雑談程度しか関わりを持たず、LINEでフットサル仲間と繋がっていて、トレーニングの帰りに仲間とつるんで、フットサルをしながら、仲間と近況を報告し合った。その中でも僕が一番抜きん出てやるというライバル意識を強く持っていて、心安まるときや場所はもうなかった。
 書類を作って、ハローワークに通って、毎日のように書類を出して、それが通ったり通らなかったりして、ときどき面接を受けて、どれ一つ花咲くことはなく、そのたびに心は折れた。僕が思っているほど、僕という人間は価値がないのだろうか?
 舞依とはもうほとんど会わなくなっていた。
 第一志望の会社の面接の前日、舞依に「どうしても会ってほしい」と言われて、数週間ぶりに舞依の家で二人で会った。
 舞依は思いつめた表情で、次々に言葉を繰り出した。
「私のこと、わかってほしい」
「向き合ってほしい」
「捨てないでほしい」
 それらはいつもの台詞と似ていたが、普段の弱音ではなく、真剣なストレートな訴えであることが感じ取れた。
「どうしたんだよ、急に」
 僕はうろたえた。
「何となくわかってるの、気持ちがどんどん離れていくこと」
 僕の本心を見抜く発言だった。舞依の両目はいっぱいに潤んでいた。一方で、明日の面接で話すべきこと、すべき振る舞い、家を出るべき時間、面接会場への道のりが頭をちらついてきた。混乱してきた僕は次第に面倒になり、苛つき始めた。
「どうしてこんなタイミングでそんなどうでもいい話をするんだ? どうしてお前は俺の都合を考えないんだ?」
 舞依は信じられないという表情を浮かべていた。僕は止められず続けた。
「私のことわかってわかってって、それじゃあお前は俺のこと、いつ? わかってくれた? どうしていつも一方通行なんだ? やっぱりお前は一生空気読めないよ!」
 舞依は少しの間、凍りついた。そして火が付いたように激しく泣き出した。
「雄登くんはいつも私を見下してる! 私のこと、みんなのこと、見下してる!」
 舞依は泣きながら僕の胸を両の拳で叩き、叫んだ。
「障害の軽い人はそんなにえらいの? 重い人は、そんなに悪いの? いけないの?」
「私の何がダメなの? どうして私じゃダメなの? どうして私のことわかってくれないの?」
 僕は分厚い布を無理に手で引き裂くように、舞依を強い力で突き放し、そして言い放った。
「うるせぇ、クズ!」
 やってしまった、言ってしまったと思った。しかしもう引き返せなかった。
「別れてくれ。もう、ついていけない」
 舞依は呆然としながら涙をボロボロ流し、メイクはすっかりぐちゃぐちゃに落ちてしまっていた。そして、こう言った。
「グループホームで暮らすことになったの。もう、一人で暮らしていけないから。もう家に雄登くんを呼べないよ」
 グループホームで生活する友人はデイケア時代に何人かいた。一人でも実家でも暮らせない障害者や高齢者が、支援を受けながら集団で生活する施設だ。その友人は、入院以外に地域で自立して暮らしていく最終手段だと言っていた。舞依の病状は、そこまで悪くなってしまっていたのか。僕は言葉を失った。
「この部屋で会うのももう最後だよ。さよなら」
 そっぽを向いて僕から離れていく舞依を追いすがることもできず、僕はそのままふらふらと歩き出し、玄関を開けて、出て行くことしかできなかった。

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