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ソフトクリーム

 水泳教室の後は、ソフトクリームを買ってもらえる約束だった。敷地内の喫茶店で、濡れた髪をタオルで巻いて、カップに入ったソフトクリームを食べるのだ。まだ水の中にいるような重い身体に、冷たい甘さが沁みて心地が良い。
 本当はコーンのソフトクリームを食べたかったのだけれど、それは許してもらえなかった。中学生の男の子たちが舐めるコーンのソフトクリームは、私のそれよりもうんとおいしそうに見えた。窓から射す夕日で、コーンに垂れたバニラがひかる。白くて、冷たくて、甘そうだった。

 コーンは、丸ごと食べられるところがよかった。カップは紙で、スプーンはピンク色のプラスチックでできていたから、どうにも食べられない。ぜんぶ食べてしまえるコーンよりも、いくらか損をしているような気持ちだった。そのことを訴えると、母は、「そのぶんカップはソフトクリームがたくさん入っているのよ」と言った。「コーンなんて、味のしない薄いおせんべいみたいなものなんだから」とも言った。甘いものを食べられる時間はこのときだけだったから、母の機嫌を損ねるわけにはいかなくて、それ以上は何も言えなかった。

 プラスチックのスプーンではひとくちを頬張れない。ほんとうは、コーンに乗ったあのツノを口いっぱいに頬張りたかった。そうして、バニラの垂れたコーンをがじがじと食べるのだ。それは想像するだけでもやけに魅力的だった。
 とりわけ、プールの後には、コーンで食べることが重要だと思った。スプーンですくうと、その温度が上がって溶けてしまうような気がする。くたびれてぽかぽかした身体に、冷たいソフトクリームをじかに取り込みたい。ソフトクリームは、冷たい方が甘い。

 丁寧に食べないと母の機嫌が悪くなることは知っていた。大きな口を開けるのははしたないことで、背筋を伸ばし、大切に食べなければならない。母はいつも目の前で携帯電話を見ながら、コーンのソフトクリームを食べる。私がすこしでもお行儀の悪いことをすると、その手のひらが飛んできた。


 その日、母はカップのソフトクリームを私に買い与えたあと、電話をしながら喫茶店を出て行った。私はひとりで座って、それを食べた。

 よく見かける中学生の男の子たちのグループが隣の席に座った。そのうちのひとり、塩素で褪せた茶色い髪の男の子のソフトクリームがいつもに増しておいしそうに見えて、食べる手が止まった。スプーンに乗せたソフトクリームが溶けて、下に垂れる。ワンピースが汚れる。
 茶色い髪の彼がそれに気がついて、「垂れてるよ」と言った。返事をしなかった。
 私は、彼の持つソフトクリームがもうほとんどコーンまで近づいているところを見た。スプーンをカップの中に置き、身体をうんと伸ばし、彼のコーンにかじりついた。じゃり、という音を立てて、崩れてぼろぼろと落ちた。
 溶けかけたソフトクリームが、崩れたコーンから溢れだす。ひとくちめではよくわからなくて、もうひとくち、溢れているところをかじった。ワンピースにぼたぼたと垂れる。

 はじめて食べたコーンは、味がしなかった。ぼろぼろと崩れるし、歯に挟まるし、コーンのかけらが口の中にはりつくし、なんともいやな感じがした。おせんべいより、紙を食べているみたいだ。ソフトクリームの冷たさも甘さも、そのじゃりじゃりとした食感にじゃまをされて、ちっともおいしくなくなった。

 茶色い髪の彼は、何も言わず、机にこぼれたソフトクリームを拭いた。彼の友人たちが、私の方を見ながら、よくわからない、汚い言葉を話しているけれど、私は彼の所作から目が離れなかった。

「思ってたのと違う。おいしくなかった」
 私は彼にそう言って、カップに残ったソフトクリームをまたちびちびと食べ始めた。
「ひとのものを食べたときは、嘘でもおいしかったって言うんだよ」
 彼は、こちらをまっすぐと見て言った。その目は、髪の毛よりもずっと黒い。

 彼の手の中にあるぐちゃぐちゃなソフトクリームは、もうぜんぜん美味しそうに見えない。コーンに垂れたバニラよりも、彼の手に垂れたバニラの方が甘そうだった。そうして、甘いだけがおいしいわけでもないのだと思った。


 まもなくして母が戻ってきて、私は席を立った。母はいつもより機嫌が良かった。
「お母さん、誰と電話をしていたの」
「あなたの知らない人よ」
 母はこちらを見ず、私の手を引いて歩き続ける。濡れた髪に巻いたタオルが解けてしまいそうで、バランスを取りながら歩いた。
「ソフトクリームはさ、やっぱりカップの方が良いのかもね」
 私がそう言うと、母はやっとこちらを見た。
 スプーンから垂れたソフトクリームと、彼のコーンをかじったときにこぼれたソフトクリームで、私のワンピースはベタベタになっていた。






「食べ物を書く」というお題で書いた短編。
お味噌汁だとか、スパゲッティーだとか、家庭的なものを書いたほうがきっと書きやすかったと思うのだけれど、なにを思ったのか、ソフトクリームを選んでしまいました。

まだ合評をしていないままの初稿なので、このあと少し描き直すと思います。なので、これを読めた方はラッキー。

最近は、自分が書くものが少し変わった気がします。これなんかは特に、いつもよりも行間が少ないです。
noteに投稿するものとしては読みづらいし、SNS受けも悪そうだなと思うけれど、目指す形には近づいているような、そうでもないような。
とりあえず、この作品はわりとお気に入りです。

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毎回DMに感想を送ってくださる方がいて、それがとても嬉しいのでぜひ。
もちろんnoteのコメントでも嬉しい。


基本的に縦書きで読んでほしいので、今回は縦書きPDFの画像を添付してみました。他の投稿もぜんぶ添付しようかな。
縦の方がなんだかよく見えない?私だけかも。

今日で九月もおしまい。
十月も素敵に生きましょうね。


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