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ざらざら、ゆらゆら

 揺れる影が光っている。午前中は、部屋いっぱいにおひさまが届くから、私の家は森になるのだ。大きな木漏れ日が床にこぼれて、その上で犬が微睡んでいる。
 ソファに寝転んで、その様子を眺めていた。もう冬だけれど、春のような陽射しだった。犬の目は開いたり閉じたりしていて、意識はゆらゆらとしている。私は、できるだけこの空気を揺らがせないように、静かに、息をひそめていた。
 私の体温は39度あって、身体は、地球の内側まで沈んでしまいそうなくらい、おもくて、あつくて、でもすこしだけ心地よかった。瞼まであつくて、あまり目を開けていられない。明るい部屋で眠るのはひさしぶりだった。

 実家を出て、はじめて熱が出た。午後には少しの光も入らないから、寒くて暗い。私だけの生活は快適で、日々心をときめかせながら生きていたはずなのだけれど、寒いと気がついたときには遅かった。ふるふると震えながら眠りについて、でもほとんど眠れなかった。朝、母の迎えの車が来て、実家に帰った。

 なにも考えない、あるいは、なにかについて考え続ける、そんな時間が、人間的な生活を送るためには大切だった。
 実家のリビングに、毎日うつくしい光がさしていたこと。目を閉じて周りの音に意識を向けると、いつしか自分の鼓動まで聞こえてくること。犬は、しばらく帰らなくてもちゃんと覚えていてくれること。
 身体は熱につつまれていて動かないのに、思考はたえず働きつづけていた。見えるもの、聞こえるもの、ひとつひとつ咀嚼して考えたり、ただぼうっと感じたりして、私ってそういえば人間だったな、と思い出した。
 人間でいたいから小説を書きたいし、人間でいたいから夢を見たい。頭の中ぜんぶ、形にして残したい。考えることも、考えないことも、放棄してしまった生活はさみしい。
 39度の微睡みの中、そんなことを考えていた、ような気がする。

 熱もひいて一人暮らしの家に帰ってきた今、もうあのときの思考の再現はできない。
 小さな緑を買った。午前中、すこししだけ光の入る、ちいさな窓辺にそえて。




そろそろ今年が終わる。時の流れこわい。
自分の生き方を自分で決めなければいけないときが近づいてて、いやになる。

たったの数年間で、実現可能な夢を見つけたり、はたまた諦めたり、そういうことができる人、本当にすごい。
わたし、来年には大学4年生になるけれど、まだ人生の諦めは付けられない。壮大に夢を見ていたい。
見たい景色がたくさんある。ひとつには絞れないし、どれも諦められない。ずっと考えてる。

今日も生きててえらい、で満足してもよかった日々はもうとっくに過ぎ去ってるんだよな。

2023年、冬。

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