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鼓動が重なる

 たいせつなことは、息を吸って吐いてを繰り返すこと。そのために、ご飯を食べて、眠ること。わたしたちはこれだけで生きていけるのだからなにも難しいことはないのだけれど、ことごとに気を揉み、焦り、たいせつな呼吸を乱している。 

 すこし前、家の裏にある森を眺めていた。
 夏の目前、どの木もたんと茂っていて、風が吹くたびにざわざわと返事をする。足元では、植木鉢に芽立つ多肉植物と、その匂いを一心に嗅ぐ犬が生きている。
 首を傾けて風を感じていると、左耳の奥からわたしの鼓動が聞こえた。それに気がついたのは最近で、なぜだかとても夢中になった。
 人の鼓動とは落ち着くもので、幼いころ、母の胸に耳を寄せることが好きだった。このごろは、ちいさな犬のちいさな胸に、耳を寄せている。わたしの胸も穏やかな振動を続けているのだと思うと、心が凪いだ。
 柔らかな光や、風や、動植物の息遣いに、わたしが混ざる。生きることは、たぶん、難しくない。
 簡単なはずの人生で、わたしは、なにに悩み、迷い、怒り、泣くのか。生きているだけでは満ち足りず、いっそ死んでしまえば、なんて考えてみる。きっと本当は、ぜんぜん死にたくないのだけれど。


 呼吸をはじめてから、今日で21年が経った。
 20歳は「まだハタチ」と言えたのだけれど、今日から21歳、「まだ21歳」とはなんだか言いづらい。「もう21歳」の方がしっくりくる。
 本格的に大人にならなければいけない時期が来てしまった。くだらない「死にたい」に付き合う時間はないし、いつまでも曖昧なわたしではいられないし、曖昧なわたしですらも言葉にできるようにならなければいけない。


 帰り道、夜の空が分厚い雲に覆われていることに気がついて、うんと落ち込んだ。空の色が灰色だっただけで簡単に落ち込んで、その日は眠れなかった。
 朝、ニュースを見ながら、三滴だけ涙が出た。母に気付かれないように、静かに、音を立てずに鼻をすすった。学校にたどり着くまでいつもの倍の時間がかかって、午前の授業に間に合わなかった。
 そんなわたしに成長を感じようとするのなら、こういう時間ほど惜しいものはないと思えるようになったこと。曖昧に落ち込むことが嫌で、その理由を探るようになった。いまだ明確な答えが出たことはないのだけれど、きっと、これが成長なのだと信じている。

 時間は足りない。もう21年も生きてしまった。のうのうとなにも考えていなかった間に、わたしとは比べものにならないほど素敵な生き方をしている人がいる。人と比べるものではないと分かってはいても、おなじ年月を生きたはずの彼や、彼女と、差があることが悔しい。
 わたしにはかならず、なにかあるはずなのだ。立ち止まった足の先の地面や、声を出して震わせた空気や、いつか触れたあの人の指先に、価値を残したい。
 わたしは、わたしを知らない。わたしの価値の在り処がどこなのか知らない。それを知らないままでは、なんの表現もできないまま死にゆくことになってしまう。

 誕生日にこんな暗いことを考えない人間になりたいのだけれど、劣等感だらけのくせしてプライドも高い、性根から嫌なやつなので、素直に重なる歳を喜べなかった。生きてきた年月に伴う自分がどこにもいないことに気がついて、こわくなった。

 来年は、素直に、素敵に、誕生日を迎えたい。



「わたしを知ること」
「わたしだけのテーマを見つけること」

21歳はこのふたつを心に留めて生きようと思う。
わたしの表現がより深いものになることを祈る。




自分を知らなければ小説は書けない。
そのことを身に染みて感じる出来事があり、そのおかげで最近、自分について考える時間が増えました。

「自分を知る」とは、とにかく疲れることで、それ以上に、ちょっと、つらい。
今までほとんど向き合ってこなかったのは、たぶん、逃げていたのだろうなと。
逃げるって楽だもんね。

最初にも書いたのだけど、生きるだけならそんなに難しくないと思います。難しいのは、生きる上でとりまく環境や、感情に、意味を感じようとしてしまうから。
つらくて仕方がないのなら、逃げてもいいよ。
本当にそう思っているし、実際、私はここまでそうやって生きてきました。

わたしはやっと、もう逃げなくても生きていけるような気がしているので、とりあえず、すべてに真摯に向き合ってみようかなという気持ちです。
でもつらくなったら普通に逃げます。

生きることがひとつめの目標だとしたら、やっと次の目標を見つけたのだと思います。
なので、こんな暗い文章を書きながらも、幾分かわくわくしています。

21歳、素敵に生きられますように。

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