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ふたり

 旅に出るには、この鞄に詰められるだけの大切なものを選ぶ必要があった。
 しばらく帰ってこないと決めたのなら、この部屋のすべてを捨てるつもりでなくてはいけない。少し考えて、三日分の下着とTシャツだけ丁寧に入れてそれきりにした。
 部屋に残したものの行方は、これからの私には知る必要もないことだった。捨てられるのならそれで良かったけれど、私の荷物を捨てる春子おばさんの姿はどうしても想像できなかった。

 雨が降っている。
 近づいていた夏の気配がまた少し遠のいて、肌寒い朝だった。夜中に開けた窓の下の床がしっとり濡れている。もう必要のなくなった洋服で拭って、部屋の隅に放り投げた。
「……あー、いや、そうだな」
 結局、端に丸まって落ちた洋服は拾って、大きいビニール袋に入れ直した。まわりに散らかった他の服やタオルや、それと教科書なんかも一緒に入れて、固く縛る。
 埋まっていた床は、満杯の三袋と引き換えにその色を思い出させた。
「春子さーん」リビングの同居人に叫ぶ。
「ゴミの日って何曜日ー?」
 春子おばさんが部屋の扉を叩いた。
「何か言った?」
「ゴミの日って何曜日だったかなって」
「あら、今日よ。もうすぐ収集車もくるはずだし、出しに行ってあげるわ」
 いつもの私ならまだ眠っているような朝の早い時間に、春子おばさんは質素なワンピースを着て、丁寧なまとめ髪とお化粧で一日を迎えていた。
「断捨離でもしたの? 床の色、素敵でしょう。あなたの部屋が一番お気に入りなのよ」
 目尻に薄く刻まれた皺が、口角が上がるとともに少し濃くなる。
「もう出かけるからゴミは自分で出すよ。今日はお夕飯もいらない」
「そうなのね、今日も雨だから気をつけて。今日中に帰ってくるのよ」
 静かな二人暮らしが、終わろうとしていた。私は与えられた部屋を自分だけの城にしてしまうような雑な人間だけれど、春子おばさんは丁寧な人だったから、いつも家は静かで美しかった。

「そこの傘持っていきなさいね。私の大きい傘、丈夫だから」
「大丈夫、でもありがとう」

 安い傘を首もとに挟んで、部屋の断片を手一杯に抱えて外に出た。家の前のゴミ捨て場のネットは土で汚れている。軽いリュックには、三日分の着替えと、それから、キッチンにあった春子おばさんのブローチを忍ばせてきた。
 強く、雨が降っている。私の通った跡を洗い流してくれるのだろうから、雨も嫌ではなかった。
 ブローチが無くなったことに、春子おばさんは気がつくだろうか。落胆して、私ごと無かったことにしてしまえば、それで良い。
 庭のクチナシが香っている。その香りはたった数歩で雨に紛れて、もう辿れない。





「梅雨」をテーマに書いた短編。これも課題。

もう少し長い作品を書きたいなと思って意識していたら、短編として完結する作品を上手く書けなくなってしまった。長い作品だって書けないのに。

なので、この作品は先に続く物語のためのプロローグです。
いつか続きを書くかもしれないし、書かないかもしれないけれど、この子は私の意思と関係なく、旅をするのだろうと思います。


今の私の課題は、もっと開いた文章を書くこと。
行間やひと文に意味を含ませすぎてしまいます。
開くってなんでしょうね。
文章を書く上での課題なのだけど、生きる上でも課題だなぁと思います。
開かれた、素直な人間に憧れます。


合評で先生やゼミメンバーに指摘してもらった点はところどころ直したのだけれど、うーん、となっている。
良い作品ってなんだろうね〜〜〜〜〜〜〜ムズい
てか最近、旅立たせる話を書きすぎてる。旅に出たいのかも。

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