【エッセイ】連鎖するもの

 シャチがオタリアの子どもを狩る様がテレビで流れていた。わたしはそれを、顔をしかめて見た。
 そして以前、オタリアがペンギンを狩る様を同じような表情で見ていたことを思い出した。ペンギンが自分の子どもに与えるために胃に収めて運ぶ魚もまた、ペンギンによって狩られたものだ。
 インパラもヌーもシマウマも、何かに狩られる危険のなかで生きている。そして彼らに喰われる植物もまた、命を失うことに変わりはないのだ。
 考えはじめたところで、壮大になりすぎることに気がついてやめた。
 食物連鎖と言ってしまえばそれまでだが、喰って喰われるその仕組みは、そのどこかにわたしを含むのだろうか。いや、人間はおそらくその連鎖からすでに外れている。頂点に立っているのではなく、逸脱しているのだ。
 今のところ喰われることはないだろうが、様ざまなものを喰って生きているのはほかの生きものと変わらない。喰うだけでなく、身に着けるため、住むためにもたくさんの命を奪っていることを自覚しなくてはならない。
 狩られること、喰われることがないということは、好きなだけ狩っていい、喰っていいということではないのである。そうでないと、その種は仕組みから逸脱するにとどまらず、存在できなくなってしまうだろう。
 環境がどうしたとか、社会がどうしたとか、そんな難しくて壮大な話をするつもりはない。ただ、ぐるぐると巡る思考の道しるべとして、自分が生きてゆくなかで、どのように考えて選びとってゆくかを記しておく。
(この考えは、のちに変ってゆくかもしれない。それはそれでいいのだと思う。)

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