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塩田武士『存在のすべてを』刊行記念インタビュー/「虚」の中で「実」と出会う

 塩田武士さんの『存在のすべてを』が刊行されました。前代未聞の「二児同時誘拐」の真相に至る「虚実」の迷宮! 真実を追求する記者、現実を描写する画家。質感なき時代に「実」を見つめる者たち――著者渾身の到達点、圧巻の結末に心打たれる最新作です。本書の刊行を記念して、「小説トリッパー」2023年秋季号掲載の、吉田大助さんによるインタビューを特別公開します。

 情熱を失った新聞記者が再び「書きたい」と奮い立つ題材に出会うという出発点はデビュー作『盤上のアルファ』(2011年)、子供たちの未来を奪う犯罪への憤りという点では代表作として知られる社会派ミステリー『罪の声』(2016年)、フェイクニュースが蔓延し虚実の見極めが難しい現代社会のデッサンという点では吉川英治文学新人賞受賞作『歪んだ波紋』(2018年)、関係者たちの証言によって犯人像が炙り出される構成上の演出は『朱色の化身』(2022年)……。塩田武士の最新作『存在のすべてを』は、過去作の様々な断片が入り込んでいる。それらが見事に統合され、そのうえで、小説世界が根底からアップグレードされている感触がある。作家に何が起きたのか。本作で、何を起こそうとしたのか?

■『存在のすべてを』序章を期間限定で公開中!

 50ページものボリュームを割いた「序章――誘拐――」で描かれるのは、平成3年(1991年)に神奈川県下で発生した特異な誘拐事件だ。12月11日の夕刻、厚木市内で2人組の男に小学六年生の少年が拐われ、犯人は電話で母親に身代金を要求した。通報を受けた警察は、警視庁の特殊事件捜査指導官を含む総勢279名からなる対策チームを編成。翌12日、警察のバックアップを受けた両親が身代金受け渡しのために動き出した矢先、横浜市中区に暮らす資産家から「4歳の孫が誘拐され、身代金を要求された」という新たな通報が入る。すでに厚木に配備している警察官を、山手に回すのは難しい。残った人員の中から2件目の誘拐事件の対応を任せられたのは、かつて県警本部の特殊班にいた所轄刑事・中澤洋一だった。

 犯人サイドと被害者・警察サイドとの丁々発止のやり取りをリアルタイムで表現できる誘拐は、ミステリーおよびサスペンスの花形だ。数多くのクリエイターが果敢にチャレンジしてきたが、「二児同時誘拐」は前代未聞と断言できる。この着想について、何よりもまず作家に聞いてみたかった。

塩田:以前からずっと書きたいと思っている題材がいくつかあり、その中の一つが誘拐でした。黒澤明の『天国と地獄』のような、抜群の緊迫感がある誘拐ものをいつかやってみたかった。ただ、問題がありました。誘拐を題材にしたお話は、既にやり尽くされている。何かしら新しいアイデアが必要だったんです。そこで最初は、別種の事件を起こすことを考えました。つまり、神奈川県下で別の重大事件が起き、警察の戦力がそちらに集中しているところで身代金目的の児童誘拐事件が発生したら……と。ところが、いろいろ調べてみても県警全体が動くような事件ってほとんどないんです。誘拐ほど、戦力が割かれる重大事件はないんですよね。どうしようかと頭を抱えていた時にふと、そうか、別々の場所で「二人同時に誘拐されたら……」と思ったんです。最初の事件を「囮」にし、二つ目の事件を「本命」に据えた同一犯の犯行だったならば、体制が脆弱になった警察のスキをついて被害者から身代金を奪取できる可能性があるんじゃないか? 思いついてすぐ、編集者に電話しました。「笑わんと聞いてほしい。やりすぎやったら言ってほしい。二児同時誘拐ってどうですか?」。そこで「面白いです!」と言っていただけたところから、小説が走り出しました。

 警察関係者に取材をかけると、二児同時誘拐は成功する可能性があるとの心証を得た。と同時に、華やかな印象から選んだものの決して土地勘があるわけではなかった横浜の各地を実際に歩き、誘拐ルートを慎重に見定めていった。

塩田:まず横浜市の役所で開示請求をして、1991年の現場付近の写真を入手し、国会図書館で同年の横浜市中区の住宅地域地図を手に入れました。地図を持って現場を歩きながら、ここがコンビニ、喫茶店、レンタルビデオ店、家具店、ここが港……と、30年前との違いを一つ一つ確かめていった。そうするうちに、30年以上前のこの場所の“今”が浮かび上がってくる感じがしたんです。

 今とは変わってしまった30年前の街の風景に、犯人の要求に従い身代金を持って駆け回る祖父と、少し離れたところから彼にイヤホン越しで指示を出す中年刑事らが配置され、緊迫感に満ちた長い長い1日がノンフィクションかと見紛うリアリティで綴られていく。結末は残酷だ。一件目の誘拐事件は無傷での解放となったが、二件目は身代金こそ奪われなかったものの警察の判断や不運が重なって犯人を取り逃し、資産家の孫の男の子は帰ってこなかった。ところが、最後に驚くべき一文が現れる。〈澄んだ夜空の下に舞い降りたのは、7歳に成長した自分の孫だった〉。誘拐されたまま3年もの長きにわたり帰ってこなかった男児が、祖父母の家のドアを叩いたのだ。

 冒頭の50ページが、「序章」と位置付けられていることに注意したい。犯罪小説として高度な達成を誇るこの50ページは、「本編」のためのいわば前置きに過ぎない。では、「本編」では何が描かれているのか――。

■写実画だったからこそ描き手の足跡を追えた

「第一章――暴露――」は令和3年(2021年)12月から始まる。大日新聞宇都宮支局の支局長である門田次郎は、二児同時誘拐事件発生時、横浜支局の2年目の新米記者として取材に当たっていた。そのおりに世話になった元刑事・中澤洋一の葬儀に列席すると、中澤の後輩刑事から声をかけられる。「これ、読まれました?」。その週刊誌記事によれば、SNSをきっかけにブレイクした人気の写実画家・如月脩は、二児同時誘拐事件の二件目の被害男児・内藤亮だった。亮は「空白の3年」に何が起きたのか周囲に一切口を閉ざしたまま消息を絶っていたのだが……実は、かつて犯人である可能性が指摘されながら逮捕されなかった男の親族に、無名の画家がいた。もしかしたら「空白の3年」の間、少年と行動を共にしていたのはその画家なのではないか? お蔵入りした30年前の未解決事件を、亡き刑事はもう捜査できない。現場から長らく退いていた門田は、これが最後になると腹を括り取材を始める。

塩田武士さん(撮影/上田泰世・写真映像部)

塩田:この小説の本当の出発点は、ある洋画家との出会いでした。ヤフオクで絵画のオークションをチェックしていたら、“伝説の逃亡画家の作品です”という説明書きが付いた出品物を見つけたんです。調べてみたら人見友紀という実在の人物で、1970年代初頭に窃盗事件に関与して捕まりそうになったところを、妻から「あなた、すぐ逃げて!!」と言われ海外へ逃亡した。そして現地の売れない画家に弟子入りし、ヨーロッパ各地を転々とした後で定住先のギリシャでものすごい人気画家になった人物でした。こんな人がいたんだと驚きましたし、この人をモデルにした話が書きたいなと最初は考えたんです。その企画を提案したところ編集者から海外取材のOKが出て、じゃあ日本と海外を舞台にして……と具体的な構想を練り始めた矢先にコロナ禍に突入し、海外に行けなくなってしまいました。じゃあ、どうするか。逃亡画家の物語に、なくなった海外パートの代わりとなるような要素を組み合わせればいい。その要素が、誘拐でした。

 新聞が報道の王様だったのはとうの昔、スマホにより一億総捜査員化した現代社会において、新聞記者だからこそできることとは何か? それは、現場に足を運ぶこと、徹底的に調べること、正確に伝えること。消えた無名画家の消息を辿る門田次郎の行動には、元新聞記者である著者がデビュー作以来書き継いできた、記者の矜持というテーマが宿っている。

塩田:記者の門田は、残された写実画に描かれている風景を特定することで、無名の画家の足跡を辿っていきます。ミステリーの要素として取り入れたその展開は、写実画の風景画を自分で実際に買ってみて、部屋でじっと眺めていた時に思い付きました。ひょっとしたら、松本清張の『絵はがきの少女』という短編が潜在的な刺激となっていたかもしれません。その小説の主人公も新聞記者なんですが、子供の頃から大事に持っている絵はがきに写ってる女の子が魅力的で、その場所に行って、その子がどういう人生を歩んだかを実際に調べるんです。この小説の中でも何箇所か、清張の名前を出しています。連載誌となった「週刊朝日」は、松本清張を世に出した媒体です。その媒体で連載するんだという意識も働いてはいましたが、清張の存在は年々、僕の中で大きくなっていくのを感じていますね。

 一方で、「第一章――暴露――」にはもう一人の視点人物が登場する。東京・新宿の「わかば画廊」でギャラリストとして働く、土屋里穂だ。百貨店の美術画廊で7年勤務したのち、父が営む現在の画廊へと移った来歴がコンパクトに綴られていった先で、内藤亮=如月脩とは高校の同級生だったという事実が明かされる。門田が読んだのと同じ週刊誌を目にした里穂は、人気画家となった少年の記憶を蘇らせる。その記憶は、初恋の記憶でもあった。

塩田:少女と少年は横浜港シンボルタワーにある「死角」で出会うんですが、当初はもっとロマンティックな場所で出会う予定でした。シンボルタワーはシバザクラの名所だと聞いて足を運んだんですが、台風の影響で植え付けと手入れをやめてしまったらしく、周囲は芝生しか生えていなかったんです。せっかく来たんだからと時間をかけて散策するうちに見つけたのが、「死角」になっているあの場所でした。普通は誰も注意して見ないような場所で出会うのは、それはそれでロマンティックでいいなと思ったんです。現場へ実際に足を運んでみなければ思い付かなかった発想でした。

 里穂はその後、何よりも作品そのものへの興味から、内藤亮=如月脩とのコンタクトを探り始める。無名の画家の足跡を辿る記者・門田との運命はいつ、いかなる形で交錯するのか? その時、あらわになる真実とは何か。

■「生きている」という重み 「生きてきた」という凄み

 写実絵画(リアリズム絵画)、あるいは「写実」という思想は、本作において重要なモチーフとして採用されている。ある登場人物はこう証言する。戦後日本の画壇は抽象画が全盛で、写実画家は肩身が狭かった。しかし、今は異なる。「昔から『不景気になると写実が売れる』って言われてましてね。状況が不安定だと確実なものを求める心理が働くのかもしれません」。その証言は別の人物によってこう語り直される――「質感なき時代に実を見つめる」。

塩田:僕がSNSから一切足を洗った理由はそこにあります。以前は情報告知のためにFacebookをやっていたんですが、ネット空間での出会いに疑問が拭えなくなったんです。もちろん、一つ一つのコメントの向こう側に人がいることは分かっているんだけれども、アカウントという使い捨ての仮面に「実」ではなく「虚」を感じてしまいました。

 ならば、「実」はどこにあるのか? 探究の過程で小説家は、一冊の本と出会った。日本のリアリズム絵画の第一人者・野田弘志の『リアリズム絵画入門』(芸術新聞社)だ。

塩田:リアリズム絵画はよく「写真のよう」と言われるんですけれども、現実の事物をモデルとしながらも、ある意味で写真以上にリアルに、そして写真以上に美しく対象を描いています。リアリズム絵画の手法をリアリズム小説に移行できるかもしれない、という予感が働き、手に取ってみたんですが、興奮しました。学ばせてもらった点は数多くありましたが、例えば小石が目の前に一個ポンとあって、これをデッサンしますという状況があったとする。その時に、石の表面を見て「ここに傷があるな」とか「こんな形なんだ」と思って今まで自分は描いていなかったかと。そうじゃない。この石がここまで来る間に、まず岩があって、水の流れに削られて川に乗って運ばれて、誰かがその川から石を拾って今、目の前に置いた。だとしたら、この傷はここに来る過程のどこかでできたんだ。その背景の部分まで想像することによって、表面を描いているようで、小石そのものを考えていくことになる。これが本当のリアリズムである、と野田先生から学んだんです。

 その話から連想したのは、『存在のすべてを』に多数盛り込まれていた、一瞬のやり取りの中に時間の厚みを感じるエピソードだ。例えば、お互い惹かれ合っているのに告白できず、進路の違いで離れ離れになることが確定している少年が少女に渡した、ホワイトデーのお返し。“両親”が“息子”のことを心の底から愛していた、と証明することになるアイテムの存在……。

塩田:確かにそういったエピソードが今回、たくさん入っています。もっとも象徴的なのは、終盤に登場する、絵画は絵の具の層の中に時間が入り込んでいるというエピソードです。あえてきっちり言語化せずに、時間を感じさせることでその人の思いを証明する。あるいは、ある一点しか描かれていないのに、その人の過去と未来がうっすら見える。小説の中では、「『生きている』という重み、そして『生きてきた』という凄み」と書きました。現在、過去、そして未来の軸がスッと通っていると、僕たちはそこに人間の実在を感じるんだと思うんです。

■作家としてのキャリアと人間としてのキャリア

 本作は「誘拐された男児の3年間の空白」という不可思議で魅力的な謎を冒頭に掲げた、ミステリーの形式が採用されている。新聞記者の門田とギャラリストの里穂、2人の探偵役のシーク・アンド・ファインドがその形式を支えている。ただし、読み進めていくうちに予想とは異なる感慨を抱くことになるかもしれない。

 その理由の一つは、30年前に起きた二児同時誘拐事件の実行犯の描き方にあるのではないか。代表作『罪の声』では最終盤で脅迫事件の実行犯の物語にフィーチャーしていたが、本作は全く異なるアプローチを採用している。

塩田:『罪の声』で実行犯の物語を書いた結論としては、「犯罪者ってしょうもないな」と。あの小説で題材にしたグリコ・森永事件の犯人は当時、見事に警察の裏をかいたと英雄視されるむきもあったんですが、美化する必要は一切ない。脅迫を受けた会社は大きな損害を受けていますし、脅迫テープの声を吹き込ませるという段階で、少なくとも三人の子供を犯罪に巻き込んでいるんです。だから、もうお腹いっぱいやな、と。身勝手な犯罪者に紙幅を割きたくないと思いました。それに、ゲームとしての犯人探しって、今で言うSNSの表層的な盛り上がりに似てますよね。表層ではなく人間の深層にあるものを見つめていくためにも、そこはばっさりカットしたんです。

 ミステリーの文脈で言えばクライマックスに当たる部分がカットされた替わりに、何が書かれているのか。30年前の誘拐事件によって強制的に運命を変えられた人々、そしてその周りにいた人々の「存在のすべて」だ。時効になった後も個人的に調査を続けていた刑事、息子を誘拐された被害者家族でありながら世間のバッシングを受けた母、縦社会と拝金主義の絵画業界に反旗を翻した天才画家、その画家の才能を温かく見守ってきたギャラリストたち……。そして、強固な絆で繋がれたある“親子”。

塩田:生身で触れ合うことはできない人と出会い、生身の出会い以上に相手の心の奥深くまで知ることができる。「虚」の中で「実」と出会える、このねじれこそが、小説の面白さだなと思うんです。

 紛れもなく「虚」である本作を読んだという経験は、間違いなく「実」へと跳ね返ってくる。単に温かな気持ちになるのではなく、人間の暗部に触れてゾクゾクとくる面も含めて、他者への好奇心や信頼感を掻きたてられる。そのような人間ドラマでありつつ……全ての印象を覆すサプライズも物語に仕込まれているから油断ならない。

塩田:今やれることは全てここで出し切りました。振り返ってみれば『罪の声』を書き終えた時、これで作家として壁を一つ越えたなと感じたんですが、その時と同じかそれ以上の手ごたえを今感じています。それができたのは、作家としてのキャリアはもちろん、父親としてのキャリア、人間としてのキャリアも積み重なった、今だったからだと思うんです。物語の世界を旅して帰ってきたら、読む前の自分と同じ場所に立っているんだけれども、読む前とは少し違う自分になっている。それが、いい小説の条件だと僕は思う。そんな大それたことに、これからも挑戦していきたいです。

(2023年7月14日 東京・渋谷にて)

■塩田武士著『存在のすべてを』序章を期間限定公開中!