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直木賞にノミネートされた加藤シゲアキの実力…エッセイが見せるあらゆる「旅」と「思考」の足跡

 20日に発表される、第164回芥川賞・直木賞。新作小説が直木賞にノミネートされたアイドルグループNEWSの加藤シゲアキさんによるエッセイ集『できることならスティードで』も好評発売中だ。
 そこで、2020年3月の本書発売時に、朝日新聞出版のPR誌『一冊の本』の「最初の読者から」というコーナーに掲載された、批評家でDJの矢野利裕さんの書評を特別公開する。

■踊るような思考、内省するような歌

 本書は、NEWSのメンバーであり、また、すっかり作家としての活動も定着した加藤シゲアキによる「旅」をテーマにした初エッセイ集(合間に掌編小説も収録)である。ページをめくれば、ヘミングウェイを片手にキューバに行き、嵐の大野くんと釣りに行き、岡山で再会した祖父を追憶し、スリランカでジェフリー・バワの建築に舌を巻き……といった著者の足跡が確認できる。なかでも、グラミー賞授賞式を観た著者が、ジャネール・モネイの言葉をきっかけに、差別と多様性について考えを深めていく「ニューヨーク」編は、本書におけるハイライトのひとつだろう。

 さて、そんな「旅」をテーマにした本作だが、読み進めると、その根底に、ゆたかな身体の感覚が流れ続けていることに気づく。例えば、「僕が品川で降りるまで、彼女たちは一度も姿勢を崩すことなく、背中が背もたれにつくこともなかった」(「大阪」)といった、芸妓の身体に対する細やかな視線。あるいは、「上下(かみ しも)で登場人物を演じ分け、会話と表情とちょっとした動きのみで物語を進めていかなければならない」(「時空」)という、落語に挑戦したさいの身体への微細なこだわり。歌やダンスなど自らの身体を使って人々を魅了することを求められる著者は、他の作家と比べたとき、明らかに身体に強い意識を向けている。

 このことはもちろん、著者が頭を使わないことを意味しない。それどころか、アイドルとしての著者はむしろ、身体を動かすさい、かなり意識的に頭を使っている。「人より身体能力が秀でたことはなく、技術も低いという自覚がある。しかし、だからこそ頭を使って身体づくりに励まなければ、歌やダンス、芝居などのあらゆる芸事に対応できる肉体に近づくことはできない」(「肉体」)と。ようするに、アイドル-作家を貫く著者は、頭と身体がひとつらなりであるような、そんな「連動」の感覚のなかで毎日を過ごしているのだ。加藤シゲアキは、歌って踊るように物事を考え、深く内省するように身体を動かしている。そのことがとくに示されているのは、自身のライヴのパフォーマンスについて書かれた一節である。身体と思考の複雑な絡み合いが書かれた以下の一節は、とても興味深い。

 実際には本番でいちいち「次は……」なんて考えてはいない。身体も口もほとんど自動的に動いている。むしろ本番では、その勝手に動き出す肉体がパフォーマンスとして形骸化(けい がい か)しないよう、意識的に思考や感情を持ち込んで躍動させていく、ということの方が多い。(「無心」)

 人まえに身体をさらすことを生業としている著者は、身体と思考と感情がナチュラルに「連動」している。本書は一方で、そんな著者の躍動感あふれる思考の記録である。ただ単に、内省的に思考を深めているわけではない。その生々しい思考は、身体の営みと連続したものだ。だとすれば、「旅」をテーマにしたエッセイという形式は、そんな著者のありかたにまことにふさわしい。「旅」にまつわるエッセイを書くとは、各地をめぐって、そこで思考を深める行為に他ならないからだ。

 その身を移動させ、その地に行って、実際に見て聞いて、深く考えること。著者の言葉は、そのような身体の営みのなかから発せられている。理屈先行で考えられたものではけっしてない。そのような身体に根差した言葉が心に響く。個人的には、不登校のAに対する「学校に行かないと、学び方を学べなくなるんじゃないかな」という言葉が印象的だった(「小学校」)。多様性を重んじる著者ならば、「学校になんて無理して行かなくていいんだよ」と言ってもおかしくないが、著者の身体に根差した言葉は必ずしもそうはならない。著者の言葉は、担任教師の記憶や一日だけ不登校をした記憶を抱えた自身の身体との絡み合いから生まれている。だからこそ、その一語一語が切実なものとして迫ってくる。きっと、著者が深く受け止めたジャネール・モネイの言葉も、そのようなものとしてあったのだろう。

 本書に書きつけられた言葉は、著者のあらゆる「旅」の足跡としてある。その足跡の積み重ねこそ、地元なきシティボーイ根拠地(グラウンド)として彼を支えるだろう。「U R not alone」の歌詞ではないが、「ああどうか 力を貸してくれないか/昨日までの僕よ」といった具合に。加藤シゲアキとして歩んできた身体が、次なる言葉を探しながら「旅」を続ける。「確かな答えは 何処にもないから/探すんだ 恐れないでその足で迷っていい」(「U R not alone」)――本書はそんな、著者の思考の足跡である。

(文/批評家、DJ・矢野利裕)