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和歌と短歌で詠まれた「黒髪」 与謝野晶子が表現した新しい世界とは

 千年を経て愛される和歌と近現代の短歌。二首を比較しながら人々の変わらない心持ちや慣習に思いをはせ、三十一文字に詰まった小さくて大きな世界を鑑賞する『つながる短歌100 人々が心を燃やして詠んだ三十一文字』(あんの秀子著、朝日新聞出版)。特にガリ版で刷ったイラストは見ごたえ十分です。連載第1回は「恋と黒髪」をお届けします。

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 黒髪は、王朝時代の女性の美の象徴。物語では女性の姿をとらえるときに、歌では心を託すものとして、多彩に表現されてきました。

 待賢門院堀河は、院政期(平安時代後期)の女房歌人の一人。百人一首にも入るこの歌は、後朝(きぬぎぬ)の心境を、黒髪の「長さ」と「乱れ」でたどります。

長(なが)からむ心も知らず黒髪の
乱れて今朝(けさ)はものをこそ思へ

『千載集』八〇二
――あなたの気持ちが長く続くかどうかわからず、長い黒髪は乱れて、お別れした朝はもの思いをするばかり

 初句「長からむ」が相手の気持ちの定かでないことを心配する気持ちを表し、「黒髪」を縁語(えんご)として下(しも)の句(四句と結句の七・七)を引き出します。歌の意味の中心は下の句なのですが、上(かみ)の句(初句から三句の五・七・五)がなければ、歌の魅力はなくなるといってもいいでしょう。

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 同じ歌人によるもう一つの後朝の歌が、紹介した「黒髪の」です。「黒髪の別れ」というまとまった言葉で、後朝の別れを象徴的に表します。

 恋人と別れた翌朝、といってもまだ暗い時間かもしれません。季節は秋。ああ、きりぎりす(コオロギ)が鳴いている、と突き放したように、自分の心をきりぎりすの姿に置き換え、対象化している。枕の下から聞こえる虫の声は、泣く声でもあります。次にあなたが私のもとを訪れることはあるのだろうか――。

 歌人自身の経験があってこその歌でしょう。「長からむ」では、恋が髪の動きとともに画面をうねっている。「黒髪の」では、きりぎりすの声へと思いが集約される。巧みで、変化に富んだ詠いぶりで、同じ時代の女性たちの立場や気持ちを代弁するような気概も感じられます。

 与謝野晶子の歌「その子」はもちろん、晶子自身も含みます。その人は「二十」と堂々と年齢を宣言し、髪を櫛でとかします。このような身体的な動作、かつてなら隠れて行うようなことを女性が表明すること自体が新鮮です。平安時代の高貴な女性なら、自ら行うことではなかったでしょう。

 そこには、流れるように長く豊かな髪があり、この髪も自分も誇らしく思う春、青春まっただなかにいるのです。「うつくしきかな」とは、あまりにも率直ですが、「黒髪の」からの言葉の流れが、髪の動きと同様、自然に流れ込んできます。

 古典世界を踏まえながら、独自に「黒髪」を表現し、新しい世界をつくった晶子。こうしてみると、「黒髪」という一語にも、ひととおりでない意味合いやイメージが詰まっているようです。歌の中の言葉によって昔と今がつながり、三十一文字に凝縮された歌人の思いは、今の私たちが読む(そして声に出す)ことで、私たちのなかに豊かに広がっていく。そういう化学反応のような味わいも、歌の楽しみなのかもしれません。