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「シン富裕層」が去っていく国、ニッポンの行く末を憂う【築地川のくらげ読書感想文】

 新刊が出る度に、広告を作り、POPを作り、チラシを作る。宣伝課のしがないスタッフである築地川のくらげが、独断と偏見で選んだ本の感想文をつらつら書き散らす。おすすめしたい本、そうでもない本と、ひどく自由に展開する予定だ。今回は、大森健史著『日本のシン富裕層 なぜ彼らは一代で巨万の富を築けたのか』(朝日新書)を嗜む。

大森健史著『日本のシン富裕層 なぜ彼らは一代で巨万の富を築けたのか』(朝日新書)

 世の中には各種様々な「層」が存在する。興味をそそる「層」といえば関東ローム層。その次が富裕層。ちょっと種類が違うが。一生のうち一度でいいから富裕層の一員になってみたいものだ。ま、なれないでしょうけど。そりゃ簡単にはなれません。富裕層はなにかと反感の対象にもなってしまうが、生まれながらの富裕層ならまだしも、ここにたどり着くにはそれなりの知恵と努力もまた必要になる(悪知恵でにわか富裕層の仲間入りをする不届き者もいるが)。生まれながらの富裕層だって、それを維持、発展させるのは容易ではない場合が多いだろう。

 かつて『斜陽』という作品があった。太宰治が1947年に発表した小説である。自身の生家である津島財閥はかつて津軽の大地主だったが、終戦後の農地改革の影響を受け、落ちていった。太宰治がそれを帝政ロシアの没落貴族になぞらえ描いた『斜陽』は、華族制度廃止を受けて没落貴族になった一族の生きる様を苛烈に描いた代表作だ。

 富裕層が落ちていく様に夢中になるある種のカタルシスはそれとして、かつての富裕層は法制度のなかで守られていた。特権階級であり、国に庇護された存在だったからこそ、戦後、制度がガラリと変わり、落ちていく様に庶民は留飲を下げた。

 しかし、現代の新たな富裕層は決して制度に守られた存在ではない。それはごく一般的な庶民の家庭から突然、出現する。自力で富を築いた人々、それがシン富裕層だ。彼らに嫉妬の矢を射るのは無駄であり、むしろ学ぶべきところがあると気づきたい。この時代、ゼロから富を築くには発想の転換が必要だからだ。

 ただ真面目に働き、貯金しても、ゼロ金利時代に富めるわけがない。ここに気づき、昭和の常識を飛び越えるタフさと身軽さ、これがシン富裕層の武器だ。自分ではなく、お金に働いてもらう、お金がお金を稼ぐ仕組みをつくる。そんな新たな経済の構図を前に怠けるな、楽するなと叫ぶようでは、この先、もう富は築けない。過去にすがらず、時代の変化に気づくことが第一歩なのである。

 朝日新書『日本のシン富裕層 なぜ彼らは一代で巨万の富を築けたのか』ではシン富裕層の実像について克明に記されている。著者はこれを①ビジネスオーナー型②資本投資型③ネット情報ビジネス型④暗号資産ドリーム型に分類する。実際には富裕層という層はなく、富裕層内のネットワークやコネクションを利用するというより、シン富裕層にはソロ活動が多い。自分で調べ、考えを巡らせ、人脈をつくり、ビジネスにおける選択は自ら行い、行動し、失敗と成功を繰り返す。自分の人生は自分で切り開く、自己責任の塊であり、失敗は成功への第一歩だと確信するファーストペンギンタイプ。

 私のような誰かに飛び込んでもらってからでないと、絶対に前へ進めない人間とは対照的であると知る。詐欺被害に遭っても、傷ついても、それでも自立し続ける強さ、シン富裕層は逞しい。これまで失敗をしなさすぎた私は、ちょっと編集者に怒られると、すぐ凹む。正直、滅法打たれ弱い。この程度のひ弱さでは、これからの世の中を渡っていかれまい。さてどうしたものか。

 そんなシン富裕層、私が苦手なギラギラ系かと思いきや、そうでもないという。全体的に物欲がなく、服装も小綺麗だが、無頓着。ジーンズでもコットンパンツでもなく、スウェットパンツを好み、それもブランドものではなく、ファストファッションが多い。なんだ、私の普段着と同じではないか。お、あったぞ、シン富裕層との共通点。しかし、私の場合はひとたび出社となれば、ワイシャツにスラックスへ変身。他者の目を気にして、貫けない。主義などない小心者。似て非なるものなり。

 シン富裕層は趣味も少なく、ゴルフもせず、高級車にも興味を示さず、派手な生活とは無縁な人が多いそうだ。これもイメージとは真逆。私なんぞ、もしもお金持ちになったらと想像すると、馬主資格をとり、セレクトセールで億超えの馬を競り落とし、GIレースで勝ち、馬の首筋を愛撫しながら記念撮影をしたいなんて欲望が、まるで走馬灯のように頭の中にあふれる。自己責任の塊どころか、物欲の塊だ。やっぱり、シン富裕層は私には遠かった。

 街中によくいる大学生のような風貌、富める存在ながら、物欲はさほどないから目立たない。まさに隣の億り人。私が知らないだけで、そこらへんにシン富裕層は潜んでいる。この人たちが今、海外移住を希望しているという。かつての富裕層は国の制度を盾に富を築き上げたが、シン富裕層にとって日本の制度は弊害でしかない。税制や子どもの教育環境、ビジネスする上でのメリットデメリットを考え、日本を脱出する道を選択する。シン富裕層の目には日本は損する国に映っているということだ。賢い人ほど、国を去る。この現象、将来、暗澹たる状況を作り出さないだろうか。

 かつて太宰が『斜陽』で描いたのは、時代の流れに乗れず沈んでいった富裕層だった。現代の『斜陽』は、学ぶことも道を切り拓くこともしない、変化に後ろ向きな人々のことを指すのではないか。人生を走りながらでいいから考えてみたい。

(文・築地川のくらげ)


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