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作家・森絵都さんの想像力が大爆発した傑作『カザアナ』 本作に込めた思いとは

 5月6日発売の朝日文庫『カザアナ』は、『カラフル』や『ラン』などの児童書で培われた森絵都さんの想像力と、『みかづき』『永遠の出口』など森作品の魅力のひとつであるいきいきとした家族小説の醍醐味が詰まった、傑作長編! 単行本刊行時、朝日新聞出版PR誌「一冊の本 2019年7月号」に掲載された、森絵都さんが本作へ込めた思いを綴る貴重なエッセイを公開します。

森絵都『カザアナ』(朝日文庫)
森絵都『カザアナ』(朝日文庫)

■「過去と未来を渡す風」森絵都

 ときどき、現実の世界に架空の何かを引っぱりこみたくなる。

 たとえば、『カラフル』という小説に胡散臭い天使を登場させたように。『ラン』という小説であの世とこの世を行き来する自転車をモチーフにしたように。ファンタジーの世界そのものを描くのではなく、あくまで舞台は現実の人間社会に据え、そこにファンタジーのかけらを紛れこませる。なぜそのような設定に心惹かれるのか。その理由も今ではわかっている。一粒で風味を一変させるスパイスのように、異質な何かが一つ加わるだけで、人間社会は抜群に風通しを良くするのである。

 このたび上梓する新作『カザアナ』に「風穴」なる架空の種族を登場させたのも、まさに風を喚びこむためだった。

 平安の昔、伝統や作法に縛られ鬱屈していた貴族たちが愛でた異能の民、風穴。当時のヒエラルキーから突き抜けていた彼らは、いわゆる無縁の人々であり、その特殊能力をもってして貴族たちを楽しませ、また、時に助ける。彼らには自然と交感する力がある。たとえば、空を読んで天気を当てる空読。風を読んで方様の吉凶を当てる風読。月を読んで運勢を当てる月読――。

 実在しない人々を頭の中で創りあげるのは楽しいことだ。が、同時に不安なことでもある。根のない植物を育てているような心許なさが常につきまとう。大地にどんと根付かせるべく重みをどうにかして風穴に与えられないものか。悩んだ末に私は考えた。読者に「風穴は本当にいた」と感じてもらうには、本当にいた歴史上の人物と彼らを絡ませればいいのではないか。

 しかし、誰を? そこには幾つかの条件があった。のちに台頭してくる武士から風穴を庇護できるだけの地位と財力を持っていること。そして、風穴たちの特殊能力を戦に利用しないこと。となると、相手は庶民ではなく貴族、それも高位の宮廷人に限られてくる。

 最初に目をつけたのは後白河天皇だった。平安末期から鎌倉時代にかけての混乱の時代を、平清盛に取り入ったり背いたりしながらしたたかに生きぬき、源頼朝をもってして「日本一の大天狗」と言わせしめた治天の君。彼ならば清盛をうまく出しぬき、風穴を匿うくらいのことはやってのけそうだ。「新しもの好き」「先駆的」「短気で直情的」等、専門家によって見解は分かれるものの、当世の社会通念を超えた自由な発想をもっていた節があるのも面白い。

 しかし、一つ問題があった。貴族の世から武士の世への過渡期にあったその頃、もしも後白河天皇が人ならぬ異能を宿した風穴を匿っていたならば、彼は間違いなくその力を戦に用いていたはずだ。その一点がどうしても条件と符合しない。いや、後白河天皇に限らず、血腥い騒動の多発した当世の男ならば誰しも風穴を戦勝や保身に利用していたことだろう。

 そこで、女に的を移した。というか、後白河院天皇の周辺にいるキャラの濃い女性たちに自然と目が向かった。たとえば、後白河天皇の寵姫にして高倉天皇の母である平滋子(建春門院)。仕えた女房の回顧録『たまきはる』にて「この世の類なく美しい」と褒めたたえられている滋子は、外見が麗しいだけでなく、ある意味ぶっとんでいた後白河天皇についていけるだけの度量を備えていたようだ。後白河天皇の父・鳥羽天皇の寵姫に当たる藤原得子(美福門院)の成りあがり人生も興味深い。が、片っ端から関連本をめくっていくうちに、その二人を遙かに凌駕する適任の人物が浮上した。

「風穴を守ってくれるのは、この人だ!」

 後白河天皇の異母妹に当たる八条院暲子。若くして仏門に入り、のちに女院となった彼女の名はあまり広くは知られていないものの、僅かながらも残された資料を探ってその像を追えば追うほどに、風穴の庇護者としてこれ以上の逸材はいないとの確信を私は深めていった。何故に八条院が適任だったのか――話せば長くなるため、そのあたりは小説をご覧いただけるとありがたい。

 さて、ここまで貴族だの武士だのと書いておきながらアレなのだけれど、小説『カザアナ』の舞台はそんなに遠い過去ではない。むしろ未来だ。今からおよそ二十年後の日本で、遙か昔に一度は断たれた風穴たちの特殊能力が甦る。リアリティを求めつつ、一方でしゃかりきにエンターテイメント性を追っているうちに、こんなややこしい設定になってしまった。

 少し先の未来に舞台を据えたのには理由がある。2020年の東京オリンピックが幕を閉じた後、果たして日本はどうなっていくのか。刻々と迫りくる祭りに盛りあがる一方で、その「祭りの後」への不安を誰もが心に忍ばせている気がする。いったい五輪景気はどこまで伸び、いつまで通用するのか。その次は何に期待を転換すればいいのか。日本の国際競争力は落ちる一方で、少子化も進んでいくばかり。ついには金融庁までが年金は当てにならないと言い出した。未来を憂うネガティブな要素には事欠かない中で、監視社会化の傾向も私には気になる問題の一つだった。

「時代の閉塞感」という言葉は昭和も平成もよく耳にした。だから、この重く息詰まるような空気は今に始まったものではないのだろう。が、各種センサーや顔認証を用いた監視システムの拡大など、AI技術の進歩によって国民の管理体制が新しい形で強化されていけば、令和の世にはこれまでと次元を異にした閉塞が生まれる可能性はある。宙に耳あり、天に目あり、の時代だ。2019年現在、すでに中国では危険分子と見られる住民に対し、AI技術を駆使した徹底的な監視(銀行やオンライン上の取引から電気使用量に至るまで)が行われているという。マイナンバー制が導入されたとき、なんかいやだなと感じた方は多いと思うが、日本も対岸の火事ではない。

 かくも憂わしき未来像に対して、既に警句を発している人々もいれば、国民のプライバシーを守るべく活動をしている人々もいるけれど、小説家の私は小説を書くしか能がない。せめて小説にしか出来ないやり方で、日本の薄暗い未来像にいくらかの風を送りこむことができないものかと考えた。

 汲々とした日常に緩みをもたらす風。そこに求められるのは強さではなく、軽みだと思う。よって、平安時代の風穴に起源する由緒正しき特殊能力を、令和のカザアナたちは至極バカバカしい形で発揮する。

 そう、私はときどき無性にバカバカしい話も書きたくなる。理由は言わずもがなだ。この世があまりにも深刻なことに充ち満ちているから。
 
朝日文庫 森絵都著『カザアナ』は朝日新聞出版より5月6日発売