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祝・週刊朝日100周年! 雑誌が担う史料としての価値を改めて

 新刊が出る度に、広告を作り、POPを作り、チラシを作る。宣伝課のしがないスタッフである築地川のくらげが、独断と偏見で選んだ本の感想文をつらつら書き散らす。おすすめしたい本、そうでもない本と、ひどく自由に展開する予定だ。今回は、今年創刊100周年を迎えた「週刊朝日」を嗜む。

 「週刊朝日」が創刊100周年を迎えた。100年前はまだ生まれる前なので、まずはどんな年だったのか調べてみた。ファクトチェックは欠かせない。事実を知らねば真実にはたどり着かない。

 ●カナダで糖尿病患者に世界初のインスリン投与
 インスリンは前年1921年フレデリック・バンディングによって犬の膵臓から発見。初投与の際は牛の膵臓から抽出したインスリンが投与された。

●第1回ラグビー早慶戦開催
 出身は早稲田でも慶応でもないので、改めて調べると、1901年柔道、1903年野球、1905年早慶レガッタに次ぐ4番目に生まれた早慶戦がラグビー。対戦成績は早稲田の71勝7分20敗。

●横綱栃木山といえば
 当時の横綱栃木山は横綱在位勝率が.935で歴代最高。当時は現在の15日間制ではなく、10日制で単純比較はかわいそうだが、最強横綱とも。で、最近、相撲ファンはこの栃木山の名前をよく耳にした。照ノ富士が今年の初場所で新横綱から3場所連続優勝をかけたが、これを最後に達成したのが103年前の栃木山だった。

●主な誕生(文化・芸術) 
 瀬戸内寂聴(連載ありがとうございました)、水木しげる、山下清、三浦綾子、コロムビア・トップ、丹波哲郎、内海桂子など

 そんな時代から連綿と「週刊朝日」は発行されてきた。継続こそ価値という雑誌文化において100年は重い。その雑誌文化は危機的な状況にある。それはコンビニの雑誌売り場へ行くと痛いほど伝わる。マンガ雑誌ばかりで、週刊誌も専門誌も驚くほど銘柄が少ない。

 かつてくらげがコンビニの夜勤だったころ、日曜と月曜深夜にはそれはそれは大量の雑誌が入荷した。素早く、返本銘柄を下げ、入荷冊数に見合ったスペースを確保しつつ、かつ前列から人気雑誌を目立つように陳列する。まさにパズルだ。返本期限が近づいた売り時が過ぎた雑誌はどれか、その日発売の雑誌はどんなラインアップか。名人の域に達すれば、そういったものは陳列棚の前に立った瞬間に判断できた。雑誌入荷時間に合わせて、どこからともなく集まってくる夜行性の立ち読み客をかき分けつつ、適切なスペースを作って到着を待ち、入荷した瞬間に手早く陳列する。モタモタしていると、入荷待ちのお客さんに怒られる。今やそんな光景、コンビニでは見られない。そんな時代だった。

 くらげ自身も若いころは、一週間を雑誌中心に過ごした。他社で恐縮だが、青春時代の偏りに満ちた私の一週間を紹介する。

  • 月曜日「週刊競馬ブック」で週末の競馬を反省、次の週末に希望を託す。

  • 火曜日「週刊プレイボーイ」(現在は月曜日)のグラビアで鼻の下をのばす。

  • 水曜日「週刊ファイト」でI編集長の見事なプロレス観にうなる。

  • 木曜日「週刊プロレス」(現在は水曜日)で先週の興行をきっちり情報として押さえる。

  • 金曜夕方は競馬専門紙(これは今も変わらない)。
    ※毎日夕方は電車内で東スポを読みふける。

「週刊朝日」がなくてスミマセン。ただ、若いくらげにとって、「週刊朝日」はちょっとばかり爽やか、かつ硬派なイメージでして。許してください、編集長。

 とまあ、青春時代、雑誌まみれのくらげであっても、現在毎週購入する雑誌はゼロ。なんとも薄情な。いやいや、これが現実ですやん。競馬もプロレスも情報はネットに氾濫状態。もはや家庭に自分のスペースがないくらげにとって、毎週雑誌を買い、それを保管する場所はありません。いや、捨てたらええやんって。あかん、あかんよ。雑誌は捨てたらダメです。あれは資料ですから。いや、史料と書くべきか。100年間社会と世界を伝え続けた「週刊朝日」はまさに史料。その証拠に100周年記念2月25日増大号に掲載された「週刊朝日が報じた大正・昭和・平成の大事件」は、日本の現代史がここに凝縮、みるみる過去の記憶がよみがえり、あっという間に時空を飛び越えた。まさに読み応えたっぷり。

 歴史というのは史料がなにより重要。過去をさかのぼる手段として史料は永遠に有効なのだ。「吾妻鏡」があるから三谷幸喜氏は「鎌倉殿の13人」を書けるわけで、「信長公記」によって織田信長がいかに天下統一を進めたか、その過程にどんな事件があったのかを我々は知ることができる。未来の日本人に「週刊朝日」は1922(大正11)年からの歴史を伝える役割を担う。

 史料というと、視点に偏りがあるとかないとかという指摘が邪魔をする。そういったことははっきり言って関係ない。それは未来の解釈によっていかようにもなる。なぜなら「吾妻鏡」も「信長公記」もいうほど公平な史料ではない。我々だって偏りを割り引いてそれを読む。それが読解力だ。雑誌文化の衰退は読解力の低下を招いた。ネットは基本的に流し読みが主流。みんな、読み解く時間を作らない。未来人の読解力にいささか不安を感じるものの、それでも、いま、この瞬間を後世に残す作業、「週刊朝日」という歴史的史料が担う役目は、これまでの100年以上に価値あるものになる。踏ん張りどころだ。

(文・築地川のくらげ)

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