見出し画像

【試し読み】忙しい日々を乗り切る、時間管理・効率化とは? 共感必至の子育てエッセイ!村井理子『ふたご母戦記』/苦手なことは捨てて「楽して上等」

 人気翻訳家・エッセイストの村井理子さんによる、初の子育てエッセイ『ふたご母戦記』。村井さんは琵琶湖のほとりに、夫と双子男児(16歳)、大型犬と暮らし、年間に何冊もの翻訳書やエッセイを出版、さらに義父母の介護も加わり、大忙しの日々を送っています。本書は、妊娠中から高校受験までの16年間を綴ったものです。
 今回は、双子の息子たちが高校受験を控え、慌ただしい日々を乗り切るコツや心構えを綴った『苦手なことは捨てて「楽して上等」』を特別公開いたします!

■第3回/「感情的な親」にならない方法

村井理子著『ふたご母戦記』(朝日新聞出版)
村井理子著『ふたご母戦記』(朝日新聞出版)

苦手なことは捨てて「楽して上等」

 翻訳をして、原稿を書いて、双子を育てて、そのうえ大型犬もいて、高齢者の介護もして一体どうやって時間のやり繰りをしているの!?と聞かれることが頻繁にある。特に最近は増えてきたかもしれない。傍から見ると、悠々と乗り越えているように見えるのかもしれない。自分では四苦八苦しながら毎日をどうにか生きていると思うのだが、もしやその四苦八苦が伝わっていないのか……いや、四苦八苦を上手に隠しきれているのだろうか。そうだとしたら、ちょっとうれしい。

高校受験に部活動。ヨレヨレの毎日

 なにせわが家は、確かに忙しい。子どもたちは高校受験を控える中学3年生だし、夫は京都まで通勤するサラリーマンで、平日の帰宅時間は必ずと言っていいほど20時を越える。子どもたちとの対話や学校の準備などは、ほとんどすべて、私が担当することになる。これがかなり面倒なことばかりだ。

 面倒といっても、幼児期の頃のようなつきっきりの、体力を消耗するタイプの育児ではない。相手はもう15歳、面倒を見ているのか、それとも見られているのかよくわからない状態だ。受験生になった新学期から、配布物は倍になり、学習塾の特別授業や模試のお知らせが頻繁に届くようになり、そのうえ受験に向けた三者面談の回数も増えた。

 これが精神的にも肉体的にも、じわじわと私を追いつめることがある。夜中、まんじりともせず、よせばいいのに息子たちの将来を憂う。子育ての辛さを語るとき、睡眠不足はトップ項目になると思うけれど、乳幼児がもたらす睡眠不足と思春期の子がもたらす睡眠不足とでは、その辛さは別物では?と思う日々だ。

 体育会系の部活に所属している次男は、週末となると練習試合や遠征などで飛び回っている。中学3年生で引退を前にした少年の部活動に親が関与する機会は極端に減り、本人だけ飛び回ればいいから楽は楽なのだが、しかしその前段階の準備は山ほどある。道着を洗い(ちなみに剣道部)、乾かし、ゼッケンを縫い付け、2リットルの水筒に冷たいお茶を入れて持たせ、別途、スポーツドリンクを持たせてもまだ十分ではない。しっかり者のお母さんたちがやっているという、剣道着のアイロンがけには、残念ながらこの3年間で一度も到達したことはなかった。なんという愛情だろう。私には難しい。特に袴のアイロンがけは重労働すぎる。

 部活動には参加していないものの、スポーツ系、学習系のサークル活動に一生懸命になっている長男は、週のほとんどをそういった活動に費やしている。平日は放課後から夕方まで、土曜は朝から夕方まで。自分で電車で通ってくれるからありがたいものの、お弁当の用意や様々な手続きなど、こちらはこちらでなかなか忙しい。真面目な長男は、そういった活動から帰宅するやいなや勉強机に向かう。そして「ちょっとここの意味がわからない」などと、私のところにプリントを持ってやってくる。素直でかわいいやつめと思うが、母はもう、ヨレヨレである。ここに認知症と診断された夫の両親と大型犬が加わるのだから、「一体、村井家はどうやって……?」と思われるのも、そりゃそうだという感じだ。

一日のタスクを消していく達成感

 私は自宅勤務なので仕事の合間にちょこちょこと雑務は片付けることができる。これはとてもありがたいことだ。そもそも私はマルチタスクをゲーム感覚で処理することが好きで、小学生の頃から何をやっても、そこそこ速かった。だから、朝一番から翻訳作業と家事を並行させるのも苦ではない。しかし、私には持病(僧帽弁閉鎖不全症)があるので、瞬発力はあっても継続する体力に問題がある。自宅勤務でなければすべてを切り盛りすることは難しかったなあとしみじみ思う。

 私の横には息子たちだけではなく、常に体重45キロの大型犬がいる。お腹が空けば、空気を読まずに吠えまくる。すぐに寝るのはいいところだが、目覚めたら最後、吠える、走る、寄りかかってくる。かわいいけれど、本当にかわいいのだけれど、私を一人にしてくださいと思うときもある。それから犬の散歩はなにより私の体力を奪う。なにせ相手は四15キロの人懐っこい犬だから。

 義理の両親については、もう何も書くまい。老いた二人を助けるのは、若い世代の責任でもあるだろうし、目の前にいる人が困っているというのに、手を差し伸べないわけにはいかないのだ。自分の時間は徐々に減り、我に戻るのが寝るときだけという生活が、ここしばらく続いている。

 そんな日々ではあるけれど、私にとって家族の生活のマネジメント、家事をこなすことは、家族のためというよりも、自分のためになっているなと最近は感じるようになった。そういった生活が、ある意味、自分の目標となって、それをクリアしていくことに達成感を得ているのだ。目の前にある仕事はどうしたって片付けたい、一刻も早く楽になりたいと思う私は、その日の課題を朝一番に思い浮かべて、そこから1個1個、タスクを消していくことで無上の喜びを感じるタイプの人間だ。一生懸命働いて、さて寝るかと寝室に向かうとき、キッチンが、リビングが、そして翌日の息子たちの準備が整っていることが、なによりもうれしいのだ。

便利なサービスは費用がかかっても積極的に使う

 もちろん、こんな状況を確保するために、様々な工夫……というか、様々なトリックを駆使して日々の生活を回している。食材の買い物については、毎週3社の宅配業者が必要な食材を届けてくれる。これが楽しみでたまらない。なぜかというと、全国各地の美味しいものが届くわけで、自分で買い物に行くよりもずっといいものが、時にはずっと安く買える。仕事を中断してスーパーに買い物に行く回数も減る。消耗品に関しては、こちらもインターネットショップで定期的に届くように設定している。トイレットペーパーから歯ブラシまで、かなり多くの商品をその使用頻度に合わせて届けてもらっている。そしてもちろん、全国各地の美味しいグルメは、定期的に取り寄せて楽しんでいる。私自身は日がな一日家にいて、パソコンのモニターとにらめっこしているだけの毎日なのに、心だけは旅をし続けているような状態だ(グルメで)。

 子育て、家事の効率化については、私は積極派で、例えば料理は手作りがすべてだとも考えていない。効率は最重視しているから、宅配でミールキット(素材のすべてが下準備された状態で届くラクチン夕食セット)を頼むことも忘れていない。時折、それだけ揃えていたらお金がかかるでしょうと言われるが、私は自分の時間にお金を払うために働いているし、時間が与えられるのなら、喜んで払おうと思う。私が人生として与えられた時間を、買い戻していると考えてもらってもいい。それに最近のミールキットは、材料がすべてきちんと揃えられているというのに、1食1000円前後で購入できる。酢豚2人前を1200円で作ることができるのなら、上出来、いや満点じゃないか。

 こんな工夫もすべて、家事を上手に回すことが目的というよりは、自分のためなのだろう。もっと詳しく書くと、自分の仕事のためなのかもしれない。私は翻訳家だが、本とインターネットにしか興味がない私にとって、この仕事は趣味と実益を兼ねていて、楽しいことが多い。仕事仲間もユニークな人が多く、仕事さえきちんとこなすことができていたら、少しの失敗や疲労感なんて、どうってことない。もちろん、作業量がとても多い仕事で時間もかかるが、好きなことだからこそ、続けられているのだろう。むしろ、この時間がいつまでも続いてくれればいいとさえ思う。

 とにかく、仕事をきっちり片付け、本を出版し続けるために全力投球する手段としての、宅配、通販、インターネットショッピングであり、それを駆使することでなんとか回しているのが、わが家の家事、育児、介護というわけだ。

 自分の仕事のためにやっているだなんて、ずいぶん冷たい人間と思われてしまうかもしれない。でも、そう思わないとやってられない日常って、確かに存在すると思うのだ。もしかしたら私は、自分勝手な生きものなのかもしれない。何もかも犠牲にして、子どもに向き合うことができない私は、母親失格かもしれない。でも、人間ってみんな自分勝手に生きているし、それでいいですよね? お母さんだからって我慢して、そこで積み上げたストレスを子どもに対してぶつけるなんてことがあったら、それこそ本末転倒だ(と、自分に言い聞かせている)。

学校の書類はアプリで管理

 スケジュール管理には課題山積だ。今は、次々とやってくる締め切りを、見て見ない振りをして現実逃避している私がいるのだが、ここ数カ月で管理方法を変え、手書きのスケジュールを諦め、すべてスケジュールアプリで管理するようになった。学校から配布されるプリントやその他重要な書類はすべてスマホで撮影してから、アプリを使って管理、期日前にリマインダーを設定して、忘れないように気をつけているつもりだ。それでも忘れてしまったら……本当に申し訳ありません。

 バッサリ斬り捨てて問題ないものは、本格的にバッサリとやるのがいいと思う。その最たるものが手作り信仰ではないだろうか。苦手な私のようなお母さんは、多々あるインターネットショップで何から何まで購入したって問題はない。バッサリやったから後悔していることなんて、これっぽっちもない。むしろ身軽になって、自分が楽になった。15年、バタバタとした生活をして得た教訓が「楽して上等」だったのは、我ながらこれまでがんばったと思う。

 仕事を最優先にしているからといって、子どもへの愛情が減るわけではない。自分の時間を楽しむことに罪悪感なんて抱かなくていい。むしろ、子どもに干渉しすぎてしまうことなく、適当な距離を保つことができるのだから、それでいいじゃないか。堂々と仕事に邁進し、心から子どもを大切にして、育てればいいだけのことだと私は思う。ここは確実に割り切って、何を言われても信念を通す自分でありたいと思っている。

■第1回/自己紹介:初産で、双子で、高齢出産だ

■第2回/粉ミルク・バイクぶちまけ事件