「秋ぐさ」で詠む“恋の歌” 花に話しかけ、花の言葉を聞く歌人の想い
僧正遍照は『古今集』「仮名序(かなじょ)」で、六歌仙(ろっかせん)の一人に挙げられている有名歌人。『古今集』が成立する少し前の九世紀を生きた人で、小野小町との贈答歌もあります。桓武(かんむ)天皇の孫で、良岑宗貞(よしみねのむねさだ)として仁明(にんみょう)天皇に仕え、天皇崩御ののちは僧侶になって確固とした地位を築いたエリート。ですが私はむしろ、出自のよさや安定した身分から自由になり、歌に対する評価にとらわれずにくつろいで詠もうとした歌人、という印象を持っています。
百人一首でも知られるこの歌は、遍照が出家する前の、若い頃の歌とされています。新嘗祭(にいなめさい/天皇が五穀豊穣と国家の繁栄を神に祈る儀式)で舞う少女たちを「五節(ごせち)の舞姫」といいますが、そのあまりの美しさに心奪われた歌人は、舞姫を天女に見立てます。その姿をもっと見ていたいから、風に向かって言うのです。「雲の通り道を少しのあいだ閉ざしていておくれ」と。
さて、「名にめでて……」の歌では、「女郎花(おみなえし)」という名前が気に入っただけ、私が恋に落ちてしまったなんて人に言ってはいけないよと花にささやきます。わかるようでよくわからない歌ですね。その女性とは懇(ねんご)ろになったのでしょうか。僧侶だったらまずいことかもしれない。でもそれにしたって、深刻な感じがしないのです。 「女郎花」は美女にたとえられて詠まれることが多い、秋の七草の一つ。語源は、花の美しさで美女も脇に押しやられる、というところでしょうか。その女郎花に向かって「人に語るな」と伝えたところに、歌の味わいがあります。「我落ちにき(落ちてしまった)」のは確からしいので、のろけのようでもあります。
遍照のノンシャランとした詠みぶりとはいささか異なるのですが、旅と酒の歌人として知られる若山牧水も、「秋ぐさの花」の声を聞いています。
1910(明治43)年秋、牧水は恋に破れて信州小諸(こもろ)で静養をしていましたが、そのとき小諸城址を訪ねました。
風が渡っていく野を一人歩く歌人に、聞くともなしに聞こえる声がある。耳をすましてみる。そこにいるのは歌人と「秋ぐさの花」だけ。三句の「かたるらく」は「らく」が古語的な言い回しで接尾語として働き、語ることには、という意味になります。花たちが「かたる」内容とは、下の句「ほろびしものはなつかしきかな」。
「かたる」という語には、聞く相手がいて、物事を順序だてて伝えるというニュアンスがあります。ですから、秋ぐさの花は、花同士で、あるいはそばを通る誰かに向かって、風で声が飛ばされてしまいそうな儚い状況にあっても、確かなメッセージを伝えたのです。昔を偲ぶ花たちの声を、牧水は受け止めました。
花に話しかけ、花の言葉を聞く―― 。これもまた、歌人の姿です。ただし傷心の牧水にとって、破れた恋を「なつかしきかな」と思えるまでには、まだ長い時間が必要だったことでしょう。