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宮内悠介さんがコンピュータ・プログラミングを通して描く物語/『ラウリ・クースクを探して』刊行記念エッセイ特別公開

 2023年8月21日(月)、宮内悠介さんの『ラウリ・クースクを探して』がついに発売となりました。ソ連時代のエストニアを舞台に、黎明期のコンピュータ・プログラミングで稀有な才能をみせ人々の記憶に鮮やかに残っているラウリ・クースク。彼はいま、どこで、どう生きているのか。「小説トリッパー」2023年夏季号に掲載後、読売新聞、毎日新聞など各紙での紹介が続く話題作です。
 刊行記念として、朝日新聞出版PR誌「一冊の本」2023年8月号に掲載された著者・宮内悠介さんによるエッセイを特別に公開します。

宮内悠介著『ラウリ・クースクを探して』(朝日新聞出版)
宮内悠介著『ラウリ・クースクを探して』(朝日新聞出版)

 小学生のころ、父の仕事の関係でアメリカにいて、夏休みのたびに一時帰国していた。祖父母の家に泊めてもらい、その近くに住んでいた従兄弟に遊んでもらった。これが、二週間くらいのことであったのか、一ヵ月くらいのことであったのかは、もう記憶にない。ただ、この一時帰国がとても楽しみであったことはよく覚えている。八〇年代の終わりごろのことで、まだ景気がよく、存命だった祖父が車を運転して皆を伊豆につれて行ったりした。池袋のサンシャインシティが好きだった。どこもかしこも明るくて、日本という国にはなんでもあるような感じがした。

 あこがれの従兄弟が一人いた。いつも明るくて、皆の中心にいるような子供だった。その従兄弟がMSXという8ビットのコンピュータを持っていて、それを使って自作のゲームをプログラミングしていた。ゲームを自分で作ることができる、ということがぼくには衝撃だった。

 それで従兄弟からプログラミングを教わり――コンピュータ本体は持っていないので、紙、カレンダーの裏とかに自分のプログラムを書きはじめた。そのときどういうものを書いたかは覚えている。超小型版のドラゴンクエストみたいなやつだ。フィールドの左下に町があり、すぐ右上、ゲーム内の縮尺で言うと隣駅くらいのところに、魔王の城がある。画面は白黒で、「M」の文字が山、「~」の記号が海や川だ。でも、ぼくの頭のなかには、映画の『指輪物語』みたいなそういうイメージが広がっていた。紙とペンだけで、『指輪物語』みたいな世界が作れる。たちまち、ぼくはプログラミングの虜になった。

 念願のコンピュータ本体、MSXを買ってもらえたのは、確か小学五年生くらいのとき。当時のモニタはでっかいブラウン管だったので、学習机の半分くらいがそのコンピュータのセットによって占められた。そこからは、プログラミング三昧の日々になった。

 MSXは日本発のコンピュータなので、情報源も日本語になる。アメリカにも日本語の書籍を扱う店があったので、そこで、「MSX・FAN」という雑誌を購読した。この雑誌が楽しみだった。目当ては、読者が投稿するゲームプログラムだ。プログラムそのものが記載されているので、それを入力すればゲームを遊ぶことができる。これがいいのは、ちょっとしたプログラミングのテクニックを覚えられることだ。当時はそういう雑誌がけっこうあった。

 そのうちに、山はちゃんと山っぽくなり、海や川もちゃんと海や川っぽくなった。BGMを鳴らすこともできるようになった。いまのコンピュータなら簡単にできることだけれど、MSXは仕組みが原始的だから難しく、だからこそ面白くもあった。

 一画面プログラムというやつがあって、それは何かというと、ちょうど一画面に収まる短いプログラムでちょっとしたゲームを作るというものだった。いかにしてプログラムを切りつめるかという、パズルのような要素がある。時間をかけずに作れるというのもよくて、ぼくはよく放課後に一画面プログラムを作った。

 なぜあんなにもプログラミングに嵌まったのか、いま、正確なところを説明することは難しい。小さな箱庭かもしれなくとも、自分の手で一つの世界を作り出すことができるのは、それはもちろん面白い。単純に、パズル的な楽しさもあった。あるいはもっと抽象的に、未来に触れているという感触もあったように思う。そういうさまざまな要因が、複合していた。

 いまもMSXを懐かしむ人々は少なからずいて、日本のほか、スペインやブラジルにも小さなコミュニティがある(MSXという規格がそれなりに成功を収めたのが、日本のほか、スペインやブラジルだった)。二〇二三年現在も、新作のゲームが作られていたりする。かくいうぼくも五年ほど前、スペインで開催されたコンテストに作品を投じた。結果は、十二作品中の五位。まあこんなところだろう。

 そういうわけだから、コンピュータ、とりわけMSXに対する思い入れは深い。プログラミングは、ぼくにとって最初の創作でもあったのだ。そのわりに、ぼくは自分の小説で正面からコンピュータやプログラミングを扱ったことがほとんどなかった。いまは当たり前にそれが普及しているというのもあるし、当時の夢であったAIの類いは、現在、かなりの域に達しているからだろう。

 そんないまだからこそ、一度、本格的にコンピュータを扱った作品を書いてみたいという気持ちがあった。大袈裟に言うならば、コンピュータとは人類にとってなんであったかを問うような、そういう作を。ついでに、できることなら大好きなMSXも登場させたい。そうやって書かれたのが、このたび上梓する長編、『ラウリ・クースクを探して』になる。

 舞台にはエストニアという国を選んだ。ヨーロッパのバルト三国にある旧ソビエト国家だ。

 なぜか。旧ソビエトは、実はMSXコンピュータを輸入していたことで知られているのだ。というのも、冷戦時代、ソビエトは対共産圏の輸出規制によって高性能のコンピュータを輸入することができなかった。そこで、彼らは低機能の8ビット機を大量に輸入することにした。

 このとき、日本のヤマハがソビエト向けのMSX(КУВТ)を作り、これが教育用として学校に配備された。当時、ソビエトではコンピュータが高価であったため、人々が触れることのできるコンピュータはおのずと学校にあるヤマハの教育用のMSX(КУВТ)となった。それで、「ヤマハ」がコンピュータの代名詞になったという話もある。

 ソビエトでMSXは宇宙開発にも使われ、宇宙ステーションのミールにも搭載された。

 とにかく、子供時代にMSX(КУВТ)に触れた人はたくさんいたというわけだ。だから、少年時代、このMSX(КУВТ)に触れた人物を主人公に据えようと決めた。ほかに取り柄のない、ただのコンピュータ好きの少年。それが歴史に翻弄され……と、だんだんと大枠が固まってきた。

 扱うのは、エストニアという国の三つの時代だ。一つは、旧ソビエト時代。もう一つが、ソ連崩壊後の混乱期。最後に、現代。この三つの時代をまたいだ、一人の男性の半生を描こうというのが、今回の試みとなる。ただのコンピュータ好きの少年が、自分と世界とをつないでくれたコンピュータとともに成長し、激動の歴史のなかで葛藤し、生きたその過程を。歴史に残るような英雄ではない、そういう一人の人間を。

 なお、最後の現代のパートが、エストニアという国を選んだ最大の理由でもある。というのも、現在のエストニアは、図抜けたIT先進国として知られるからだ。

 国民のほとんどがマイナンバーカード(eIDカード)を持ち、二〇〇五年には世界ではじめてとなるインターネットによる地方選挙を行い、〇七年には、国政選挙でのインターネット投票を可能にした。子供がプログラミングを学び、携帯電話から駐車料金を支払い、個々人の健康医療データはクラウドに保存されているという。これらはつまり、ありえるかもしれないぼくたちの未来でもある。


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