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【試し読み】「Qアノン」はなぜ日本でも浸透しているのか? 黒幕の実像に迫ったルポ/藤原学思『Qを追う 陰謀論集団の正体』

 昨年、米連邦議会襲撃でも注目を集めた陰謀論集団「Qアノン」
 彼らは「世界は小児性愛者の集団によって支配されており、悪魔の儀式として性的虐待や人食い、人身売買に手を染めている」などといった荒唐無稽な主張を繰り返している。その影響は深く、米国のみならず日本を含めて世界中に広がっている。
 陰謀論は形を変え続け人々を引き込む。一度その沼に嵌ると抜け出すのは難しい。特に日本はネットの匿名掲示板の文化、ブログカルチャーが人々の生活に根付き、拡散するリスクが高いとされる。
 本作『Qを追う 陰謀論集団の正体』は朝日新聞国際報道部記者である藤原学思氏が「Qアノン」が信奉する人物「Q」とは何者なのかを追跡し、「Q」に心酔したごく普通の人々の姿を描いたルポだ。筆者は足かけ3年にわたる取材をおこない、「Q」だと疑われているアジア系米国人、ロン・ワトキンスにインタビューを試みる。
 果たして彼は「Q」なのか。その発言から見えてきたものとは――。
本書のプロローグと第1章を特別に公開する。

※期間限定の全文公開は終了しました。読んでくださったみなさま、ありがとうございました。好評につきまして、第1章までの試し読みを続けます。続きが読みたいという方は、単行本や電子書籍で、ぜひお楽しみください。

藤原学思著『Qを追う 陰謀論集団の正体』

プロローグ

 黒いジープのライトが、暗闇を切り裂く。砂ぼこりがあがる。
《密売人、不法入国者に遭遇する可能性があります》。そんな看板が見える。
 2022年1月17日午後8時、満月の夜だった。私はメキシコに近い米アリゾナ州の国境沿いで、ある男に密着取材をしていた。車の運転席には、男が事前に用意していたピストルがある。辺りにはコヨーテがうろつき、国境警備隊のパトロール車が目を光らせる。
 男はアリゾナ州選出の連邦下院議員をめざし、共和党から立候補を表明していた。
「国境の壁」に着く。男は壁に手を当て、周りを数回見渡した後で、ポケットからiPhoneを取り出す。そして、壁を背にメガネを外し、自撮りを始める。
「私の名前はロン・ワトキンスです。アリゾナ州第2区で、連邦議会に立候補しています。米国の南部にある、トランプの大きく、美しい壁沿いにいます」
「人身売買が行われていないかを確認しに、運転してここまでやってきました。もしそうしたことがあれば、地元の国境警備隊に報告するつもりです。ありがとうございました」
 ロン・ワトキンス、30代半ばのアジア系米国人。身長187センチで、厚い胸板を強調して歩く。好むのはジーンズにシャツといった、ラフな格好。「政治家らしさ」は感じさせない。
 動画を撮り終えたロンは、再び車に乗り込み、すぐに来た道を引き返した。特段、違法行為の確認をするそぶりは見せない。広い道まで出ると、さきほど撮影した動画の出来をチェックする。何度も、何度も。そして30分後、「人身売買に反対。壁に賛成」といった文言をつけ、ロシア発のSNS「テレグラム」に投稿した。
 ロンの当時の居住先へ戻る。「よかっただろ」。満足げに、私に何度もそう問う。動画は投稿から4時間で1万人に、さらにその後1週間で10万人以上に見られた。ロンのテレグラムアカウントのフォロワーは、30万人を超えている。

 なぜ、私はロンに密着していたのか。
 それは、陰謀論集団「QAnon」の取材の一環だった。
 キューアノン、と読む。政府の機密情報に触れられる人物、あるいは集団が「Q」であり、Qの言葉をよりどころとする名無しの(Anonymous)信奉者たちを指す。
《米国の政府やメディア、金融界は、児童の性的人身売買を世界規模で行う、悪魔崇拝の小児性愛者集団によって支配されている》。そんな荒唐無稽な作り話を柱として、2017年秋から、最初は匿名掲示板を中心に、その後は主要なSNSで広がり始めた。
《トランプ大統領は、ディープステート(影の政府)から民衆を守る救世主だ》。そんな言説も展開された。
 笑えない世論調査がある。Qアノンの主な主張について、「完全に同意する」と答えた米市民は5%、「ほぼ同意する」が21年の時点で11%を占めた。
 根拠のない情報は世界中に広がり、いまもなお、現実世界に巣くっている。
 日本も、Qから逃れられなかった。Qアノンには「日本支部」のようなものがある。
 ある団体の創設者は、「Q」の投稿を翻訳し、日本に輸入した。主要なSNSからは締め出されたが、それでも、活発に陰謀論を振りまいている。また、Qアノンの主張を日本向けに応用したような派生団体の幹部らは、新型コロナウイルスワクチンに反対し、接種会場に押し入るという刑事事件を起こした。

 では、その大元の「Q」とは、何者なのか。
 様々な研究者、ジャーナリストらから「Qではないか」と疑われているのが、ロンだ。少なくとも、Qアノン現象を語る上で、重要人物の一人であることは間違いない。
 そして、取材によると、ロンも、Qアノンも、日本と極めて強い結びつきがある。
 関連の取材を始める直接のきっかけは、2020年11月の大統領選だった。
 開票作業が続き、現大統領のバイデンの優勢が徐々に明らかになる中、前大統領のトランプを支持する有権者らは「不正選挙」を叫びだした。最終的に勝敗を分けた東部ペンシルベニア州の最大都市、フィラデルフィアの開票所付近では、武装していた男2人が警察に逮捕された。
 その容疑者2人が乗っていた車には、「Q」のステッカーが貼られていた。
 私は当時、その現場のすぐそばを行ったり来たりしていた。「Qアノンが自分の身にも危険を及ぼすかもしれない」。そう考えると、怖かった。そして、いくつもの「なぜ」が頭から離れなかった。
 その日から2カ月後、21年1月6日。
 今度は、米国の歴史に残る連邦議会議事堂襲撃事件が発生した。熱心なQアノンの信奉者を含む5人が亡くなり、800人以上が逮捕・訴追された。「1.6」は米国でいまや、同時多発テロを指す「9.11」のように、日付が事件を意味するようになっている。
 私は、議事堂に侵入して逮捕された男や、陰謀論にはまって抜け出した女性、陰謀論に依拠した情報を流す新興メディア幹部らに取材してきた。彼らの中では、ウソがウソでなくなり、虚構と現実の境界線が極めてあいまいになっているという印象を受けた。
「陰謀論のもともとの作り手は誰なのか」。私の関心は徐々にそちらにうつっていった。
 ロンとは21年10月以降、12時間以上にわたってともに時間を過ごし、質問を重ねてきた。「あなたはQなのか」。何度もそう尋ねた。また、10人以上の関係者たちの証言を得て、QアノンやQの輪郭を探ろうと試みた。
 ひとつ、確かなことがある。Qアノンは決して、アノン(名無し)ではない。個々に顔があり、名がある。それと同様に、Qもまた、全知全能の神などではない。Qにも顔があり、名がある。
 Qアノンを、Qを、追う。

凡例
・本書は「朝日新聞デジタル」で2022年3月24日から22年4月11日に連載された『Qを追う 陰謀論集団の正体』、2021年1月30日から21年3月21日に連載された『陰謀論 溶けゆくファクト』の一部に加筆・修正をおこない、書籍化したものである。
・登場人物の肩書、年齢、為替レートなどは原則として掲載当時のもので、敬称は省略した。

 第1章 生まれる

「Q」の初投稿、Qアノンの誕生

 陰謀論集団「Qアノン」が信奉する「Q」は、どのようにうまれたのか。
 米東部時間2017年10月28日午後3時44分、インターネット上における英語圏最大規模の匿名掲示板「4chan(ちゃん)」に、1件の投稿がなされた。

《HRCの身柄の引き渡しは、国境を越えて逃亡される場合に備えて、昨日から数カ国とともにすでに動き出している。パスポートについては、10月30日午前0時1分に注意喚起がなされることになっている。抵抗するために組織された大規模な暴動や、米国から逃げる人びとが出ることが予想される。州兵が任務に就くまでは、米海兵隊が作戦を執り行う。真実かを確認するには、州兵を探して、ほとんどの主要都市で10月30日に任務に就くかどうかを尋ねてみればいい》

 これが、陰謀論集団「Qアノン」が信奉する「Q」の初めての投稿であり、「Qアノン」の始まりだ。「HRC」は、16年の大統領選でトランプと対決した民主党の元米国務長官、ヒラリー・クリントンを指す。クリントンは近々逮捕されるはずであり、各国の当局が動いている――。そんな荒唐無稽な内容だった。クリントンはもちろん逮捕されていないし、17年10月30日に、大規模な州兵の動員があったという事実もない。
 4ちゃんには、投稿者が名前を書き込む欄があり、空白にしていれば「Anonymous(アノニマス=名無し)」と表示される。Qの投稿も当初、名無しでなされていた。だが、初投稿から4日後、34件目の投稿で「Qクリアランス・パトリオット」を名乗り、その翌日には投稿の末尾につける形で「Q」と名乗りだした。「Qクリアランス」は実際にある用語だ。米エネルギー省で、最高機密に接することができる資格を意味する。「パトリオット」は愛国者。つまり、Qは自称「政府の最高機密を知る愛国者」というわけだ。

「Q」が初めて投稿した匿名掲示板「4chan(ちゃん)」のトップ画面。話し合うトピックの例として「日本のアニメや文化」があげられている ©朝日新聞社

 Qアノンの一方的な主張は、以下のようなものだ。

  • この世界には、小児性愛者(ペドフィリア)による集団があり、大規模な児童売春、虐待組織を運営している

  • その組織には、米民主党の政治家やハリウッドスター、金融界の大物、メディアの人間が所属している。悪魔を崇拝したり、人肉を食べたりする者もいる

  • 彼らは世界を裏で操る「ディープステート」(DS=影の政府)であり、(前大統領の)トランプはDSと闘っている

  • トランプがもくろむ「嵐」(ストーム)の日には、彼らが一斉に逮捕され、刑務所に送られて処刑される

 Qアノンが信奉するQの投稿は、2020年12月8日まで1138日間、計4953件に及んだ。これらは「Qドロップ」と呼ばれる。最初の投稿を見ればわかるが、Qドロップに書かれている内容は、どれも到底起こりそうには思えない。だが、その投稿は有志によって拡大解釈され、まるで神の言葉のように拡散していった。そして一連のQドロップは、いまではキリスト教徒にとっての聖書のように取り扱われている。

「ちゃんカルチャー」がゆりかご

 Qの「初投稿」がなされた匿名掲示板「4ちゃん」は2003年10月、米国人のクリストファー・プールによって開設された。プールは当時15歳だった。
 匿名掲示板文化は英語圏で「ちゃんカルチャー(Chan Culture)」と言われ、日本発祥だ。4ちゃんのアーカイブによれば、4ちゃんは日本発の「2ちゃんねる(2ちゃん)」の避難所として作られた「ふたば☆ちゃんねる」に着想を得て、「(ふたばちゃんの)非公式な姉妹サイト」としてできたという。
 プールはサイト開設当初、こう書き込みをしている。「日本語を話さない人たちにとって、『ふたば☆ちゃんねる』にいるときと同じように、活発で多様なコミュニティーと交流するための、同等の選択肢になることをめざしています」。アニメやマンガを好きな仲間たちが画像を投稿し、議論できるように――。それが4ちゃんの始まりだった。
 ただ、4ちゃんは「ふたば☆ちゃんねる」と同等どころか、圧倒的な集客力を誇るようになった。米タイム誌は2009年、プールを「世界で最も影響力のある100人」に選出している。オンライン投票の結果では、票を操作された疑惑があったが、元大統領のオバマらの票を上回った。同誌によると、当時の4ちゃんは1日平均1300万ページビューを稼ぎ、月間560万人の訪問者がいたという。なお、現在の訪問者は月間2200万人にまで膨れあがっている。
 プールは開設当初の書き込みで、ユーザーにこう懇願していた。「この掲示板に、くだらない(stupid)投稿はしないでください」。だが、現実は違った。匿名であることをいいことに、4ちゃんには、ヘイトや差別的な書き込みがあふれた。
 プールは2015年1月、「前に進むべきときだ」として、管理人を退くことを4ちゃん内で発表した。その声明では、「4ちゃんの唯一の管理人、意思決定者、(4ちゃんの)構造的な知識の大半を守る人間として、私は、単一障害点として不快なほどに大きな存在になってしまった」と書かれている。つまり、4ちゃんという大きなサイトを自分一人で抱えきることは難しい、という意味だ。
 プールは退任発表直後、米誌ローリング・ストーンの取材に応じている。「アンダーグラウンドのザッカーバーグ(フェイスブックの親会社の代表)」。同誌は、プールをそう紹介している。
 記事の中でプールは、サイトの匿名性について語っている。「匿名でなければ共有しないことを、人びとが共有することを可能にする。それが常に私の基本方針だった」。匿名性は、4ちゃんが成長した理由であり、また、掲示板に憎悪があふれた理由でもあった。一方で、「4ちゃんには、フリースピーチ(言論の自由)があるのか」という質問に対しては、「ない。絶対的な意味での言論の自由はない。これまで一度もなかった」と答えたという。
 取材したデービッド・クシュナーはプールの退任理由について、「我慢の限界に達した」と指摘している。プールはこの頃、4ちゃんの運営方針についてユーザーから批判を浴びせられ、「人生で最もストレスの多い1カ月だった」と語ったという。
 プールの管理人退任から約8カ月後の15年9月、プールは4ちゃんのオーナー(所有者)も退くと発表した。その後任は、「世界の匿名コミュニティーのパイオニア」であり、「4ちゃんの曽祖父とも考えられる」人物だった。
 西村博之。2ちゃんの創設者であり、「ひろゆき」として知られる。4ちゃんの創設に大きな影響を与えた人物が、4ちゃんを率いることが決まった、というわけだ。11年に西村と知り合い、「すぐに友だちになった」というプール。その声明ではまた、西村がいかに「ちゃんカルチャー」において重要な人物か、それがこんな言葉で語られる。
「もし、彼がいなければ、私たちの誰一人として、4ちゃんを今日使うことはなかっただろう。あるいは、ひょっとすると、どんな匿名掲示板もそうだったかもしれない」
「ひろゆきほど、4ちゃんを率いる資格のある人間はいないし、私は(4ちゃんの)タスクに適した人物を他に思いつけない」
 西村は、匿名掲示板というシステムを、「ちゃんカルチャー」をうんだ親のような存在だ。だから、匿名掲示板で生まれ育ったQアノンについて語るとき、西村について語ることを避けることはできない。

ウソはウソであると見抜けないと難しい

 西村が2ちゃんを作ったのは、1999年5月のことだ。4ちゃんのオーナー兼管理人に就任した際、自身のブログに投稿したあいさつ文によると、2ちゃんは米セントラル・アーカンソー大に留学中、「暇潰し」で作ったという。「これが私のソフトウェア開発者としてのキャリアの始まりでした」。また、自身のユーチューブチャンネルでも、当時を振り返っている。
「大学生の時に暇だったんで、春休み中かなんかに暇潰しで作った。なんの話もしていいですよ、管理者があまり関わりません、というスタイルで、『2ちゃんねる』がたまたまうまくいって、『4ちゃん』のmootさん(創設者=クリストファー・プール)も、そういうのを見ておもしろいなと思って始めた」(2020年8月)
「多数対多数のコミュニケーションが社会の中にあんまりなかった。インターネットで広まるだろうな、と」(20年11月)

 そんな2ちゃんが、日本社会に広く知れ渡るようになったきっかけの一つは、2000年5月に発生した西鉄バスジャック事件だ。当時17歳の少年がバスを乗っ取り、刃物で3人を切りつけ、女性1人が死亡した。
 この少年は、2ちゃんを頻繁に利用していたことが広く報じられた。2ちゃんは利用者の多くが匿名で書き込みをするが、少年は「ネオむぎ茶」(それ以前は「キャットキラー」)という名で投稿をくり返していた。犯行直前には、2ちゃん内に「佐賀県佐賀市17歳…」というタイトルのスレッド(議論の場)を立ち上げ、本文に「ヒヒヒヒヒ」とだけ書き込んだ。
 西村はこの事件を受け、「掲示板(2ちゃん)を主催、管理している」という理由で、テレビ朝日系「ニュースステーション」に出演した。2ちゃんについては「誰でも自分の好きな話題のコーナーをつくって、それに対して世界中のひとがコメントを載せられるようになっている」と説明している。また、この番組内で、20年以上がたったいまもなお、一部で「名言」として扱われる発言をする。
「匿名というのが前提になりますので、ウソもありますし、ひどいことも書かれますしね。ただ、そういうのを、ウソはウソであるとか、見抜ける人でないと、難しいものがあるでしょうね」
 自著『僕が2ちゃんねるを捨てた理由』でも、西村は「僕に言わせれば、ネット上にウソを書くことは、誰しもが行っていることなので問題はないと思う」と書いている。いまでは若者を中心に「論破王」ともてはやされ、その発言の一つひとつが、一部メディアの注目を集める。
 2ちゃんねるの創設から16年がたった2015年9月、西村はなぜ、プールから4ちゃんを買収したのだろうか。
 4ちゃんで西村本人が明かしたところでは、14年に創業者のプールが東京に来る機会があった。2人は飲みの席をともにし、プールが4ちゃんを辞めたい意向を示したという。ただ、プールも西村も「4ちゃんを生き残らせたかった」という。4ちゃんの買収資金については「借りた」とだけ書いており、買収額は明らかにしていない。
 また、レギュラー出演するネットテレビ局のニュース番組「ABEMA Prime」では、「もともとの創業者のひと(クリストファー・プール)が、『こんなもんやってらんねえよ、やめてえ』っていうんで、『じゃあ僕やろうか』って、そんな感じで話が進みました」と語っている。オーナー兼管理人だが、スタッフやボランティアもいるという。真偽は不明だが、番組内では「(4ちゃんは)もうかっていない」と語っている。
 西村は15年に買収した当時、4ちゃん上でも「収益が最も重要なわけではありません。私にとって最も重要なことは、この場所を楽しくすることです」と書き込んでいる。
 彼が4ちゃんを所有し続ける動機は、一体なんだろうか。

「ひろゆきの『庭』でQアノンが生まれた」

 西村は、「Q」ではないかと疑われるロン・ワトキンスを直接知っている。ロンは以前、父親のジム・ワトキンスとともに、2ちゃんの運営に深く携わっていた。ただ、西村とワトキンス親子は、2ちゃんの権利関係をめぐって訴訟をしており、現在の交流はない。
 西村とワトキンス親子の接点は、もともと2000年ごろにできた。裁判資料を読み込んだルポライターの清義明によると、札幌でIT関係の会社を営む日本人男性が2人をつなげたという。ロンは私の取材に対し、「10歳ごろから西村を知っている」と語っている。
 ジムは1998年、米国で「NTテクノロジー社」という会社を立ち上げ、2000年ごろから、2ちゃんのサーバー管理を担うようになった。04年の『AERA』によると、ジムはサーバー費として、西村から月約2万ドルを受け取っていた。
 ところが、西村とジムが知り合ってから十数年がたった14年2月、ジムとみられる人物が2ちゃん内に「2chサーバーを確保しました。前の経営者は、2chの運営経費のための資金を十分な収入を獲得ことができなかったので、首にしました」(原文ママ)という書き込みをした。インターネット上では「2ちゃんねる乗っ取り事件」といわれる。西村は同年4月、「サービスとドメインの違法な乗っ取り」があったと主張し、従来のドメイン(2ch.net)ではなく、別のドメイン(2ch.sc)のサイトを立ち上げた。
 これ以降、両者の仲たがいは決定的になり、ジムの息子であるロンも取材に「2013年ごろから西村とは連絡をとっていない」と語っている。権利関係の争いは続き、17年10月、従来の「2ちゃんねる」は「5ちゃんねる」と名前を変えた。なお、「2ちゃんねる」と「2ch」は西村が、「5ちゃんねる」と「5ch」はロンが、それぞれ商標を有している。
「Q」が初めて投稿したのは17年10月。西村がオーナー兼管理人を務める「4ちゃん」だった。それから4年以上が経過した21年末、西村は「ABEMA Prime」の年越し特番「誰かひろゆきを止めろ」というトーク番組に出演した。
 番組の司会者は事前にツイッターで、その内容の一部を宣伝していた。そこには「分断の象徴? Qアノンと対話」と記されている。私は「ちゃんカルチャー」をつくった西村が、自身の掲示板から広がったQアノンをどう考えているのか、大きな関心があった。後日、ユーチューブに内容の一部がアップロードされ、すぐに確認した。
 司会者が「ひろゆきさんの、言ってみれば庭でQアノンがうまれた」と言う。すると、西村は体を揺らして笑った。Qだと疑われているロンの人物像について問われると、「まあ、あの、ジムの息子ですけど、はい。エンジニアで、僕がもともと2ちゃんっていうのをやっていて、そこのサーバー屋がNTテクノロジーってところで、ドメインとサーバーをそのまま持っていかれたっていうのがあって」などと答えた。
 また、司会者は番組の中で、「Qの正体」について西村に聞いた。すると西村は、「考える必要はないと思いますけどねえ。結局、Qしか知らなかった事実で、本当にこれは内部情報だな、っていうのを僕は見た覚えはないので」などと言い、誰がQなのかについての推測は語らなかった。
 西村はこの番組の中で、Qアノンについての取材は「一切受けないようにしている。4ちゃんがらみでは。ひとが死んでいる話なので」と話している。
 5人が亡くなった21年1月6日の連邦議会議事堂襲撃事件の現場には、Qアノンの信奉者が多くいたことがわかっている。また、4ちゃんのオーナー兼管理人である西村には、事件を調べている下院の特別調査委員会から、「2020年4月1日から2021年1月31日までの間の記録を保存しておくように」とする要請文が出されている。
 西村は、番組の中でこう言った。
「日本のニュースのときに、4ちゃんとQアノンがらみで、僕に聞く人がほぼいなかったので、日本ではこの話、しないで済んでたんですよ」
「4ちゃんの方では、BBCだったり、エコノミストだったりとか、いろんなところからプレス(取材依頼)がきてるんですけど、全部シカト(無視)してるっていう」
 私は、公開されている4ちゃんの報道機関用メールアドレスに取材依頼を送り、西村にこの関連で話を聞こうと試みた。だが、返信はなかった。さらに、ツイッター上で西村のアカウントにメンションを送り、「話を聞かせてほしい」と改めて頼んだ。だが、「事実無根のことを平気で流すメディアであれば取材を受けてもウソを流されると思ったので受けていません」などリツイートされる形で返信があった。
 Qアノンと匿名掲示板文化「ちゃんカルチャー」の関係に着目したルポライターの清義明は「あまりにも日本との関わりが知られてなさすぎる」と危機感を抱き、ウェブサイト「論座」で6回の連載をした。清は「無名だから発言の責任は負わなくていい、ウソであったとしてもだまされる方が悪いという文化は、2ちゃんからできた」と言い、それがQアノン現象につながっていったと分析する。
「ネットは使う側の自己責任だ、プラットフォーム(発言や議論の空間)側に責任はない、というのを、いわばネットのルールのように広めてしまった。法的な責任がないとはいえ、その点では、西村に道義的な責任があると言える」
 ウソはウソであると見抜ける人でないと、匿名掲示板を使うのは難しい――。それが西村の「名言」だ。だが、ウソをウソと見抜けず、むしろ真実だと信じ込んでしまう人たちが、多く出現した。それこそが、Qアノンだった。

4ちゃんがヘイトの装置に、そして乱射事件が

 2022年に入り、再び4ちゃんに厳しい視線が注がれる事件が発生した。ニューヨーク州バファローで、黒人10人が殺害された銃の乱射事件だ。
 事件は5月14日昼過ぎに発生した。車で3時間ほど離れた場所に住む18歳の白人、ペイトン・ジェンドロンが、バファローのスーパーマーケットを訪れ、従業員や客13人に対して半自動ライフル銃「AR15」を発砲した。取材に応じた従業員によると、「客は95%が黒人」というエリア。被害にあったのも、13人中11人が黒人だった。

銃の乱射事件があったバファローのスーパー前に集まり、抱きしめ合う市民ら ©朝日新聞社

 ジェンドロンは、犯行の様子を「Twitch(ツイッチ)」でライブ配信した。また、犯行の直前に「犯行声明」をインターネット上に投稿していたとされる。すでに州法上の国内テロなど25の罪で地元の大陪審から起訴され、連邦法上のヘイトクライム(憎悪犯罪)でも起訴された。
《この文章から、私があなたにわかってほしいことが一つだけあるとするならば、それは白人の出生率を変えなければいけないということだ》
 180ページに及ぶ「犯行声明」は、そう始まる。白人至上主義的な文章に満ちており、ぞっとさせるような内容だ。そして、乱射事件を起こすことを決めた理由として、4ちゃんが登場する。
《私はレイシスト(人種差別主義者)として生まれたわけでも、成長してそうなったわけでもない。ただ、真実を学んだ後で、レイシストになった》
《2020年5月、私は極度の退屈から、4ちゃんを見始めた。新型コロナウイルスのアウトブレーク(大流行)のさなかのことだ》
 犯行声明によると、ジェンドロンは当初、自らの趣味から「銃器」や「アウトドア」といったボード(匿名掲示板内の議論の場)をのぞいていた。だが、そのうちに「/pol/」というボードにたどりついた。

 /pol/は「politically incorrect」を意味し、4ちゃん内でも屈指のアクティブユーザー数を誇る。直訳すると、「政治的に正しくない」。世間一般で「ポリコレ」といわれることの対極に位置する内容が話し合われ、過激な考えが日々、書き込まれている。
 ジェンドロンはここで、《白人が人種として死につつある》《黒人が不当に白人を殺している》といった、根拠のない主張を目にするようになった。ある日、同じく/pol/において、《男が建物に入り、薄暗い廊下で拳銃を撃つ短い動画》を見つける。それは、ニュージーランド・クライストチャーチのモスク(イスラム教の礼拝堂)で、ブレントン・タラントが起こした事件の動画だった。タラントは二つのモスクで、51人を殺害した。/pol/は、こうした動画へのリンクが書き込まれるような場所なのだ。
《彼にほぼ同意した》というジェンドロン。《ようやく目が覚めた。攻撃することを考え始めた》
 国勢調査によると、米国の全人口に占める白人の割合は減り続けており、2044年にも50%を割り込む。一部の極右はこうした人種構成の変化を「グレート・リプレイスメント」(大置換)ととらえ、この単語はレイシストや陰謀論者が好んで使う。極右的な発言で知られる米FOXニュースの司会者、タッカー・カールソンも2021年4月、民主党と関連のある「第三世界の有権者」によって「置き換え」が起きていると持論を展開していた。
 NPO団体「メディア・マターズ・フォー・アメリカ」によると、/pol/では18年7月以降、「グレート・リプレイスメント」や「ホワイト・リプレイスメント」「ホワイト・ジェノサイド」といった言葉が、9万回以上言及されていたという。同団体は「4ちゃんや8ちゃんといったちゃんサイトは、白人ナショナリスト集団の勧誘の場であり、/pol/は近年、ヘイトスピーチが急増している」と結論づけている。

匿名掲示板はどこまで言論の自由に守られるべきか

 バファローの事件後、4ちゃんでは何が起きたか。ロンドンのシンクタンク「戦略対話研究所」(ISD)で偽情報の専門家として活躍するアナリスト、キアラン・オコナーが取材に応じ、解説した。
 オコナーによると、4ちゃんでは事件直後から、関連する議論が活発になった。特に大きな関心が寄せられたのは、犯行時の様子をうつした動画で、ライブ配信されたツイッチのスクリーンショットが投稿された。「どのようにして動画にアクセスし、保存し、拡散するか」。4ちゃんユーザーはそうしたことを話し合っていた。
 ジェンドロンの配信動画をライブで見ていたのは数十人にすぎなかったが、最終的に1分弱の動画が掘り起こされ、拡散されることになった。記者である私のところにも、現場で会った青年から「これを見てみろ」とツイッターのダイレクトメッセージで送られてきた。オコナーによると、ツイッター上ではある時点で、46万回も再生されていたという。
 オコナーは、掲示板における匿名性について「多くのポジティブな面がある。たとえば、投稿者を保護することだ」と語る。「投稿者は、恥をかいたり、報復を受けたりすることを心配せずに、思ったことを発言できる」
 ただ、4ちゃんについてはこう指摘する。「そのカルチャー、DNAの中核をなしているのは、匿名性による保護を提供することのほかに、ヘイトに満ちたこと、有色人種や女性を中傷し、標的にすることを言葉にする許可を与えている点だ」
 英語圏には同じく匿名掲示板として「Reddit」(レディット)という巨大なコミュニティーがある。1カ月に1回は訪問するユーザーは4億3千万人。4ちゃんより大きい。オコナーはレディットと4ちゃんとの違いについて、「プラットフォームの管理の仕方が根本的に違う。レディットはサイト全体として、何が受け入れられて、何が受け入れられないかという、幅広いガイドラインを有している」と話す。レディットでは、ユーザーに相当の「自治権」が与えられているが、攻撃的、憎悪的、有害な発言については、簡単に運営に報告ができるようになっている。
 4ちゃんは、個人情報が書き込まれた場合などに削除される仕組みがあるが、「レディットと同程度のガイドラインはない」とオコナー。「結果として、レディットでは規制されるような投稿が、4ちゃんでは可能になっている」と話す。
 バファローの事件で、容疑者であるジェンドロンは、犯行声明へとつながるリンクを「4ちゃんに貼る」と記していた。オコナーは「4ちゃんは、暴力的な過激派が、こうしたものを広めるのに安全な場所だ」との見方を示す。
 もちろん、4ちゃんがなくなったとしても、バファローで起きたようなヘイトクライムが疑われる事件が完全になくなるわけではない。ただ、オコナーはこんな提言をする。
「誰かが憎しみに駆られて行動する。もし4ちゃんが、その可能性を下げることを真剣に考えているのであれば、白人至上主義を促進するようなコンテンツは許可しないとか、明確なルールを定めたコミュニティーガイドラインを作成するはずだ。ユーザーが、過激化する動機を簡単に見つけられるようなことはあってはならない」
 バファローの事件後、ニューヨーク州のジェームズ司法長官は、4ちゃんやツイッチを捜査する方針を示した。「バファローのテロ攻撃は、憎悪を広め、促進するオンラインフォーラムの底の深さと危険性を、改めて明らかにした」。ジェンドロンがいかにして犯行に至ったか、その過程に4ちゃんなどがどう関わったのかを調べるという。
 では、匿名掲示板は、行政や法律によって規制されるべきなのか。
 フロリダ州立大教授のディアナ・ローリンガーは「インターネットでは誤情報や偽情報がいともたやすく拡散され、事実よりもはるかに速く、はるかに遠くに広がる」と話す。一方、「(虚偽の拡散を)監視するのも、その存在を確認するのも困難を伴う。政治家や利害関係者にとって、すぐに機能する解決策を見つけることは難しい」とも言う。
 米国のプラットフォームと言論をめぐっては、「セクション230」と呼ばれる条項がある。通信品位法230条のことで、プラットフォーム企業に投稿内容への免責を認めるものだ。
 つまり、4ちゃんなどのプラットフォームに違法な内容が書き込まれたとしても、オーナーや管理人が責任を問われることはない。
 ローリンガーは「プラットフォームにおける会話を制限すべきだとは思わない」としつつ、「それがどのような空間なのか、利用者はもっと教育を受ける必要がある」と指摘。「言論の自由が何を意味するのかについて、真剣に考えなければいけない」と語る。
 米シンクタンク・ランド研究所上級政策研究員のヘザー・ウィリアムズは「陰謀論や誤情報を流したり、宣伝したりする場を提供することは極めて危険だ。(インターネット上のプラットフォームは)情報が洗浄され、信頼性があるように見せかけるメカニズムでもある」と話す。
 こうした情報の負の循環を完全に断ち切ることは難しい。ウィリアムズは対抗策として、プラットフォームから危険な人物や投稿を排除したり、コンテンツを厳しく管理したりすることが効果的かもしれないと語る。また、ネット空間だけでなく、同時に家族や捜査当局、医療関係者らが危険を察知し、対応することも必要だと訴えている。

「ひろゆき」はどうみる

 ニューヨーク州バファローの乱射事件を受け、米CNN、英BBC、英ガーディアンといった大手メディアが4ちゃんにフォーカスを当てた記事を出した。
 くり返すが、4ちゃんのオーナー兼管理人は、「ひろゆき」としてメディアに引っ張りだこの西村博之だ。日本人の運営する匿名掲示板が、10人が殺害される銃の乱射事件、しかも、ヘイトクライムが疑われる事件の容疑者の「学び」の場になっていたとすれば、それは日本の読者にとっての関心事でもある。私はそう考え、4ちゃんの広報経由で質問を送ったが、返事はこなかった。
 ただ、西村は事件から数日後、ツイッターに「私の祖母、祖父はみんな日本人です。どうやったら私が白人なんでしょうか? 色盲ですか?」と書き込み、自らの2年前の投稿を引用リツイートした。元の投稿には、本人の顔写真とともにこう添えられている。「私が白人だと思いますか? 私が、私自身が、4ちゃんは白人至上主義者のサイトではないという生きた証拠です」
 しかし、論理的に、サイトの運営者が白人ではないことは、サイトのユーザーに白人至上主義者が多くないことの「証拠」にはならないはずだ。
 西村が自身の見解を明らかにしたのは、5月下旬、再びネットのニュース番組「ABEMA Prime」でのことだった。西村は、容疑者が4ちゃんに影響を受けたと犯行声明に書かれていることをどう受け止めているかと聞かれ、以下のように答えた。
「影響を受けたかどうかっていうと、たぶんツイッターとかツイッチとかも同じように、(4ちゃんにも)サピーナっていう召喚状が出てるんですけど、情報くださーいっていうのが、ニューヨーク州から同じように行われているっていう状態です」
 この番組には、米国在住の映画評論家、町山智浩も出演していた。町山は人種差別的な投稿について「4ちゃんだけがそれが野放しなので、非常に危険なメディアになっている」と語った。すると西村はすぐさま、「4ちゃんだけが野放しとか、ウソを言うのはどうかと思いますよ。利用者が多いだけで、フェイスブックとかツイッターも同じようにニューヨーク州から調査はされているので。フェイスブックとかツイッターにないっていうのは、いま町山さんウソつきましたよね」とかみついた。

町山「いや、あの、ツイッターは一応規制してますよね」
西村「ええ。4ちゃんもちゃんとルール通り規制はありますよ」
町山「人種差別的な書き込みは一つひとつ消している形なんですか」
西村「ツイッターって一つひとつ消してます?」
町山「ツイッターは報告があると消す、という形ですね」
西村「なので、報告があると消すというのは同じです。アメリカの法律に従っているという意味では一緒だと思いますけど。なので、まず先にちょっと、4ちゃんだけ許されてるってウソついた部分だけ訂正お願いしていいですか」

  西村は明らかにいらだっていた。匿名掲示板自体は悪くないし、他のプラットフォームだって当局の捜査を受けているし、4ちゃんにもルールがある――。そう主張したかったのだろう。
 西村によると、4ちゃんの投稿は「チャイルドポルノ系とかは自発的に、ボランティアのひと、スタッフが削除している」という。匿名掲示板がクローズアップされていることについては「銃に問題があるわけじゃない、別のことに問題があるんだ、というふうにしたがるメディアや、お金を持ってる人たちがいっぱいいるので、たぶんネットが悪いよねっていう形で、じゃあネットがなんとかなればいいんじゃんね、で、銃規制は進まないっていう道にアメリカは進むんじゃないかなって思ってますけど」と突き放した言い方をした。
 さらに、事件と匿名掲示板、ネットについての意見も述べた。
「一つ説明をしといた方がいいかなあと思うのは、4ちゃんが生まれる前から、アメリカってKKK(クー・クラックス・クラン=1860年代にできた白人至上主義者による秘密結社)とか、いっぱいいたんですよね。なので4ちゃんが何かをしたというより、アメリカってそういう文化、そういう風習、そういう人たちがいろいろ出てましたんで、ネットがどうこうっていう問題ではないと、僕は思いますけどね」
「2ちゃんねる、僕がやっているときも言われたんですけど、2ちゃんねるがあるからこういうことが起きた、2ちゃんねるでこういうことを知った、みたいなことをよく言われるんですけど、多くのひとが使われる『N対N』の、大勢対大勢がコミュニケーションする場所って、2ちゃんだったり4ちゃんだったりで、ツイッターって『1対N』、1人が多くのひとにやりますよ、フェイスブックは知り合い同士でやりますよってなるんで、なので、多くのひとが情報伝達する場所は、それは情報を知るひとが増えるよねっていうことで」
「一応そういったサイトの中で、アメリカで、英語圏で一番でかいのがいま、4ちゃんなので、じゃあ4ちゃんで情報知ったひとが多いよねと。で、2ちゃんねるの場合は日本語圏であの当時一番大きかったので、2ちゃんで知るひとが多いよねっていうだけの話なので、構造の問題とサイトの方向性の問題をごっちゃにするのはよくないなと」
 なぜ西村は、批判を受けながら、しかも、本人いわく「もうかっていない」のに、掲示板の運営を続けるのだろうか。そのことについては「ユーザーもいて、なくなっちゃうのはもったいない」という言い方をしている。その真意はわからない。ぜひいつか、本人の口から聞かせてほしいと思う。
 日本発の「ちゃんカルチャー」については、今後も是非をめぐって議論が続くだろう。匿名掲示板で思いをはき出し、人生を救われる人がいるかもしれない。ただ、4ちゃんねるの/pol/のような場所で得られる「情報」は、果たして社会に有益なのか。私たちは、そこから目をそらさずに、どのようにして向き合っていくべきか、考えていく必要がある。
 陰謀論集団「Qアノン」が生まれ育ったのも、匿名掲示板だった。もっとも、小児性愛者や児童売買集団が世界を牛耳っているといった、根も葉もないQアノンの主張は、実は目新しいものではない。その前身とも言える陰謀論「ピザゲート」というものがある。

Qアノンの前身「ピザゲート」とは

 ホワイトハウスを背に、車で20分、首都ワシントンをまっすぐ北にゆく。
 両側に木々が並ぶ片側2車線の「コネティカット通り」。ここは、しゃれたレストランやバーが並ぶことで知られる。
 ピザ屋「コメット・ピンポン」は、そんな場所にある。2022年2月上旬の夜、私は同僚とともに店を訪ねた。Qアノン現象について語る際に、ここを避けては通れない。

ワシントンにあるピザ店「コメット・ピンポン」 ©朝日新聞社

 平日だというのに、200席ほどの店は談笑する地元客であふれていた。大型スクリーンには北京五輪の映像が流れている。奥では卓球を楽しむ男女がいた。
 ピン、ポン、ピン、ポン。球が弾む。会話も弾む。
 和やかな雰囲気に、まったくそぐわない事件がここで起きたのは、もう5年以上前になる。その事件は、陰謀論がいかに現実の世界に悪影響を及ぼすのか、それを表す。
 事件を起こした男の名は、当時28歳のエドガー・マディソン・ウェルチ。確定判決や裁判資料によると、ウェルチは2016年12月4日午前8時50分、トヨタ・プリウスに乗り、米ノースカロライナ州の自宅を出た。
 車には、殺傷能力の高い半自動ライフル銃「AR15」と29発の弾薬、6発フルに装弾されたリボルバー拳銃、さらには、12ゲージの散弾銃も積んでいた。
 ウェルチがめざしたのは、自宅から550キロ先にあるワシントンの「コメット・ピンポン」だった。
 自宅を出て約6時間後の午後3時ごろ、ウェルチはAR15を胸にかけて店内に入り、従業員に銃口を向けた。従業員も客も、パニックになって逃げた。
 ウェルチは誰もいなくなった後、店内で複数回にわたって発砲する。店に入ってから約25分後、両手を挙げてフロントドアから出てくると、警察官に身柄を拘束された。
 なぜ、このような犯行に及んだのか。
 ウェルチは事件を起こす3日前、ユーチューブで何度も、ある陰謀論について調べていた。それが「ピザゲート」だ。半世紀前にニクソンの大統領辞任につながった政治スキャンダル「ウォーターゲート事件」をなぞらえた呼称だ。これが後に、「Qアノン」へとつながっていく。
 ピザゲートの成り立ちについて、米メディアの当時の報道も参考にみていく。
 2016年10月30日、トランプが当選することになる大統領選間近のことだ。「ニューヨーク(NY)に住むユダヤ系弁護士」を名乗り、日頃から白人至上主義的な内容の投稿をくり返していたツイッターアカウントが、1件の書き込みをした。
《NY市警が捜査対象としているNY州選出の元連邦下院議員のメールのやりとりから、児童の集団性的虐待事件の中心人物として、ヒラリー・クリントンが浮上している》
 もちろん、これも裏付けのない話だ。だが、ツイッター上では大きく拡散された。陰謀論者が集う掲示板では《児童虐待集団》について、《少なくとも6人の議員が関与し、クリントン財団が直接運営している》と尾ひれがつけられた。
 10月31日。さらに、「ニュース」と名のつくウェブサイトが、《FBI(連邦捜査局)内部の情報源から確認を取った》と伝える。極右的な思想や陰謀論が目立つ個人サイトでは、これらが真実のように語られ、フェイスブックやツイッターのほか、匿名掲示板の「レディット」や「4ちゃん」でも広まった。「NYに住むユダヤ系弁護士」は、発端となったツイートから3日後に、「私の情報源は正しかった!」と自慢げに投稿した。
 こうした虚偽情報の拡散を加速させたのは、10月から11月にかけて、内部告発サイト「ウィキリークス」が、クリントン陣営の選対本部長、ジョン・ポデスタの私的なメールを大量に暴露したことだった。ポデスタは「コメット・ピンポン」の常連で、オーナーとメールのやりとりをしていた。
 メールの文面にあった「チーズピザ」(CHEESE PIZZA)という言葉が、「チャイルドポルノグラフィー」(CHILD PORNOGRAPHY=児童ポルノ)の隠語だと勝手に深読みされた。そして、雪だるま式に、《児童虐待集団の拠点はワシントンの「コメット・ピンポン」の地下室》という虚偽の言説ができあがっていった。店は陰謀論者の標的になり、脅迫などの様々な嫌がらせが起きるようになった。

「コメット・ピンポン」で卓球を楽しむ客ら ©朝日新聞社

 この「ピザゲート」については、米司法省が「根拠がない」と否定している。だが、ウェルチはピザゲートを信じた。そして、武器を取り、実際の行動に出た。恋人には事件前、「ピザゲートについて調べていた。クソほど気分が悪い」とメッセージを送っている。押収された携帯電話の記録からは、友人にユーチューブのリンクを送り、その後、「襲撃」に誘っていたことも判明している。
 ウェルチには、当時5歳前後の娘が2人いた。自宅からワシントンに向かう車中では、「娘たちへ」と語りかける自撮りの動画を撮影していた。そこには、こんなセリフが残されている。
「世界中の何よりも、君たちが大好きだ。悪魔たちのせいでこれほど腐りきった世界で、君たちを成長させることはできない。少なくとも君たちのために、ちょうど君たちのような年ごろの他の子どもたちのために、立ち上がらなくては」
 ウェルチは店内にいた約25分間で、「児童虐待集団の拠点」を探していた。ある扉には、カギを開けようと発砲した跡が残っていた。だが、そこは従業員用のクローゼットだった。
 店にはそもそも、地下室などなかった。私も直接、店を訪れて確認した。
 2017年6月22日、ウェルチには禁錮4年の実刑判決が言い渡された。
 その20日前に、ウェルチが裁判官にあてて書いた直筆の手紙がある。そこには、こう記されている。
「私がDC(ワシントン)に来たのは、緊急支援を必要としていると私が信じる人たちを助けるためでした。無実の人びとの命を脅かすと、私が本気でそう信じていた、腐敗を終わらせるためでした」
「人びとの苦しみ、特に子どもが苦しんでいる可能性について、たいへん胸が締め付けられるように感じました。自分の行動がもたらす影響や、それによって起こりうる被害について考える時間を持たずに、行動を起こすように促されてしまいました」
 促されてしまった――。この言葉に、陰謀論の怖さがある。根拠のない情報が拡散され、それを真実だと思い込み、一方的な「正義感」から、行動に移してしまうのだ。
 ウェルチは刑期満了よりも早く、20年3月に釈放された。本人のものとみられるフェイスブックページによると、釈放後すぐ、事件時から交際していた女性と結婚し、新たに子どもも生まれたようだ。
 私はウェルチや妻、その友人に取材依頼のメッセージを出した。いまもまだ、「ピザゲート」を信じているのか。それが知りたかった。だが、返事は得られず、友人からは取材を断られた。
 コメット・ピンポンに足を運んだ私は、記者と名乗り、「事件について調べているのですが」と男性店員に話を振った。だが、話はさえぎられ、「そのときは働いていなかったから」とあきれた表情で返された。5年以上がたってもまだ、何度も同じように聞かれてうんざりしていると、そんな口ぶりだった。
 一方、ウェルチが収監されている間、米国内外で、「ピザゲート」を発展させた陰謀論が広がり続けた。
 それが「Qアノン」だ。
 ウェブメディア「デイリービースト」のウィル・ソマーは、Qアノン現象を最初期から追ってきたジャーナリストだ。ソマーは「ピザゲートの主要な主張を拾い集めたものがQアノンだ」と言う。
「民主党のエリート集団が子どもたちを性的に虐待したり、血を飲んだりするという陰謀論は、ウェルチの事件後、うさん臭い話として触れられないようになった。だが、突然、Qアノンとして再び現れた」
 ソマーと同様、Qアノン現象を追い続けるジャーナリスト、マイク・ロスチャイルドも「ピザゲートはまさにQアノンの先駆けであり、共通する神話を多く持っている」と話す。両者の違いについては、「ピザゲートはQアノンよりも若干選挙に特化した陰謀論だった」と指摘。「いまでは、ピザゲートがQアノンの子会社のような存在になっていて、Qアノンの中にある陰謀論の一つとして位置づけられるようになった」と説明する。
 ピザゲートによって、ウェルチが「促されて」起こした事件から3年半後、同じ首都ワシントンで、より大規模で、米国の歴史に残る事件が発生した。
 英語では”January 6”と呼ばれる。米連邦議会議事堂の襲撃事件だ。

※期間限定の全文公開は終了しました。読んでくださったみなさま、ありがとうございました。好評につきまして、第1章までの試し読みを続けます。続きが読みたいという方は、単行本や電子書籍で、ぜひお楽しみください。


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