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読めば飲みたくなること間違いなし! 太田和彦著『居酒屋と県民性』の小泉武夫氏による文庫解説を特別公開

 居酒屋をめぐって47都道府県を踏破した太田和彦さんが、居酒屋を通して県民性やその土地の魅力にせまる『居酒屋と県民性』(朝日文庫)。居酒屋と旅好きにはたまらない一冊から、東京農業大学名誉教授・小泉武夫さんによる解説を特別に公開します。(写真:iStock / Getty Images PlusGetty / taka4332)

太田和彦著『居酒屋と県民性』(朝日文庫)

■居酒屋パラダイム

 わが国を代表するグラフィックデザイナーの一人で、文筆家でもあり、居酒屋探訪家である太田和彦さんは、これまで日本全国の居酒屋を訪ね歩き、そこで出会った地酒や地料理、それを取り巻く様々な人間模様などをルポルタージュし、多くの著作を上梓してきた。しかし本書では、これまでの居酒屋訪問とはやや視点を異にして、それぞれの地域の風土や歴史、文化などを織り込みながら「居酒屋と客と県民性」に焦点を合わせて述べている。

 ところで、「旅情」とは、旅に出て感じるいつもとは違う気持ちのこと。また、そこから発せられる「情緒」とは、その感情の動きを誘うような雰囲気だと思う。そう考えると、著者の体には全国各地の居酒屋を訪ね歩いている中で、常に外側からの旅情と内側から情緒とが共存していて、それを取り持ち融合させているのが酒であり、さかなであり、その周辺ではややかましい人々であり、そして、その舞台であるのが居酒屋だというのが、これまでの著書から読み解けるのである。そして、それが根底になって本書に繫がっているような気がする。

 著者は本書の冒頭で「その土地を知るには、居酒屋に行け」と述べているが正にその通りで、様々な土地にはそこに根づいた長く普遍な風土があり、それに培われてきた文化があり、そして、歴史の積み重ねがある。それによって自ずと人間性は生育され、次第に固定されてきた。そして、そこに居酒屋があり、人がいて、肴もあって、酒もある。それはその土地のものばかりであるから、自然にそこに地域文化が醸成され、それが広義の土地柄あるいは県民性、狭義の気風(性格、心の持ち方)に繫がっていくのである。とにかく昔から居酒屋は、土地柄と人柄とを形成する場でもあったのだ。

 本書の筋立ては、全国47都道府県別に分けられ、それぞれが前後2つの節から成っている。前節には、その土地の風土や歴史、文化、県民性、食事様式、地酒などが簡潔明瞭に記されている。また後節には、その土地を代表して最も県民性が滲み出ている居酒屋を取り上げ、酒と肴の内容と経営者の主人や女将たちの人柄などが記されている。

 それらの都道府県別に掲げられている前付け(見出し)が県民性を読み取るのに的を射た短文で面白く、気に入った。例えば、秋田県には「小鍋立で、だらだらながく飲む」、茨城県「おいしい魚があれども、商売ができない」、愛知県「居酒屋のない町に日本一の居酒屋が」、高知県「不滅の酒飲み県」、福岡県「ラテン気質と九州濃度」などである。どれも、これまで全国の居酒屋を行脚してきた著者にしか切り出せない見出しであり、とても楽しい。

 居酒屋と県民性の相関についても、持論あるいは伝聞を交えて語っている。それがどれも正鵠を得るような表現でとても愉快で、思わず手を打ったり、笑いこけたり、あるいは、目から鱗だったりした。例えば、静岡県の人のことは、「東海道の真ん中は往来する人が絶えず、品物は並べておけば勝手に売れる。何もしないでもやっていけるので何もしない。よって、人は良いが粘りがなく、何か決める集まりを開いてもすぐに『疲れちゃうから止めようよ』と酒に早変わり。出世意欲はゼロで遊びは熱心。そうして毎晩宴会」とある。私が知る静岡県は出身者にも、気候温暖なせいかおっとりとしていて殿様か大名かような人もいたので、なんとなく的を射ているようだなあと思った次第だ。奈良県の人のことは、「奈良の人は外に出たがらない『盆地気質』とそこの客が言っていた。また居酒屋などで料理を待たされても『まだか』とは言わない鷹揚おうようさがあると。人は訪ねてくるもの、それはこばまないが、人の帰った後の静かな夜に本当の奈良の良さがある。それを観光にしないだけだった」。

 居酒屋の風景、あるいは描写にも、名文が至るところに出てくる。そこには、レトロ調を称賛したり、浪漫溢れる表現があったりと、今すぐにでもその居酒屋に行って飲みたくなる心境に駆られてしまう。青森県八戸市の「ばんや」のことは、「大正時代の古い料亭を改造した千本格子の木造総2階家は、店内もまた太い梁の番屋風の造りがいい。青森地酒を中心に全国の優秀酒がそろい、じっくりやる気分満点だ」とある。実は私もこの居酒屋に時々行くので、こういう紹介をされると何となく嬉しくなる。京都市の「ますだ」のことは、「最も京都らしい小路といえば先斗町ぽんとちよう。もちろん観光客もいっぱいだが、十五番ろーじの『ますだ』は司馬遼太郎、大佛おさらぎ次郎、桂米朝、ドナルド・キーンら多くの文化人が常連とした名店。しかし決して文化人サロンでなく、仕事を終えたサラリーマンやたまの夫婦酒など、市井の人が文化人と並んで普通にさかずきを傾けている。こういう酒場は東京にはない」。

 居酒屋といえば、酒と相思相愛なのが肴。その居酒屋の料理の表現にも食指が動かされ、よだれもピュルピュルと湧き出す有様だ。北海道釧路市の「万年青おもと」の料理の件は、「長大な焼き網に炭火がガンガンにおこる。人気の、タレにけた豚肉の巨大ステーキ300グラムを地元の人はぺろりと食べる。炉端焼の最高峰メンメ(キンキ)はどの店もよい値段がするが、大きいので2、3人でとるとよい。その食べ終えた骨でつくる〈骨湯〉を忘れるな。屋台から始めて50年以上、朝7時までやっている典型的な地元の炉端焼」。島根県益田市の「田吾作たごさく」の料理のことは、「活魚はもちろん自家製豆腐、山採り山菜など、できる限りを自然新鮮にこだわる姿勢は命を食す根源的な安心感となる。活鮎を開いたばかりの内臓に塩を振っただけの〈うるか〉は神々しいほどの味だ。昼の〈あじ丼〉〈いか丼〉がまた良く、私は昼もここ」。

 日本国中至るところに居酒屋はある。大都会の隅々から地方の小さな村にまで、ないところはあるまい。ところが、全国に何百何千とあるなかで全く同じ内容の居酒屋は二つとない。その一つひとつには、下拵したごしらえや味付けなど料理法の違った肴があり、銘柄の異なった酒があり、さまざまな個性を持った主人や女将がいて、そこには小さな「世界」が築かれているのである。これはもう規模の違いを問わず、自主独往の立派な文化である。

 その小さなカルチャーである居酒屋の現場を、都道府県別に取り上げ、そこに風土や歴史、庶民気質などを織り交ぜながら洒脱に論考したのが本書である。大袈裟にいえば、比較文化人類学的手法を試みて居酒屋と県民性との相関を探ってみたわけであるが、そこからは個々の居酒屋の文化が地域性と密接に一体化していることが分かり、居酒屋には紛れもなく県民性が宿ることを確証できるのである。

 以上のように、日本全国どこの居酒屋にも地域文化は宿っているのであるから、客は大手を振ってそこへ行き、その固有のカルチャーに思い切り浸り、飲み、食べ、しやべって、心に豊かさを創り出せばよいのである。