見出し画像

「絶望にはまだ早い」ベストセラー作家・森博嗣氏が問う“諦め”の作法と価値

「突っ慳貪(つっけんどん)な印象を持たれ、好感度ダウンとなること必至だろう。だが、好感度を上げたいという欲求は僕には皆無なので、まったく影響を受けずに書いた」
『すべてがFになる』『スカイ・クロラ』数々のベストセラーを生みだした作家・森博嗣氏の『諦めの価値』(朝日新書)からの言葉だ。現在森氏は、労働時間は毎日1時間で、幼い頃からの夢だった「庭園鉄道」(庭に敷設する鉄道模型)を整備する毎日を送っている。森氏が夢を叶えられた理由は、仕事や人間関係など多くを「諦めた」からだという。森氏にとって「諦め」とは何なのか? 森氏に寄せられた人生相談を本書から一部抜粋して紹介する。(写真:Gettyimages)

■諦め癖がついています

【相談1】
 昔は「頑張ったら自分はできる」と思っていた時代もあったのですが、結果に結びつかないことが多く、前向きになれないことが増えてきました。「どうせ駄目だろう」「だったら、やっても無駄」というふうに、動かない理由をつけては、ぐだぐだしています。こうした諦め癖・負け癖を拭い去るには、どうしたら良いでしょうか? 頑張っている人を見ると冷笑的になる一方で、「こんなもんだ」と、なにもしない自分にも嫌気がさしています。

【森博嗣さんの答え】
 それでよろしいのではないでしょうか? 僕には、なにがいけないのかわかりません。前向きになれないのは、自分や周辺の条件を的確に把握しているからですよね?

 無駄なことは最初から諦めた方が良いはずです。諦めているのではなく、最善の道を選択しているのではありませんか?

 ただ、問題は、その状況を「諦めている」と評価し、しかも「負けている」と感じている部分にあります。これは、他者との比較に重点が置かれているためです。逆にいえば、「自分も頑張りたかった」という後悔があり、「自分は勝ちたい」という願望がある、ということです。むしろ、そこに問題があるのではないでしょうか?

 頑張って勝ちたい、という気持ちは、悪いとは思いませんが、しかし、「勝つ」とは、つまり誰かを蹴落とすことですし、負けた人間を惨めだと見下ろしたい、そういう願望が潜んでいるはずです。何故、他者に勝たなければならないのか、というと、それは周囲の他者に認めてもらいたい、と望んでいるからです。

 もし、自分の楽しみを持ち、自分がやりたいことが明確にあるのなら、他者に勝つ必要なんてどこにもありません。あなたの問題は、自分の楽しみを持っていない、ということなのです。人から褒められたいという子供のときの習慣から、早く脱却することで解決しそうな気がしますが、いかがでしょうか。

■諦められない夢があります

【相談2】
 私は研究者になりたいと思っているのですが、勤務先の規定にひっかかり、大学院に通うことを諦めざるをえない状況にいます。だからといって会社を辞める決断ができるほど経済的余裕もありません。このまま会社勤めで人生が終わってしまうのか、と若干絶望しています。森先生だったら、どんなアクションを起こされますか?

【森博嗣さんの答え】
 僕はあなたではないので、状況が正確に把握できませんけれど、まずいえることは、自分で判断できないような問題だろうか、という疑問です。とても大事なことではありませんか。自分の夢の実現を左右する判断です。違いますか? その判断をご自身よりも的確に判断できる人間がいるでしょうか?

 こういった場合に、他人からのアドバイスが、どれほど役に立つものでしょうか?

 夢が本物であるなら、会社を辞めるとか、経済的余裕とか、まったくの小事ではないでしょうか?

 とにかく、絶望するような状況か、という点が不思議なのです。

 絶望というのは、そんなに簡単にできるものではありません。あらゆる手を尽くし、自分ができるかぎ限りの実行をしたあとで、もし駄目だったときに、絶望なさってはいかがでしょう?

■忘れられない人がいる

【相談3】
 昔好きだった人の話です。

 未だにSNSを見て、元気でいるかなとか、動向をチェックしています。自分は昔、その人にNOを突きつけられた立場なので、今さらどうこうしたいとかはありません。ただ、ずうっと脳みその中にこびりつき、幻影に振り回されている気がします。

 自分の良い時期が、すべてその人との思い出に結びついているのです。その人と、今のパートナを比較してしまうのも嫌です。

 こうした存在を乗り越えるにはどうしたら良いのでしょうか?

【森博嗣さんの答え】
「乗り越える」の意味がわかりません。乗り越えなかったら、どうなるのでしょうか? 今はまだ乗り越えていないのですか? どうして乗り越えないといけないのでしょうか? 今の状況の何が悪いのですか? 何が問題なのかが、よくわかりません。

 たとえば、子供のときに子犬を飼っていて、その犬がいなくなってしまった。その子犬のことが忘れられず、今もときどき写真を見ている。今飼っている犬と比べてしまうことがある。これを「幻影に振り回されている気がする」とおっしゃっているとしましょう。

 それは、たしかにそのとおりですが、言葉どおり、「気がする」程度の問題です。乗り越えなければならないほどのものでしょうか?

 良い思い出として大切にされればよろしいのでは?

【謝辞】
 ご協力というのか、ご相談をいただき、感謝いたします。返答がお気に召さなかった場合は、上がった血圧を利用して、是非問題解決に活かしていただければ、と思います。


みんなにも読んでほしいですか?

オススメした記事はフォロワーのタイムラインに表示されます!