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セクハラの実態を多面的に描き、各紙誌で大反響!文芸評論家・池上冬樹さんによる、井上荒野著『生皮』の書評を先行公開

朝日新聞出版さんぽ

 小説教室で起こった性暴力事件を描いた直木賞作家・井上荒野さんによる長編小説『生皮 あるセクシャルハラスメントの光景』。4月の発売直後に、映画業界での性暴力事件が報道されたタイミングもあり、朝日新聞、読売新聞、毎日新聞、週刊文春、文藝春秋、女性セブンと各紙誌で大きく取り上げられました。まもなく発売される「小説TRIPPER」夏季号に掲載される、文芸評論家・池上冬樹さんによる書評を先行公開いたします。


井上荒野『生皮 あるセクシャルハラスメントの光景』(朝日新聞出版)

■再生の光景 池上冬樹

 副題を見たとき、少し論文めいて適当ではないと思ったのだが、「光景」が様々な視点から捉えられていて違和感がなくなった。「あるひとつ」の光景ではなく、「あるひとつの典型として」の光景であるかのような力ももつ。

 動物病院の看護師の柴田咲歩は、夫にいえない秘密を抱えていた。生理がこないのを恐れていた。不倫したわけでも、夫を愛していないわけでもなく、妊娠をおそれていた。子供が好きなのに、子供を産みたくないのだ。なぜなら、自分の体がきらいだから。汚れているから。

 7年前、夫と出会う前、小説講座の人気講師・月島光一となかば強引に関係をもたされた。拒絶などできなかった。月島に才能を認められ、教室内で特別扱いされて、もっとうまくなりたい気持ちが強かったからだが、月島との性交渉で教室から遠ざかる結果となった。だが、屈辱と不快感は消えなかった。月島のクラスからまた作家デビューした教え子が出て、その記事を目にして咲歩は、自らの性被害を告発する決意をかためる。

 これが第一章「現在」の冒頭の咲歩のパートで、この後は月島光一に代わり、カリスマ講師の日常が綴られていき、第二章「七年前」では月島光一の妻、夕里の視点になり、また咲歩に戻り……という風に被害者と加害者、その家族や受講生たち、講座出身の芥川賞作家小荒間洋子や、まったく見ず知らずの若者たちの視点を導入していく。全五章、28年間の時代の流れが描かれる。

 物語の展開では、小荒間洋子もまた咲歩の勇気に共鳴して、月島にレイプされたと糾弾して、物語はいちだんと熱を帯びるのだが、興味深いのは、決して一方的な暴力的支配があるわけではなく、断りきれない状況下での性交渉を描いている点だろう。あからさまな抵抗も拒絶もないから同意の上だったと加害者側が詭弁を弄することも可能な状況。しかもそこには文学が介在する。

 作品と書き手の個性を見抜き、何を書くべきなのか、どう書くべきなのかを徹底して教え込む月島と2人だけの時間をもち、文学的達成を目指せるなら、一緒の取材旅行に迷惑しつつも否はなかった。ベッドをともにすることは考えていなかったにしろ。「俺は彼女にいい小説を書いてほしかった。これまでの最高傑作を書いてほしかった。そういう欲だ。俺はいつもその欲に、その欲だけにつき動かされて」きた。「注入したかったんだ、俺の力を。力を、愛と言い換えることもできる」と月島は弁解するのだが、この考えはある世代には疑問にさえならないかもしれない。作中でも、文学賞選考会のあと、同年代の男性の文芸評論家から「災難でしたね」と同情されるほどだ。

 パワハラ、セクハラという概念がなかった時代から、間違いなくこういう師弟関係は存在した。あらゆる芸術の分野で。本書では、ある俳句のグループの出来事として、師匠のために女性の受講生たちがハーレムのような環境を作り上げる例も紹介されている。

 全身全霊を使っての芸術活動にこそ傑作を生む力があることを作者は否定していない。世界的な「#MeToo」運動では、パワハラ的なセクハラや性的暴力が中心となるが、ここでは地位を利用したゆるやかな強制に重きが置かれ、小さな共同体のなか、同意のもとの行為ではないかと擁護する考えも出されている。この小説が豊かなのは、ポリティカル・コレクトネス的に、セクハラを絶対的悪として糾弾するのではなく、ときに相対化して、セクハラで騒ぐ女性たちをひやかすSNSアカウントの持ち主も登場させている点である。何がセクハラで、何がそうではないのか加害側は常に無自覚だが、しかし「この痛みは屈辱を伴っているから、いつまでも癒えることはないのだ」(桐野夏生)という被害者の傷の大きさはしかと感得できるほど鮮烈。

 しかし作者の視線は、セクシャルハラスメントというテーマをこえて創作の問題に踏み込んでいる。「事実をどれだけ書いたのか。事実の何を書いたのか、そもそもあれは事実だったのか。事実って何なのか。事実と真実の違いは何か。そんなことを考えながら私はこの小説を書いていました」と小荒間洋子は文中で新作について語るのだが、この台詞は、井上光晴と瀬戸内寂聴の関係を描いた『あちらにいる鬼』にも通じるだろう。書くことを通して人はいかに結びつき、理解を深めていくのかを追求し、複雑で深遠なる愛と性と文学の深層に作者は降り立った。自分の望む人生を生き抜くための真実とは何かなど、モデル小説とは異なる普遍的な主題を求めたのだが、それは本書『生皮』にもいえる。

「小説を書くということは、自分の中を覗くことなんです。覗き込んで、降りていくこと。(略)書くことで、行けなかったところへ行けるんです。書くことで、降りていく。あるいはドアを開けていく。皮を剥いでいく(略)。このとき剥がれた皮は、自分に対する発見や理解によって再生するんです――以前より、もっとしなやかな、きれいな皮に」。

 ここには、セクシャルハラスメントのみならず創作と再生の光景がある。

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