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授業準備はどこで終わらせる?

新人ほど深みにはまって帰ってこられなくなる授業準備の沼。

時間をかければいいというものではない。と理解しつつも、教材づくりに凝ってみたり、導入を変えたほうがいいような気がしたり、あっちもこっちも詰め込みたくなったり……やろうと思えば際限なくやれるのが授業準備なのである。

特に後輩たちを見ていると、経験が浅いうちはその分を時間や手間などをつくすことでカバーしなくてはならない、とでもいうような観念に駆られているような気すらする。

かけた手間暇がそのまま成果として返ってこないのが授業の難しいところだ。時に、心残りのするような準備で挑んだ授業が思いがけず好反応をもたらすこともある。

準備と実践のサイクルを経て、その悟りにたどり着くまでも経験なので、こちらから「そんなやりすぎないほうがいいよ」などとは言えない。自分が納得しなければ終われないものなのだ。


では、みんないつから授業準備に見切りをつけられるようになるんだろうか。

「ひととおりやったら」と聞いたことがある。ひととおりって? さらっと言うけど個人差が大きそうな響き。

「1コマあたり1時間くらい」と聞いたこともある。科目によるだろうけど、慣れてきたら毎回かかる時間がわかってくるので、そこでラインを引いてしまうのもありかもしれない。

これに関してはいろいろな先生方の場合を聞いてみたいな~。どこかで話題に上げてください。


私は「これから授業見学してもいいですか」と言われても快諾できるレベルを最低限ということにしている。

すなわち、学生たちのニーズや達成目標などに対して、その科目でその日やる内容や構成のねらいが説明できる状態だ。

展開を考えていくと導入や例文、板書計画が含まれていくのでそれを提示できるようにする。

フィードバックで「どうして文型をこの順番で提示したの?」「どうしてこの練習に時間を割いたの?」というこまごました質問に答えられるだけの意図をもって準備をする。

……というのが、最低ライン。

ここを越えられないと「外に見せられない授業をやってるのか!?」になってしまう。なので、守りたいラインをここに引いている。


まあ、突然授業を見せてくれと言われることはあまりなくて、あっても日本語教師ではないお客さんだったりするので、99%は架空の見学者で終わる。

だけどそういう気持ちで取り組んでいると、不思議と計画の甘いところに気付きやすくなる。


できるだけ定時で帰りたい日々。

授業見学ってだれにでも起こり得るイベントなので、準備の終わりどころに悩んでいる方にはおすすめです。



写真:飲み会の最後に頼んでしまったハニトー/高知


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