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エギング(イカ釣り)がたのしい理由を初心者が熱く語ります。

今からエギングという釣りとアオリイカに謝りたい。こんなに楽しいと思わなかった。(※長文です)

おそらく魚釣りの基本、というのか最初の一歩ともいえる「エサ釣り」をほとんど素通りして、いきなりルアー釣りにはまった私は、総重量300g程度の短く軽い竿とリールを手に、水面と距離の近い場所を文字通り歩き回った。知らない土地や自然の中を歩き回るのが大好きで、一方泳ぎが苦手な私にとって、沖縄の海の生き物たちと触れ合うすべとして釣りはもうカンペキだった。その上ルアーによる釣りは、荷物が最小限で、足で行ける場所はどこまでも行きたい私にぴたりとはまった。

エギングもエギ(餌木)というルアーを使ったルアーフィッシングのひとつだ。イカだけを狙うなら、いっそほかのルアーフィッシングより身軽だ。それなのになぜか私は、始めてみるまで魅力を感じていなかった。

第一に、イカというターゲットにあまり惹かれていなかった。魚のような生き生きとした「ひき」を持つとは思えなかったのもあるし、食べ物としても、イカより魚の方に魅力を感じていた(まだそんなに食べるほどのサイズの魚釣ってないけど泣)。

ふたつめの理由は、ひたすら竿を(一般的には)縦にしゃくって(竿をあおって)は待つという釣りだということで、動作自体が退屈に感じるだろうと思っていた。ちなみにふだんのルアーのライトゲーム(大きくても~40cmの浅瀬の魚狙い)では、主に魚の形をしたルアーを生きた魚に見せるため、様々なロッドの振り方、リールの巻き方をし、またそれらを織り交ぜてアクションする。待つ時間はほとんどないし、次はこうやってみようかなどと色々忙しく考えながら手は動かし続けている。

けれどこれらのエギングへのネガティブな印象はすべて打ち砕かれた。イカにもしっかり「ひき」はあり、しかもアオリイカはとても美味しく、また釣ったばかりの姿もとても美しかった(あんまり大きいと不気味なんでしょうけど)。

特に「ひき」には驚いた。初めてのイカのひきをこの手に感じたときには、恐怖に近いものすら感じた。

それから、エギングは退屈なのか、ということだけど、全然そんなことはなかった。たしかに動作自体は単純だ。基本、しゃくってしゃくって待つ…。けれどこの待っている間、しゃくりあげられたエギングがまた下に落ちていく間に、主にイカは抱きついてくる。この「アタリ」を感じられるかどうかが、釣果を大きく左右するようだ。ちなみに、私はアタリを感じられたことはない。気が付かないうちにイカがエギにかかっていて、しゃくったときに重たくて気が付いただけだ。

しゃくったあとのエギが沈む時にイカのアタリを感じられるかが勝負…つまり、退屈に思えるこの「待つ時間」が、とても大切なのだ。竿を持った手に伝わる感触に神経を研ぎ澄ませる。小さな振動や、糸が張ったり、ゆるんだりの、そのわずかな変化を逃すことのないように。

でも実際は、(私だけかもしれないけど)そんなに集中力が持つはずもなく、エギが沈んでいくのを待つ間、ぼんやりといろんなことを考えている。2022年の抱負とか、2021年に釣れなかったあの魚のこととか、会いたいあの人のこととか……

それがぽかぽかと気持ちのいい日差しの下で、穏やかな海を前に過ごせるなら、そしてエギを投げたり沈めたりしながら、思わず考えてしまう誰かが心の中にいれば、釣れようが釣れまいがそれだけでかなり幸せな時間だった。私には。

おっと話がそれた。他にもエギングが楽しい理由はある。これはフカセ釣りなど、ずっと竿を持って待つエサ釣りをしている人には当たり前のことだろうけど、エギングによって海の中の様子、つまり潮の流れの強さや方向、それから海底の地形を感じられるようになったのが、私には嬉しい収穫だった。

ルアーでも、シリコンでできた虫などを模したワームというルアーで底をズル引きするときなどは海底が石なのか砂なのかを感じることはできたけど、エギでは、しゃくったあとフォールさせるたびに、石や珊瑚にあたったり、海藻に軽く引っかかったりするのがわかる。それに、最初にエギを遠投して、海底に着くまで待っている間に、着水した位置よりずいぶん左右に流されているのに気が付くと、潮がどちらに流れているのかがわかる。今まであまり深いところでルアーを投げてこなかったのもあって、エギによって、いつもとは違うフィールドで、より敏感に潮の動きや海の中のことを感じられるようになったのが楽しかった。

(どんなにやさしい人でも飽きてきたと思うので、エギにイカが抱きつく瞬間をどうぞ↓)


また、エギングが退屈でないことの理由がもうひとつあって、他のルアーゲームよりも隣の人と距離が近くてもできるのだ。つまり、「ゆんたく(沖縄の言葉で『おしゃべり』の意)」しながらのんびり釣りを楽しめる(その場合アタリへの集中力はだいぶ欠けているけど笑)。

私は、ひとりきりで、水辺に集中してする釣りも大好きだし、一人ですることが最も多いけど、誰かと釣りをすると、その楽しさやあたたかみに気が付く。誰かと一緒に釣りをすることが続くと、一人でするのが退屈に思えるくらい、誰かとの釣りは楽しいものだった。それに、一人だと気持ちが持たなくてすぐ帰ってしまうけど、誰かがいてくれると、釣れなくてもモチベーションを切らさずねばることができた(ただしねばることが正しいとは限らない)。

考えれば考えるほど、エギングの良さが思いついてしまう。まだあった。ルアー釣りも、エサ釣りも、やり方や、タックル(釣りの道具一式)や、フィールドなどの種類が多種多様にわたり、その人その人でスタイルも全然違う。けれどエギングはエギング。それ以上でもそれ以下でもない、というのはつまり、しゃくり方などの細かな違いはあっても、エギングに使われる竿やリールはみな似通っていて、ターゲットも当然、アオリイカやコウイカなど種類は違ってもみなイカだ。エギングの中にスタイルの違いはあまり生まれない。「エギングに行こう」と言ったら、何か認識のズレが生じることはまずなく、一緒に同じ釣りができるのだ。

私にエギングを教えてくれた先輩も、エギング以外は、私と一緒にできる釣りは現時点では、ない。私のタックルはライトすぎて、先輩の釣りについていくことができない。でもエギングは、汎用性が高いというメリットがあるエギングロッドとエギがあれば簡単に始められるので、他のルアー釣りはしなくてもエギングだけはやっている人も多い。私は、教えてくれた先輩以外にも、きっと一緒にエギングをできる人を見つけられるだろう。「エギングに行こう」の一言だけで簡単に一緒にできる釣り、それがエギングなのだ。

エギングは、2021年の最後のターゲット・オニヒラアジが釣れなくて苦しんでいる中で出会った「逃げ」の釣りだと、一番最初は思っていた。でもその考えはすぐに打ち消された。釣って楽しく、食べておいしく、海の中の様子への想像力が養われ、誰かと一緒にもできるエギングは、とてもすばらしい釣りでした。




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