見出し画像

毎日投稿を続けるか考えているところ【毎日note】#131

毎日noteを始めて、タイトルの通り、131日になる。4カ月と10日ほど。きっかけは、ちょっと調子にのった転職活動の失敗だった。

最近、ただ書けないならまだしも、毎日投稿することには意地になるあまり、ひどい文章をただ量産している気がする。それによってたぶん、頻繁に見てくれていた人も離れている(釣りのことばっかり書いてたからか汗)。そしてnoteを書く自分に対する肯定感も落ちていく、よくないループに陥っている。

私はそもそもが熱しやすく冷めやすい性格で、noteの前のブログも、過去に開設しては放置、を2~3回は繰り返してきた。ちゃんと閉鎖したものも、そのまま置いてあるものものもある。

ブログですら毎日投稿を続けたことはないのに、noteが何十日と続いていることは本当に不思議だった。たぶんその大きな理由に、noteがブログよりは閉じた空間で、でもとても多くの人が住む、どこかで共通点のある人々のコミュニティで、それが居心地がいい、というのがあるだろう。ブログなどはサービスを提供して終わりだけど、noteには続きやすくするような仕組みもある。

けれど最初に書いたように、最近は思うように書けない。いちばんは、書きたいことが浮かばない。次に、ぜんぜん忙しいわけでもないのに、noteにだけは追われている気がする。休みの日など、遊んで帰ってきて、慌てて夜書いて、平日の朝起きたら、ああ、また書かなきゃーという具合に。最近は、寝坊しがちな朝だけでは書ける気がせず、仕事から帰ってきてご飯を食べたらnoteを開いて、何かしら文字を打っている。

そもそも何も続かない性格だからこそ、たった一行でも毎日書くことに意味がある。続けることそのものが目的で、これは次のKindle本を書くための筋トレだ、くらいに思っていたけれど、「続けるため」に、つまり「自分が決めたルールを守るため」だけに書くことが楽しいだろうか。そのようにして生み出された文章がおもしろいだろうか。誰かが読みたいなどと思うだろうか。誰かの心に触れるだろうか。そんなふうに本気で悩み始めてしまった。

ただ漠然と「最近noteを続けるのがきついなー」と思っていたけれど、noter「おがたのよはく」さんの文章を読んでいて、自分の気持ちをはっきり認識した。

義務感だけではとても創作を楽しめないし、義務感で創り出されたものが、果たして誰かの心を動かるのだろうか。何よりも、自分の心が動かない。

おがたのよはくさん:毎日投稿はするけど、毎日書くのはもう辞める


毎日少しでも書くことは、確かに筋トレ的な意味は少しはあるだろうけれど、「遅刻するっ」と思ってろくに見返しもせず雑に書いて更新したような記事が、本当に筋トレになっているだろうか。誰かにとっては意味のある「毎日投稿」も、私に本当に意味があるのだろうか。向いているのだろうか。

一方、月に一本、唯一明確に提出するべき場所と期限のある沖縄移住記は、さすがに一カ月も時間をかけないけれど(たった880字ほどなので)、5日ははかけている(締め切り5日前に焦って書いているとも言える)。

そうして何度も何度も読み返し、自分の思いとのズレをできる限りなくして、なおかつ自分らしさを削らずに、読んでくれる相手にギリギリわかるくらいの表現を守ったこの移住記は、自分でもかなり納得して満足して送り出している(ただし閲覧は伸びない、なぜだ笑)。

本当は、noteに投稿する記事の一本一本、同じくらいの気合いでのぞみ、同じくらいの満足感を持って公開したい。考え抜いて書き結んだ文章だからこそ、閲覧数やスキの数で、その記事の注目度や人気度をはかることもできるというものだ。自分で納得できていないいい加減な文章を上げて、それに対する何らかの数字の評価が出ても、そこから学ぶことはない。「やっぱりかー」となるだけだ。

なんだかすごく自分の文章に対してこだわりが強くて意識高いことを言っているように見えるかもしれないけど、そうじゃない。ただ、自分にはどんな書き方が向いているのかわからなくて、少なくとも、今のやり方が今の自分に良いとは思えないのだ。

かといって、移住記のように、5日~1週間かけて一本の記事を書き、例えば週一で公開するようなやり方に切り替えたとして、本当に5日かければ、納得のいく文章が月に4本書けるのだろうか。ただ、毎日noteが月に4回に激減するだけのことになるのではないか……

そんなモヤモヤを抱えている最中ですが、きっとそう遠くないうちに答えが出る気がしています。



この記事が参加している募集

#noteのつづけ方

38,441件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?