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「世界の仕組み」を教えてくれるもの【毎日note】#118

もっと深堀りしなきゃいけないんだけど、とりあえずサクッと書いてみる。

私はこの一年で、キャンプや釣りという切り口から沖縄の自然の中で長いこと過ごしているうちに、「世界の仕組み」とも言うべき、私の外側にあり、とても近くにも、とても遠くにもあるものが、前よりもずっとよく見えるようになったと感じている。

ここで言いたい「世界の仕組み」とは、国民がいて選挙で選ばれた人たちが法律を審議して…とか、徴収された税金によって社会インフラが整備されて…とか、世界平和と安全の維持のために国際連合が設立され193か国が加盟していて…とか、そういう教科書に書いてあるような表立った仕組みのことではなく、「世界はどういう風にしてまわっているのか」ということ。

たとえば…

なぜ、私が父の畑から離れて沖縄の市街地に住んでいても、食べ物を手に入れて生きていられるのか。

なぜ、沖縄には米軍基地がこんなにもたくさんあるのか。

なぜ、沖縄ではこんなにも工事が多いのか。

なぜ、軽石を撤去することが絶対的正義かのように人々は行動するのか。


これらの疑問を抱き、こたえを知ること。それは、もちろん本からも学べるし、人から教えてもらうこともできる。

でも、どちらが先でもいいけれど、私は「実感」がいちばん大事だと思っている。頭で理解するのではなく、地面に水が染み込むように、すっと体に「入っていく」こと。すとんと理解すること。

そうだと知っていることと、わかることは違うから。

頭ではなく、肌感覚として「わかって」いると、ばらばらだと思っていたことがどんどんと繋がっていって、もっと何倍も広いところまでわかるようになる。


私が「世界の仕組み」を垣間見たのは、いつだって釣竿片手に水辺にいるときだった。焚火の炎を見つめているときだった。釣りあげた小さな魚をこの手のひらに預かった時だった。

そのとき、私の心は意識せずに深く沈みこんで、色々なものを受けとっていた。受けとるだけの感受性をその時だけ持っていた。


私にとって「世界の仕組み」を教えてくれるものが釣りであり魚であっただけで、きっとこれは人によって違う。たとえば畑から。たとえば音楽や芸術から。たとえば星空から。

それがもう見つかっている人も見つかっていない人もいると思うけど、たぶんそれは、ただその人にとって「心地いい」だけのものではなく、規則正しく呼吸をし続けるのに必要なレベルの、「なくてはならないもの」なんじゃないか。そんな気がしている。




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