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沖縄という「コミュニティ」でも、沖縄の「人」でもなく【毎日note】#88

昨日から今日にかけて、北海道旭川時代、1~2年の短い時間だったと思うけど仲良くしていた友達と6年ぶりに会った。

彼は、説明しづらいけど雑に言うと寛容でクレイジーな人で、それが当時から全く変わってない上に、再会して、その内面だけでなく風貌や話し方も変わっていなかったので、当時のようにお互いに好き勝手思っていることをしゃべり続けた(私は彼が行きたがったパワースポット的場所を案内しつつすぐそばの水辺でルアーを投げていた)。

彼と会話した中で印象に残ったことはいろいろあるけど、そのひとつが、「土地と生きる」という言葉。

彼は、私が沖縄から離れられなくなっている様子を見て、本気なのか適当なのか、「沖縄から出ない方がいいんじゃない」と言った。

私が、「沖縄が大好きだけど、沖縄の人とたくさん関わっているわけじゃない」と言うと、「でも毎日自然の中でひとりで釣りをして、土地とたくさん対話してるんじゃない」と彼は言う。

なるほど。沖縄に移住して4年目にして「県民になった」感覚と、「深く関わりきれていない」という矛盾を感じていたけれど、私がいちばん一緒に居たかったのは、この「土地」なんだ。

そうだ。私が一番生き生きとして、自分を解放しリラックスしているのはたぶん、人といるときでも、街にいるときでもなく、自然の中でひとりでいるときなんだ(街でも、緑がある場所ならひとり街中散歩も好き)。

なんだろう。彼の言葉のおかげで、少し霧が晴れたような、腑に落ちたような感覚だった。彼が今の私の状況や過ごし方をまるっと「良し」としてくれたことで、私もだんだん調子に乗って、「沖縄にいる私は水を得た魚のようでしょ」とか言っていた。どんだけ魚好きや(笑)

釣りというひとり遊びにはまりすぎたせいもあり、平日の仕事中以外ほとんど人と会わない生活をしているけれど、そんな自分を否定したくなる気持ちは、案外不要なものなのかもしれないと思い始めた。

自分に対して浮かんだ疑問を、ひとりで晴らすのは説得力が足らないというか、どうしても「自分の欠点を正当化しようとしてるんじゃないか」と疑ってしまうけど、誰かにいったん肯定してもらえると、これでよかったのかもしれないと思える。

こんな瞬間も必要だから、もちろんたまに誰かとじっくり会話することも大切なんだよね。ありがとう。




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