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カフェラテの水滴

 涼しくもない、暑くもない。少し汗ばむくらいの気候のことを、沖縄の人は暑いとは言わない。

 雨が降りそうだけど、朝早く活動を始められた土曜日、お気に入りのタフなサンダルをはいているし、いつもとても軽い折りたたみ傘を持ち歩いている私に、怖いものなどない。多少の蒸し暑さも味方にできるようになったころ、私の徒歩の冒険は圧倒的に楽しく自由になった。土曜の朝は、明日のことを気にしなくていい。濡れるほどの雨なら、どこかの軒先をお借りして雨宿りするくらいの心の余裕がある。

 灰色と白のまだらな空の下、泊港のターミナルのコンビニで冷たいカフェラテを買って、それを片手に船着き場をなぞるように敷かれた歩道を歩く。旅客船の出ている港や、駅や空港という、誰かが出発したり帰ってくる場所が好きでつい用もなしにぶらぶらしてしまう。

 十分なスペースのある待合所も、船を利用しない私のような人間にも寛大で居心地が悪くない。いくつもの離島へ矢印が飛び交う地図や運賃表を見ていると、ツアーガイドに声をかけられそうな気配を感じてそっと踵を返す。どうぞお気になさらずに。

 船からの排気がちょっと煙い、ターミナルに併設された公園の角で、シロップをひとつ入れたほの甘いカフェラテを飲みながら、私は不意に思い出した。

 真夏の車中泊旅の間、朝どこかの駐車場で目覚めて、寝床や目隠しのサンシェードを片付けて知らない街で走り出した朝、コンビニで一杯110円のアイスコーヒーを買って、分け合った(いつも知らない街の朝を走り出す、その特異な思い出を持っている幸福と苦しさを、とても言葉には言い表すことができない)。旅を始めたばかりの5月や6月の涼しいころは、車の陰のアスファルトにガスバーナーやドリップセットをセッティングして(沸かしたお湯がたちまち冷めるので温めなおしながら)、熱いコーヒーを淹れてすぐさま魔法瓶に入れた。でも、7月、8月になると、とても炎天下で湯を沸かして暑いコーヒーを飲む気になれず、コンビニのアイスコーヒーに頼った。カップいっぱいに氷が入ったアイスコーヒーは、300mlほどのわたしの魔法瓶に移すとちょうどいいくらいで、窓全開で走る車の中、ボトルホルダーから魔法瓶を取り上げては2人で大事に飲んだ。

 コーヒー中毒なのはどちらかというと私の方だったから、100円コーヒーはよく私が買ったけど、彼は時々、一杯300円くらいするアイスカフェラテを買ってくれた。お金のない旅だったから、それは時たまのすごい贅沢のように思えた。ミルクの匂いが魔法瓶についてほしくないので、カフェラテは移さずのそのまま飲んでいた。そのことを、私の手を濡らす水滴のたくさんついたプラスチックのカップが、思い出させた。

 前日譚も含めて私の作品たちの中では一番長い「くるま旅日記!」を書いたのに、そこから漏れてしまったいくつもの些細でいとおしいエピソードがあることに、いまさらながらに気が付く。でも忘れたままでなくてよかった。少しずつ思い出して、拾い出して、どこかに記録して誰かに伝えられたらいい。何よりも、あの旅を共にした人に。




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