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大きな海に自分を映して ~北海道からの沖縄移住記 2020年8月~

 水底に揺らめく水紋の眩しさ。目立たない色でも、じっと見つめるとどれも繊細で優美な熱帯の魚たち。

 海の中の岩や珊瑚が、飛行機から見た岸壁や森、魚たちの住むかわいいお城に見えること。わずか三メートル移動するだけで水温が全然違うことがあること。

 泳ぐことが苦手だったとはいえ、そんなことを私は沖縄に一年以上住んでいながら知らなかった。

 新しい出会いを意図的に招き入れたことで、初めて出会った世界は、私をワクワクもさせるし、がっかりもさせる。自分の経験の浅さや甘さ、器の小ささを思い知って愕然とする。見える世界が広がると、鏡のように、自分自身の見え方も変わってくる。世界が大きくなれば、対照的に自分が小さくなるのは仕方のないことなのだろうか。

 自分が何者でもなく、社会的に未だ何の役割も果たす見込みすらないことが、頻繁に私を焦らせるし、誰に責められているわけでもないのに情けなくなったりする。

 けれど、私は誰かに強制されたわけでもなく、ただ自分の心の動くまま沖縄に来た。結果的に泣こうが笑おうが、それは自分次第だし、「ここに存在する意味」なんてものは、ただの言葉でしかなく、本当は誰も私にそんな答えを求めてなどいない。

 カメラを提げてしっとりとした森の中を歩く時。シュノーケル用のゴーグルをつけて浅い海の中を漂っている時。目に入る鳥や植物や魚たちが教えてくれる。ただ今ある命を生きればいい。世界が大きかろうが、自分が小さかろうが、そんなことに意味はない。沖縄を好きになって、好きになった場所にいられるだけで幸せで、今ここで土地と命を大事にして生きる。それ以上のことはいらないのだと。

 北海道では雨女を自称していた私だが、沖縄に来て晴れ女になった。外へ遊びに行く日は、すばらしい天気の日ばかりだ。本当はそれは私が晴れ女になったからじゃなくて、今年の沖縄は梅雨も短く晴天率が高いからで、海も空も雲も砂浜も緑も、何もかもが痛いほど眩しい。気候のいいところで暮らせる、こんな幸せはほかにない。少しの不幸など甘んじて受け入れられるくらいに、私はこんなに幸せだと思う。


写真:西表島・船浮のイダの浜
(今まで見た海辺の中でいちばんきれいだった!)

あさひかわ新聞2020/8/18号「沖縄移住記22 果報(カフー)を探して」掲載
※掲載写真は新聞とは違います

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