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18歳日記#2

こんばんは。
あさぎです。
日記なので日常のこまごましたことも書きたいけど
気づきとか不安とか思ったこととか、心が動いたこととかも書きたいので、話に脈絡がなくなりそうなので今日から目次つけます



お花見のお供

今日はお休みだったので、公園で家族とお花見をしつつアメリカンドッグとコロッケパンを食べました。
コンビニで買って食べることがあまりないので、
たまにコンビニごはんになるときはカロリーや糖分、脂質などは全く気にせずに食べたいものをたべます。
アメリカンドッグはセブンかファミマのものが好みです。ローソンのは衣がふんわりしているのに対し、この二社のは衣がさくさくで、そっちのほうが好きなんです。
あと、コロッケパンの、しっとりして味の濃いコロッケも大好きです。
揚げたてさくさくもいいけど、コロッケパンのコロッケもまた良き。

Hello Talk

hello talk という、世界のいろんな国の人とチャットしたり会話したりできるという言語学習アプリをやっています。
大学では第二外国語としてスペイン語をやっているのですが、Hello Talk では中国語を学んでいます。
今日は、中国在住で日本語勉強中の学生の子と音声通話をしました。
とはいっても、私はまだほとんどしゃべれず、ほぼ相手の子にしゃべってもらっていたのですが、気づいたのが、きちんと日本語をしゃべることの難しさ。
今まで自分がどれだけフィーリングであいまいにしゃべってきたかを思い知りました。普通に話しているときは問題ないのに、話がノってきて一気にたくさんしゃべろうとすると、日本語なのに話に詰まってしまう。
英語しゃべろうとするときも似たようなことあったなあ。
外国語より前に、日本語をちゃんと喋れるようになったほうがいいかもしれない。

やりたいことと、好きなこと

将来どうやって生きていこうかって話なんだけど、昨日の続き。
好きなことを仕事にして、やりがいを持って働いていけたらそれはきっと幸せだろうなあ。
でも、好きなことだったはずなのに、それが「やらなきゃいけないこと」になったとたんに、それを嫌いになってしまいそうでこわい。
高校時代美術部に入っていたんだけれど、その美術部の先輩が、「好きなことは仕事にしないほうがいいと思う」てズバっといったのがすごく記憶に残ってて。
確かに、私は絵を描くことが好きだと思ったから美術部に入ったのに、毎日美術部の部室に行くのが憂鬱だったなあ。さぼりたかったけど、不真面目だと思われたくなかったし、毎日行ってた。なんなら部長もやった。
でも、それが追い打ちかけたかも。
私より絵がうまくて気づかい上手でコミュ力高くてみんなから好かれるかわいい子がいたのに、その子じゃなくて私が部長になったことに対する引け目もあったし、スケジュール管理、気を付けててもいつも何かしら詰めが甘くて部員に迷惑をかけるし、自分のダメな部分がどんどん露見していくみたいでほんとに情けなくて自己嫌悪。
いわゆる優等生ちゃんを貫いてきたから怒られ耐性がついてなかったっていうのもあるけど。

話を戻す。
期限までにアイデアをださなきゃ、塗り進めなきゃ、って追われている感じがして、楽しくなかった。たまに褒められてうれしくなったりもするんだけど、修正点言われても納得できなくてムッとすることもあるし。

そもそも私って本当に絵をかくの好きだった?
描いたのを人に見せて、ほめてもらうことがうれしかったんじゃない?
承認欲求を得る手段だったのかな、私にとって、絵を描くことは。
ほめられればなんでもよかったんじゃない?
優等生のまじめちゃんで居続けることも、勉強も、絵をかくことも、はまってたコラージュだって、それ自体が好きなんじゃなくてそれによってだれかにかまってもらうことが目的だったとか?

もう18年も生きてきたんだから好きなこととか、自分の個性とか形成されてそうだとは思うんだけど、ぜんぜんわからないなあ。

私の人生、わりとSNSに支配されてたのかもしれない。
絵を描き始めたのは、…絵といっても、その時々で好きなキャラクターとか適当に考えた男の子や女の子をシャーペンでらくがきする程度なんだけど、ツイッターをはじめたころに、神絵師さんの絵を見て刺激されたからっていうのが理由だし。
はじめてスマホを与えられ、ツイッターを始めたころワンピースというマンガにはまっていた。
そういえば初めて推しという概念を知ったのもその時ぐらいか。
自分の推しはだれだろ、って思ったとき、トラファルガー・ローかっこいいなーと思って、それでローさんを描いてる絵師さんたちをフォローして…
タイムラインに二次創作マンガやイラストやらが流れてきて、BLとか婦女子とかの概念を学び…
pixivにはまり…

それでイラスト自分も書けるようになりたいと思ったんだった。
思い出した。
書き出すってすごい。プチ自分史ができてしまった。

マンガの絵や、好きな絵師さんのイラストを模写したりしたなあ。

でもそれより前にも絵を描いていた。よく考えてみれば。
幼稚園のときも、外遊びよりかは室内で絵本読んだり絵をかいたりしていたし、小学校の時も思えばちっちゃいイラストを友達のノートに描いたり、じゆうちょうにディズニーキャラや女の子の絵を描いたりしてたわ。

やっぱりわたしは絵を描くことが好きなのだろうか。

ずっとやってて苦痛でないことが「すきなこと」なのだとしたら、
このnoteを書くのはそんなに苦痛じゃないんだよな。
まあただの日記だしな。考えてることをそのままパソコンで出力してるだけだもん。考えをぐるぐるめぐらせるのは好き。そのぐるぐる考えたことを残しておきたいと思うからこのnoteを書いているわけなんだけど。

ぶっちゃけ人に読ませられる文章ではない。
話全然まとまってないし、ぐだぐだしたただの自分語り。
そりゃそうだ、これは私の個人的な日記なのだから。
これがエッセイとなると、ちゃんとした文章にしなきゃいけなくなる。
らくがきも、スキルとして生かしていくならちゃんと完成した絵にしなきゃいけない。
んー…

わたしはそれがただめんどいだけなのかな?
すきなことを仕事にするっていうのはやりたいことだけやってていいよってことではない。
大変さもちゃんとある。
まあそれはどんな仕事でもいっしょだよね、楽なしごとなんてないし。

でもイラストや文章って収入が安定しなさそうでこわい。
収入とか安定とか、そういうフィルターを外さないとやりたいことなんてみつからないって本で読んだけど、
収入や安定を捨ててまでやりたいことってないんだよな。

でも考えたら仕事ってこれからの人生の大半の時間を占めるようになるんっだよな。
そう考えたらとくに興味のない分野で働くのって人生の無駄遣いかも。

趣味のスキルを向上させておくって手もあるか。
イラストが描けて、中国語ができる人が必要とされる職があるかもしれん。
文章は、ちゃんと書こうとしたら思ったことそのまま書けなくなりそうで、悩むな。
でも暮らしの手帳とかたまに読むんだけど、このエッセイ素敵、って思える文章に出会うこともあって、こんなふうなエッセイが書けたらいいな、と思うこともないこともない。

まあ、大学生時間あるからじっくり育成したい。
といいつつすぐ3,4年生になってしまいそうだし、
うまくいけば3年生から1年間留学行くし、時間大切にしないとな。
その大切な時間のうち2時間を使ってこの記事を書き上げました。
つかれたけど書いてよかった。
将来の職種は決まらないけど。
とりあえず接客とかのサービスをバイトで学び、夏休みになったらなにかリゾートバイトかインターンかそういうのにチャレンジしようかな。

ではこのへんでお暇します。


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