若かりし頃の「収集癖」という名の熱量

1日を通して内臓の調子が悪かった。特に胃の機能が正常に働いていないのが鮮明に自覚できていた。「あなたの胃はどこにありますか?」と聞かれたら、ここです、と一寸の狂いなく胃の位置を伝える自信があった。そんな自信なくていいのに。
急に屈強な男たちに羽交い締めにされて、「これは胃のツボです。」とか言われながら、その道のプロに足の裏をぎゅうぎゅう指圧されたら、痛すぎて気が触れてしまっていただろうな。危なかった。知り合いに足ツボマッサージ職人がいなくてよかった。普通はいないか。
内臓不調の理由は簡単で、一重に、寝てないからです。睡眠を取ればいいのだ。簡単な話だ。睡眠を取れば胃の位置を正確に把握せずに済む。胃の位置を知りたければ眠らなければいい。なるほど。

「Great Pretender」(アニメ)を見終わったので、「クイーンズ・ギャンビット」というNetflixオリジナルのドラマを観始めた。チェスの話なのだが、チェスに詳しくなくても問題なく面白くてすごく楽しい。主演の女優さんが好きな女優さんなので、もし話がつまらなくてもなんとかなるけど、大丈夫そう。


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amazonで「ニーモシネ」のノートを買った。ずっと欲しかったんだ。サイズはA4で、絵のキャンパスみたく横にして使う。これからこいつは僕の頭脳になってもらう予定になっている。純白のページが黒に染まっていき、たくさんの知識が一冊のノートに集約されていく。そんな様を想像するとヨダレが止まらなくなる。文字とは知識、知識とは文字。自分の文字で自分の知識を書き込んでいくんだ、このかっちょいいノートにね。

思えば、昔の僕は文房具オタクだったと思う。僕には並ならぬ”収集癖”があるので、ラインナップ豊富な商品はどうしても種類を集めたくなってしまう。コレクションすることが好きなんだろう。
コレクションは、いわば、自分のための美術展。私はいつも私のために個展をひらいていた。できる限りの財力と情報収集を駆使して、気にいった物を手元に集める。都合よく、又、速やかに、世界が自分のものになっていく気がしていた。「もう君のものだ」という悪魔のささやきが、まだ耳に残っているよ。

しかしいっぱい集めてたな。練り消し、バトル鉛筆、ウルトラマンの指人形、指人形はポケモンのやつも集めてた。ガンダムのガチャガチャ、トレカも集めたし、シャープペンシルの芯を全部の硬さ(使わないのに)集めたり、シャーペンは全種類持ってたかった。よく、お店を開けるね、と言われたものだ。遊び道具だけじゃない。本も漫画も集め出したら止まらなかったかな。まったくお金の掛かるガキだった。

時が過ぎ、我が身に巣食う”収集癖”は、多少は鳴りを潜めた。必要以上にものを集めることはすっかりなくなったかな。大人の僕は、上手にものごとにハマることが出来るようになった、ということだ。いいことじゃん。
でもそれって、裏を返せば、かつての熱量を持って接する機会が減った、ということでもある。小さき頃は時間なんて気にせず好きなことに熱中したものだ。時間忘れて遊んでたらすっかり暗くなってて、帰ったら母親にこっぴどく叱られて冬の道に放り出されたりしたっけな(謝っても許して貰えず、どうしようもないので無心で雪だるまを大量に作った)。
それが今じゃ、時計を見て、財布と相談して、”残り”という概念ばかり気にして生活している。大人になるっていうのはこういうことだったのか? 熱量まであの時に置いてくる必要はなかったんじゃないのか。


大人になって、ものに対する執着が減った反動で、知識に対する執念が増した気がする。んで、件のかっちょいいノートってわけだ。知識は集める分には安上がりだし、場所も取らない。こんな集めやすいものを集めずにはいられないんだな、これが。

そんな感じです。じゃまたね。

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