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その世界を覗いてみよう

嫌っているときは分からないときだ。

そんなことに気づいたのは
嫌っている世界に触れてみたときだった。

「嫌っている」というのは適切な表現ではないし
とても失礼なことは重々承知で!!
私は実は、市役所で働く人や、工場現場で働く人を
少し蔑んだ気持ちでみているところがあった。

公務員に関しては、せっかく勉強して公務員になっているのに、やりがいも特になさそうで「タラタラ働いてる」「無駄な仕事が多い」そんなイメージで
工場現場で働く人については、「小中で勉強頑張らなかったから選択肢が少ないんだな」みたいな、勉強をめちゃめちゃしていた優等生ならではの、見下した感じ。

傲慢なわたし

私には
自分自身が正しい」と思ってしまうところがある。

それは今まで、勉強やスポーツ、音楽など、結構いろんなことを努力して成し遂げて来たという自負があるがゆえの愚かな視点だ。

こんなnoteを書いたにも関わらず
本心では、「私いいでしょ」みたいに思ってしまう
傲慢なところがあるのだ。

そんな私は3日前、エンカレの新規メンター育成の観点で
悩みがあった。
「なんで自分で自分を鼓舞して成し遂げられないのか分からない」
「なんで積極的に仕事をとっていけないのか分からない」
「仕事が遅い」
みたいに。

なんて傲慢だ、と思っていても
「新規メンター自身が自責で解決してほしい」と
自分自身が他責になってしまう。

自分でもこんな自分の本音に
うわあ嫌な上司みたいだな、最低」と思うし
こんな本音を吐き出す私に嫌気がさす。

でもこの

「嫌気」というのは素晴らしい。

自分自身に対する嫌気、自己嫌悪。
この「こんな自分嫌だなあ」が
解決の、成長のヒントを見つけるシャッターになる。

ここ2日で、私のシャッターが光る瞬間があった。

シャッターが光る

なんと、昨日は保育士バイトの遠足で工場見学に
今日は年金手続きの関係で市役所に訪れたのだ。

そこで感じたことがある。

✔︎この人たちの仕事がないと私は困る
✔︎この人たちはこの人たちで楽しそうに仕事をしている

まさに私が
「嫌っている」「バカにしている」ときというのは
単に「知らないだけ」だったのだと思った。

知らないだけなのであれば、知ればいいじゃないか。
関わることが少ないのなら、関わりにいけばいいじゃないか。

意外と世界は単純だ。

「嫌気」はさしても「否定」はしない

私は、傲慢なところのある私に「嫌気」はさしても「否定」はしない。

だって、しょうがない。
「嫌気」という気持ちなのだもの。
「分からない」という感情なんだもの。

気持ち・感情は否定しなくていいと思う

その世界を一緒に覗いてみよう

障害児保育をして
日々心の読めない自閉の子どもたちと触れる私には
彼らとの時を楽しむヒントを持っている。

”その世界を一緒に覗いてみよう”

自閉の子ではなくても
どんな人でも一緒。

みんなそれぞれ違う価値観。
違う悩みを持って
違う立場に立っている。

だからといって、苦しむことは、ないよ。

楽しむことだって、できるよ。

だから今、価値観の違いにとらわれる、苦しむ自分を否定するのはやめにして、楽しむことを始めよう。

そう、「その世界を一緒に覗いてみよう」という魔法の言葉を手助けに。





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