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仕事 ― 自分が好きなことと、出来ることの違い


じぶんにとって望ましいのは、作家だ。

が、こうしてマメに記事を書いているだけ。内容は長いし、あんまりつまらない。と思う。

でも、長きに渡って読んでくださる方もいる。なので、実需が全くない、とは言えない。(ありがとうございます)

誰もわたしに本を書いてみたら、なんて言わない。そっちのニーズは無い。


今振り返ると不思議なことがあります。

小中高と担任はかならず、「教師にならないか」と声をわたしに掛けて来た。

アインシュタインか信長になるつもりだったから、ゲンナリだった。

わたしは、偉大な研究者、リーダーや起業家が良かった。

そんなねぇ・・、子どもの園に逃げてどうするのだ。世間の荒波にもまれず、内弁慶に終わるのは嫌だっ。

やってもやらなくても、給料の変わらない教師や公務員は、断然やる気が起こらないっ。

ということで、教師という道は無かった。

ほんとは、先生と言う権威に埋没しそうなじぶんを恐れていたようにも思う。

生徒を対等に人間として扱えるか自信が無かったでしょう。


で、会社に入っても同僚や部下を教えるという場面は出て来た。

一生懸命教えてしまう。なんなら、徹夜で教え、床で寝てしまっていたことに朝気が付いた。

先月まで日本語教師向けの授業を受けていたけれど、講師はわたしを捕まえて、やっぱり「良い先生になりますね」と言った。

ことあるごとに人生が、教師に成ることをなぜわたしに薦めるのかが分からない。



大学院を終わり、仕事は開発や研究の方面へ。

しかし、アインシュタインのようではなかった。憧れ続けたけど、実力が伴わない。

ある上司がわたしに言ったのです。

仮にまったく日の目を見ずとも、誰にも認められなかったとしても、どうしても研究したいと思える人が、ほんとの研究者だと思う、と。

わたしは、世間の注目を浴びたかった。


ある時、リストラに会い、研究所から現場に放出されました。

ソフトウェアの企画部門がわたしを欲しがった。

社内で最も若く部長に成った人が、わたしを欲しがった。

やがて、慣例を重視する人事部の猛反対を押し切ってわたしを昇進させた。

でも、その部長も役員たちも、わたしには容赦なかった。

罵声ばかり飛び、もう人間以下の扱いだった。

が、不思議だったのです。

そんなにわたしがダメダメ男なのなら、昇進させず、使わなければいいのです。

管理職に組合は無い。左遷もやり放題だし。

けど、部長も役員も雨あられと文句は投げつけるけど、一向にわたしを外さなかった。

むしろ、重要なプロジェクトをどんどん投げて来た。

海外の仕事もどんどん入って来た。

いつも深夜の1時、2時過ぎにタクシーで帰宅し、朝の7時には自宅を出た。

メンタルヘルスどころの話ではなかった。


わたしは、商品企画の才能も無いし、そもそもそんな仕事ぜんぜん望んでいなかったのです。

わたしは、研究がいいのだ。

上司たちのわたしへの評価も最低だ。が、一向にわたしを外す気配が無い。

プロジェクトを持てば一生懸命するけれど、わたしは才能が無いのだ。

わたしはじぶんの部下にも、上位から守ってやれず申し訳ないと思っていた。

しまいには、わたしから、辞めることを申し出た。部長はアゴを外した。おまえ、、、。



わたしには元々、企画に興味も才能も無いのです。

でも、上位はわたしを使い続けた。

部下もよくついて来てくれました。

そこを辞しても、まわりまわって、結局、別な企画の部署に流れ着いた。

やがて、停年となり再雇用となった。

さいごのシーズンだもの、わたしは好きな所を選びたかった。

製造現場と親しくしていました。

そこの製造部長も仲間も、事業所の人事部もわたしを大歓迎だった。

もうすぐ、そこに行くはずだった。

しかし、いままで居た事業所が大反対した。外には出させないという。

おーい、おいおい!そんなに大事な人材だったのかよっ!!


あまり上司をソンタクしない。やるとなったらやってしまう。

だから、上位とは始終揉めてばかりだったのです。

わたしは、嫌われていると思っていた。

わたしの不出来な所もよく攻撃されてきた。確かに、不出来なのです。

さっさと、出してくれるものとおもっていたので、がっくりだった。

製造側もがっくりだ。最後の5年間、なぜわたしの好きなようにさせないんだっ。

やっぱり、再雇用も企画部門だった。



今振り返ると、わたしが「望むこと」、「わたしが好きなこと」はほとんど実現されてない。

仕事においては、わたしが「出来ること」に要請が来たのでしょう。

要請した側には期待がある分、わたしへの叱咤激励も激しい。

しかし、わたしを望むのなら、もうすこし甘い言葉ってくれないものか、とも思う。

わたしのメンタル、すぐにへたるから。


わたしはわたしの人生の主体だ。だから、この世をどう渡りたいのかという好みは持つのは当然なのです。

でも、周囲は、わたしのそんな気持ちよりも、わたしの使えるところを使おうとする。

使ってもらえるだけ、有難いと思えと。

いや、わたしの人生なんだ、なぜ、希望や望みを持ってはいけないんだっ。

持ってもいいが、当面役に立ちそうな所で働いてもらおうじゃないの、となる。


たぶん、わたしはかなり真面目で、いったん引き受けたら責任もって遂行しようとする。

雨あられ、槍が降っても、やろうとする。

これは、使う側からすると、すごく使い出がある。

生意気で言うこと聞かないけれど。


わたしは、上位にはなぜか猛烈な反抗心が芽生え易いのです。

なぜ、お前がわたしの上に君臨するのかが納得できない、という信長なのかもしれない。

同僚や部下に、そのような対抗心は起こらない。

たぶん、上はとても使いにくい人材だと思ってたと思う。

いろいろ、欠点があるんだから、いい加減、諦めたらどうよ、とわたしは思っていた。



たぶん、わたしだけでなく、あなたもそうかもしれない。

ほんとにやりたいということではない仕事をあなたはいつも頼られる。

おおーい!わたしを便利に使うんじゃない! あんただって自分で出来るだろう!ってあなたは思うだろうが、意外にそれは相手の甘えばかりとは言えない。

相手は、あなたなら、確実に実行してくれると信じている。

自分より、あなたの方が最適だという判断をしている。

もちろん、あなたはそんなの甘えでぜんぜん納得できないでしょうが。

もちろん、あなたはそんな仕事、望んではいなかった。

もっと、憧れの、目が輝く仕事をしたいでしょう。

だから、なんだか、押し付けられたと思う。


でも、意外なことに、一見誰でも出来そうにみえるだろうけど、誰も出来ないのです。

そりゃ、時間とお金をかけて1億2000万人の中から探せば、すんごい人はいる。

が、あなたを手近に無償で見つけてしまったのだ。

ここで、あなたにさせないといつ実現するか分からない。


きっと、あなたにもわたしと同じことが起こっている。

罵倒や文句ばかりで、誰もあなたに感謝しない。

そして、あなたはもっと他に、「望むこと」、「わたしが好きなこと」がある。

自分が依頼された仕事に向いているとも思えない。

いや、苦手だろう。

が、この世界はあなたにあなたが「出来ること」を求めて来る。

人は、自分のことは分からない。その分、他者をよく見ている。

あなたの内面を知らないがゆえに、返ってあなたの出来ること、向いていることをほぼ瞬間で掴む。

だから、問題は、わたしやあなたが、「望むこと」、「わたしが好きなこと」に執着するかどうかという点に尽きる。


世界はあなたの「出来ること」を要請してくる。

さらに、その適性を確認してしまうと、その方向がいっそう伸びて行く。

意外なことに、押し付けられた感が満載で始めても、それを緻密にやって行く場合、世界が違ってきます。

あなたが頑張ると、実に重大な問題にあなたは気が付くでしょう。

わたしは、上位に、次にこれが重要なのでプロジェクトを起こそうと思います、人材の追加をお願いしますという。

そしたら、押し付けられた感満載の仕事から、いきなり重要なことが産みだされる。

あまりの重要さに上位は、人材を追加し、わたしがそれにかかりっきりになることを当然視した。わたしは、他の雑務からは免除された。

そんなことが繰り返されました。

最初は、ありきたりな仕事でも、ぜんぜん質的に異なる展開が起こったのです。

わたしも、横暴な部長や役員にかしずきたくは無い。何が問題なのかと真の原因を探りました。


社内には、生意気だという理由で干されている、”暇な”人材はいっぱいころがっていました。

きっと、わたしは、研究には向かなかったけれど、

人材を発掘し、チームを組成するという力があったんでしょう。

自画自賛に聞えるとは思うけど、実際、多くの”ダメ人材”を拾って来ては組成した。

みんなは一生懸命やってくれたのでした。

研究よりも、企画。企画といっても、人材活用に才があったのかもしれない。

人材発掘という仕事はこの世に公式にはありません。誰も募集しない。

わたしが、勝手に始めたのです。

干された悔しさはわたしにもよく分かるのです。

組織に適合できない程に、彼らは才能があるから、悔しいのです。

甘やかさなければ、彼らは優秀な結果を産みだしました。


たぶん、今割り当てられた仕事の向き不向き、職場の環境に目が行くでしょうが、たぶん、周囲はあなたの「熱意」と「才能」を見ています。

そして、「誠実さ」も。

どれも生まれついてのものだから、学習はできない。

そもそも、「才能」といったって、誰だってどこかが極めて貧弱です。

そういう者たちを組成すると、みなはお互いを補い始めます。

みんなで一人前になります。

そして、熱意のある者がみんなを引っ張ります。

なにも、上司やリーダーが引っ張るわけではないのです。

挫けそうになっても、新興宗教並みに「これは大事だ」と繰り返す者が必要です。


一番、学習や努力が叶わないのが、「誠実さ」です。

相手や環境や運のせいにしないのです。誠実さはみんなを繋げて行く。

わたしたちはその人の向き不向きを、「才能」と「熱意」と「誠実さ」で測っています。

見ていないように思えても、この3点で仲間にできるかを見る。

でも、「才能」以外、学校では評価されません。

でも、実社会は「熱意」と「誠実さ」でみます。

多少、英数国できて偏差値高い学校を出ても、あまり使えません。

「熱意」と「誠実さ」に劣る者でチームは編成できないからです。

何をするにしても、人材が大事でしょう。



必ず人には得意な所がある。

なので、才の一部の不足はチームが補える。だから、学歴や偏差値の話なんてだれもしません。

お互い、相手が苦手そうだなと思えば補いました。チームですから。

でも、繰り返しますが、「熱意」と「誠実さ」は補えない。

高学歴・地位で安心したいでしょうが、社会はそんな甘くないです。



わたしだけではないと思う。

人はずっと、「好きなこと」に憧れを持ち続け、「出来ること」から目を逸らすでしょう。

でも、世界はあなたの「出来ること」に声を掛けて来ます。

わたしは、ドリームチームを作ることでじぶんの執着を潜り抜けて来たのかもしれません。

プロジェクトが完了すれば、チームは解散です。

でも、ときどき廊下で会うと、お互いとても懐かしいのです。

「やあ」、「やあ」としか声を交わしませんが。




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