まじめだなぁ~と言われるのが大嫌いだったわたし。50年後のこと
小さい頃、人から「まじめだね」と言われ続け、それがとっても嫌でした。
融通の利かない、硬く、面白くないヤツと言われてる気がしたのです。
不良、アウトローに憧れ、そうなれないじぶんがまた嫌いでした。
たぶん誰も気にしないようなことがわたしには大問題だった。そして、半世紀経ちました。
今、じぶんでも「まじめだなぁ」と思います。もうじぶんを嫌いだとも思っていません。
これを書いているうちに、なぜそう言われるのが大嫌いだったのかが分かりました。
ああ、、意外なことに、わたしは父に望んでいたことがあったのでした。
1.まじめなタカさんと
この関西への引っ越し寸前のこと。
ヨガ仲間のタカさんが、ひょいとわたしを振り向き、いちさんは「まじめだなぁ~」としみじみいいました。
「あっ、また来たっ」。
でも、相手はタカさんだったから気にしなかったけど、あなたには言われたくない!
最初会った時、「自分は吃音(きつおん)なんです」とかれは自分の恥部を晒してくれました。
こころ開いて素に話すひとです。ときどき、ドモルひと。
彼も重度の発達障害者のための施設で職員として働いてます。
「ほんとは、障害者さんってめんどうだなぁ~ってよく思いますよ、自分はこの仕事に向いてないなぁ・・」とか、さらり言う。
そういうひとだから、わたしはかれが好きになりました。
「ほんとは、このヨガ教室、来たくないんでしょ?」と聞くと、「ええ、家でのんびりビールでも飲んでいたいですよ」という。
来たくなければ来なくていいのは、それは”ふつうの生徒”の場合です。
かれは、普通じゃ無かった。ヨガのせんせいの”旦那さん”なんです。
あなたも行くとわかりますが、たいがいのヨガ教室はなぜか女子ばかりなのです。
かのじょに健康のためと半強制に連れて来られているわたしは、とても居心地悪いのです。
たまに来るタカさんは、じつに大切な男子。(ああ、、助かった)
まだ生徒の少なかったせんせいは、最初、夫も”枯れ木も山のにぎわい”と出させていたのでしょう。
ほら、あなたも体をたいせつにしないといけない年齢だわ、とか言って。
少しづつ生徒が増え始め、タカさん、さぼりはじめた。
せんせいが奥さんだっていうのは、彼もちょっと居心地悪いはずなんです。ほら、男はプライドのかたまりだから。
いや、来れば、みんなの受付してカードにハンコ押してますし、終われば会場をせっせと掃除します。
ときどき、せんせいのしてるポーズをネットに載せるためか、かちゃり写真をとったり。かいがいしい。
せんせいの指示通りに一生懸命にポーズもとる。
真面目なんです。でも、サボリたい。。
女性ばかりが増えて来て、白鳥の集会に紛れ込んだ1羽のアヒルのわたしは、孤立が辛いっ。
せんせいに、「タカさん、もっと来て居てくれるといいな」ってわたしゃマジで訴えた。
ふたたび、タカさんがんばって来てくれるようになりました。
硬い筋肉の男子たちにはどうにも苦手なポーズというのがあります。前屈とか、開脚みたいな系統のやつです。
そんな時、わたしはタカさんはどうしてると横隣のかれをチラリ見るのです。
やっぱり、かれも四苦八苦してる。。。ふたり目が合う。にっと笑う。
「おれは出来ないけど、お前もかよぉー」みたいな、からかいと慰み合いの”にっ”。
それは同族としか交わせないサインです。ああ、、良かった、かれがいてくれて。。
2.真面目さが豪快だ
やがて、せんせいのシゴキが終盤となり、最後は”死体のポーズ”となります。
仰向けになり、ただただ脱力します。一番簡単そうなんですが、眠ってしまいそうなやばいポーズです。
全身が床に溶けて行く。。。と、見ていた”わたし”自体がいなくなる。。。無心へ。。。
このとき、せんせいはカーン、カーンと響く鐘を2度叩く。
カーン、、、ん、ん、ん、、、わん、わん、わん、、、とたなびくその音を聞いている。
意識を脱落させてゆく。
すると、横からタカさんの寝息が聞こえて来る。
本人だけが知らない状況って、かなりこっぱずかしい。女子たちがくすっと笑う。やばいっ、わたしまで気を使います。
と、一瞬わたしの意識も飛ぶ。
虚飾を張らないタカさんは、きまって毎回寝てしまうのです。豪快です。
いいんだろうか?
だってせんせいの”旦那さん”!なんだもの。まずいでしょ。
いや、豪快に寝るので、微笑ましいです。
そんなにんげんには滅多にお目にかかれないから。
かれといる時空はこちらもこころ開かれて、至福へとチェンジしてゆくようです。
カーンが終わり、みんなは座って姿勢を正します。タカさんはまだ横におなりになっていらっしゃる。
せんせいが横になってる旦那さんの所にすすすって寄って来て、指先でつんつんと恥ずかしそうに押す。
するとタカさん目覚めて、慌てず起き上がる。
せんせいは今日のサマリーをする。
「ありがとうございました」。
全てが終わるとせっせとかれはあと片付けをし、せんせいを車に載せて帰って行く。
どうみても、優しい、真面目なタカさん。真面目だけど、どこか抜けてる。
派手なところはないし、目立とうともしない。そのままに生きている、微笑ましいひと。
わたしは”真面目”のどこが気に入らなかったんだろう?
3.タカさん、深く悩む
やがて、かれのお母さんのウツが進み、認知症も重なってゆきました。
息子である彼は面倒見ることに忙殺されて行きました。病院巡り、母の脱走、夜中に騒ぐ母。。。
”真面目”なんですよ、彼。
母の面倒を見る、それでも妻のヨガ教室をもりたてようと参加する。わたしと同じように、ちっともヨガは上達しないんだけど。
そういうタカさんが、教室にはもう来れなくなりました。
だんだん、母の症状が進行し、仕事にも行けなくなって行きました。
でも、母が穏やかな日は息抜きに来ます。
「ボケてゆく母によく怒ってしまうんです。そうすると自分でもかなりへこみます」。
深く悩んでいるためか、げっそり痩せて行く。。
父が早くに死に、ひとりで育ててくれた母の苦労をしっているんです。
「母が居なければ、自分はここまで生きれなかったかもしれない」という。
それでも、「あなたは誰?わたしのお金を取っただろう!」という母はつらいという。
いつまでも治らない者にいらっとし、罵倒してしまう。。
休みがちなかれを会社も首にせず、給料は払わないものの、彼がまた来てくれることを願ってる。
ありがたいですとタカさんは言う。
元気なく、また母の世話に戻って行く。まじめなんです、かれ。
4.”真面目さ”が分かれてゆく
”真面目”を辞書でひくと、こうありました。
1 うそやいいかげんなところがなく、真剣であること。本気であること。「―な顔」「―に話をする」
2 真心のあること。誠実であること。「―な人柄」「―に暮らす」
おお、、そうなんだ・・・。真剣、真心、誠実。。それって素敵な人じゃん!誉め言葉じゃん!!
ああ、、なんでわたしは”融通の利かない、面白く無いヤツ”になっちゃったんだろう??
辞書を一度も引かなかったおのれを悔やみました。
要は、何に対してその人が真剣なのかで、”真面目さ”が分かれてゆくのですね。
タカさんは、かれなりに奥さんを助け、かれなりに母を助け、かれなりにさぼる。
でも、すべてに対して偽ったり誤魔化したりしないで、日々に向かってる。
苦しみはある。。けれど、偽らない。。
たしかに融通の利きは悪いし、隙がいっぱいです。
特段、面白い話をするのでも、派手なことするんでもない。ないのですが、どれにも一生懸命。
”真面目”の何が悪い?
もちろん、浮気に真剣、脱税に真剣、権力に真剣っていう者もいるけれど、それは真面目とは言わないわけです。
自他に対して誠実かということも同時に問われますから。
わたしは、エゴなんかに乗っ取られないじぶん”ほんらいの姿”に帰りたい。
大袈裟にいえば、自我というものを見極めたい。
知るということに、しんけんなのかもしれない。
わたしが立派な人だということではなくて、にんげんとしての本来の”当たり前”に戻りたくて生きている気がします。
その戻る途中にいて、それはじぶんの力だけでは戻れないから、こうして他者のことを書きたがるんでしょう。
5.わたしは父が嫌いだったのです
書いていて、なぜわたしが「まじめだね」と言われることを嫌がったのかが分かりました。
真面目な父にわたしはずっと反発していたのです。
きみはその父親と同じだねって言われてしまったようなものだったのです。
ああ、、わたしは父が嫌いなのにソックリだなんて。。
父は田んぼに精進し、唯一の楽しみといえば、田んぼから帰って来て飲む1杯の日本酒でした。
暇ならひとり本を読んでた。
ときどきわたしが実家に退避させる本を楽しみに読んでたそうです。たとえば、「石油の世紀」をとても喜んで読んだ。ノンフィクションものです。
真っ黒に焼けた腕、労働で最後まで引き締まった筋肉をしてました。(最後まで働き、夕方、田んぼの帰りトラックにひかれ亡くなりました)
温和なひとで、自分ではジョークのつもりでしょうが、しょうもないダジャレを言ってはひとり笑ってた。
大家族に育ったためか、祖母が君臨し、わたしの父は家父長の気配も無し。子を可愛がるでも、妻を守るでもなかった。
遊びに行くでもなし、友だちもいない。ひたすら穏やかに田んぼと生きました。
わたしは、面白みも無く、ただただ真面目なだけのそんな父が嫌い、だったのです。
男はもっと違うはずだと。もっと野望と覇気がいるんだと。
でも、ほんとは、父との思い出を持てなかったわたしは、ずっと父を恋しがっていたのかもしれません。
いいや、実は思い出はあるのです。
母のお金への執着を話し始めた父が運転中にとつぜん嗚咽とともに泣きだしたことがありました。
そうそう。せっかく整地した川沿いの田んぼをわたしが大学に行くためと売り払ってくれました。(わたしはずいぶん後にそれを知りました)
あるいは、帰郷したわたしをつれて面倒みている田んぼを見せてあるいた時。誇らしげでした。
年老いた父は、わたしの同級生にこんなことを言ったそうです。
「息子にね、もう年寄りだから、田んぼをだんだんと減らさないといけないと言われたんだよ」と。
同級生が言うには、おまえのお父さん、寂しそうだったぜと。
ああ、それをわたしは同級生から聞いたのです。
わたしは直接わたしに不満なりを父に言って欲しかったのに。。
過疎の村でした。
人の良い父は、高齢化した農家の人たちから代わりに米を育ててくれと言われると、自分も年寄りなのにほいほいと了解していったのです。
年老いて働けなくなったみんなは、田んぼを無駄にせずに済み、年貢も入り大喜びでした。
頼むひとが増えても、年貢料と肥料代を考えると父が豊かになったわけではないのです。
「村で70代でもばりばり田んぼしている人は少ないと思うんだ。80代ならもっと稀だよね。
お父さんもみんなの田んぼを返して行き、だんだんと終わりを考えないといけないんじゃないかな」とわたしは確かに言った。
父はその時は黙っていました。父は田んぼが大好きだったのです。
父が亡くなった時、顔もよく知らないひとたちが大勢集まって来ました。
ほんとによくしてもらったとかれらは父のことをいいました。こんな親切にしてもらったと。男も女も。
母でさえ、父が人を黙って助けていたことを知りませんでした。(寡黙にもほどがある)
いや、勝気がわざわいして家族の中で孤立していた母をわたしは守りたかったでしょう。
母が姑や小姑と対立していても、妻を守るとか、間に入るとかしない”無責任な”父が許せなかった。
いや、父は不器用だったのです。
ピュアな自己中ともいえる父に「真面目」というレッテルを勝手に貼ったのは、わたしだった。
貼って嫌った。いや、漢字の意味を取り違えてた。
わたしは、嫌だという反発の下に、ずっとじぶんが父を恋しがっていたことを今日、知りました。
わたしは、こころから父と話したかったことに気が付きました。
言い訳も反論もせず、家族を見守ったその父はもういません。
いや、父が失われてしまったから、こうしてわたしは素直に気づけたのでしょう。
”真面目”、すばらしいじゃないですか!
父を誇らしく思う、わたしがいました。
P.S.
こんなに長く読ませておいて、まだ言い足りないのかっ!と驚愕されているかとは思うんですが。すみません。
わたしは、顔かたち、骨、肉の付き方、すべてが父に瓜二つだそうです。
父は5人兄弟の末っ子でしたから、兄や姉がかれの世話をした。
温和な性格とあいまって、自分から他者にモノ申すということが必要ではなかった。
黙って、田んぼを愛でました。
わたしには、気性の激しい母の血も入り、長男でした。
母が父を見ていたように、わたしも”男”としての覇気を見せない父に不満を持ちました。
いえ、先ほども書きましたが、孤立した母を父に代わって、小さなわたしが守らねばならないと思ったのです。
大家族だった、昭和の頃の話です。
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