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働くのもう嫌だっ、のその先の日々


あなたにも必ずいつか来る日。

仕事をしなくていい身になって見える世界がどんなかをあなたに伝えたかった。

希望でも絶望でもない、いったいわたしとは誰だったんだろうか?と問うような日々について書きたかった。

でも、、。

最初にお断りいたします。思わずなんてことない話になってしまいました。

いまさら消すのも、本意ではないような。。すみません。



1.鳥肌の1個1個の由緒書き 中野六助


定年後、さらに5年、再雇用まで勤めた。ずっと嫌だった。感慨なんて無い。

でも、嫌だ嫌だと言いながら、それでも40年も「会社」へ行けたということはどこか楽しかったのかもしれない。

嫌いだと言いながら好きだったあの娘、みたいな気持ちもする。

いや、そんなこと無い。ほんとに嫌だった。何が嫌だったのかが最後まで分からなかったけど。

とにかく長い、果てしなく長い付き合いだった。

働くクン、もういいよね、好きにして?

だめだなんて言う声はしなくて、いいよとも言われないから、勝手にさせてもらうことにした。


同僚もご近所も知り合いも息子たちもサラリ切って、心機一転、まったく知らない関西にごぉーっと引っ越した。

ごく一部の人にしか住所は教えなかった。

知らない人しかいない土地だ。どんな街かも知らないで行く。素敵でしょ?

ずーっと働いたんだもの、すこしぐらい勝手したっていいよねとじぶんに言い聞かせていた。


神奈川の自宅の始末もあって、準備に3か月かかりました。

一度、やり始めたら途中で辞めれないというオソロシイことが人生にはある。

もう何度、商品として引き取ってくれる店まで売りに行ったことか。

粗大ゴミの処分場にも散々行って、1点300円払っては引き取ってもらった。

これまた何度も通い詰めて係のおじさんに覚えられてしまったし。

何度もなんども、燃えるゴミの日も、燃えないゴミの日も、自治会のゴミ場まで往復した。

ひたすら大きなゴミ袋につめて行く。袋が10個ぐらいになると、隣の部屋がいっぱいになる。そしたら、ゴミの日に出した。

30年住んだ家1軒まるごと断捨離するって、ほんとにオオゴトだ!とわたしは最初からかなりの悲壮感を持ってた。


いつの間に買っていたのか分からないモノがある。見たこと無かったものもある。

買ったきり一度も使わなかったキャンプ一式や、釣りセットもある。

アウトドアは好きでもないのに、今度息子たちを喜ばせたいとおもって買ったものだ。

頭の片隅に押しやってなるべく思い出さないようにしているうちに、子たちはいつのまにか大きくなってしまってた。ほんと言えば、アウトドアは嫌いだった。

期限のとうに切れた非常用のカンパンや水がいっぱいある。お皿やコップや懐中電灯やラジオ。

絆創膏やハンゴウや固体燃料まであり、念の入りがすごいじぶんを発見する。

なんだこりゃ?といくらいじくり回しても、この家にある経緯がさっぱり分からないのも多い。

結婚式の引出物が、捨てるに捨てれずたんまりある。わたしは、友人、知人の少ない男じゃなかったのか?

いつ使うのか分からない、かのじょの服や下着やアクセサリーがワンサと出て来る。これでもかっ!というほどに、出て来る。

どう考えても使わないだろうという、そんなものが山のように出て来る。

使いもしない。というか買ったことさえ忘れているようなものたちに囲まれていた。

買わないと決めてきたら、どんなにじぶんがお金持ちになったんだろう?

ああ、、ミニマリストを志しておけば良かったのにぃ。


もう記憶の彼方に消えつつあった、かのじょの若い時、子どもたちの写真も山のようにある。

わたしの本も大量だ。

狭いマンションに行くんだからと、内容確認しては大胆に捨てて行った。

が、1個1個、1枚1枚には由緒書きという家族の思い出がぶら下がっていた。

かなり心苦しい。なんだか、切ない。

ほんとに捨ててしまっていいんだろうか?

捨てるって、わたしという者を構成していた記憶を消去してしまうことなんだ。

ビビビビビィー、プツーン。

メモリ消去とともに画面が白くなる。。。


「ねぇ、これは持って行けないかしら?」と聞くかのじょに、こころを鬼にしてNoを連発した。

ああ、、なんだかわたしだけが悪人になって行く。

「ねぇ、、これは持って行けないかしら?」と懲りずにまたチャレンジしてくる。

「だってぇ、これはね、ああだから、こうだから」と、もっともなことをかのじょがのたまう。

何度も言うようだけど、関西のマンションはすんごく狭いのだよっ!で、しょ?だよね?

だからね、もう持って行けないんだよ!と、何度もわたしは切り捨てた。男は無情に成らねばならない時があるんだな。



2.湯どうふのさっぱり君が解らない  筒井祥文


半年かけて候補を探しに探したのでした。

神奈川県内も伊豆の山奥から三浦半島の先まで、千葉の山奥にもいったし、関西は神戸近辺だけでなく、奈良まで見に行った。

別に関西でなくとも良かったのです。

フラットな床の住まいを探した。お安くて快適で便利なところ。


もう、じぶんでじぶんを信じれなくなっていました。

ふつうにフロアを歩いていて足がつっかかり転びそうになることが頻発していた。

いや、じっさい道路を歩いていて、ころんだ。

顔面をアスファルトの地面に叩きつけてしまい前歯を折って血だらけになった。

歯を折るたびに、チョー高額なインプラント費用なんて出せない。

2階から降りてくるとき、階段を踏み外していました。

いきなり、足が2段省くってどんなに怖いかわかります?

ほんとに、じぶん自身に恐怖する。


かのじょはもう2階に上がらなくなっていました。

女性は子を産む体なため骨がスカスカに成り易い。つまり、簡単に骨が折れる。寝たきりになる。

じぶんも怖いけど、かのじょが住む環境ではなくなっていたのです。

40年働いたらようやく勘弁してもらえた停年、ではないんです。

もう心身ともに怪しい年になっちゃったということでした。

働かなくて良いよ、じゃなくて、もう働けないでしょ!と意味だったことを知りました。

agreeってな感じ。


そういえば、海が見えるところが良いわぁ~ってかのじょがのたまわっていた。

関西のその物件を見て、まぁ~、ステキィ~!とかわたしのお嫁さんはおお喜びした。

海がぱーっと開けて見えた。

かのじょは言わなかったけれど、最初からここだと分かっていたのだ。決めていたフシがある。

そうなら、そうだと最初から言って欲しかった。

こんなにいっぱい見学し、試しに1泊するなんてしたくなかった。出不精なわたしだもの。

でも、あなたは冒険者だった。

新婚旅行以来、旅らしい旅をしなかった。わたしに付き合ったあなただった。

あなたは、1生分を取り返すかのように大喜びでアチコチ見て歩いた。


どう考えても、わたしは先に逝く。あなたはたぶん、そこから10年、20年過ごすのだ。

あなたが良いと言えば、どこであろうとわたしに異存なぞあろうはずもないのだ。

そもそも、わたしは似合わない服をみて素敵だって思うほどに選択のセンスがいつも無い。計画性とセンスは両立しないのかもしれない。

どの街がじっさいに暮らしやすいか、じぶんたちに合うかなんて、わたしはじぶんの判断をアテに出来ないのですよ。


この35年ほど一緒に暮らして来て、いつもよく思いつく人だなぁ・・と感心する。

何をどう思いつくのかが、いくつになってもわたしには分からない、どこか不思議ちゃんなひと。

で、かのじょが、また、思いついた。

「そうだっ!、九州の実家は段差がいっぱいあってね、お母さん、骨折ばかりしているの。

右足なんか左より2センチも短くなっちゃってるわ。ねぇ、ここに呼んでいいかしら?

ほらここはすべてフラットだし、看護師さんも24時間待機してるわ。それにクリニックもあるんだし。

手術したのは左右の足でしょ、左の股関節でしょ。両肩は脱臼ばかりしていて可哀そう。」

とのたまう。

もう、右の股関節ぐらいしか、まともに可動できる骨が無いお義母さんだった。


わたしもさんざん、お世話になったのだ、、、「いいよ」と旦那様は言う。言うしかない。

わがままなわたし。罪悪感がはんぱなくこの身に沁みている。苦労させてきたかのじょに報いたいっ。

「いいねっ、ぜひそうしよう!」とわたしの口が力強く言っていた。

2間しかない部屋でほんとに一緒にうまく行くのかな、、、チラリ疑念がよぎる。

が、まぁなんとか成るだろうし、なんとかするしかない!



3.浮いているように沈んでいる豆腐  八上桐子


3か月もかけて自宅の断捨離をしたのだけれど、

かのじょは「こんなに早くしなくとも間に合うのじゃないかしらぁ~」とのんきなことを言い続けた。

かのじょの感覚では、引っ越し当日の1週間前から始めればいい、の感覚だった。

ああ、、あなたはいつも定期試験は前日に準備を始めていたそうな。

わたしは、1か月前から始めていたのだよ。

わたし、きりり「提唱者」INFJにカテゴライズされた計画性の男なんだぜっ。

いきあたりばったりの「冒険家」さんとはデキがまったく違うんだっ。

そんな安直な言葉に騙されない男だ。

任せてろっ!とまでは言わないが、聞く耳持たず。ふんと鼻であしらう。


ほぼ、毎日、断捨離し、家具を捨て、古いコンセントはすべて新しいのに替え、

壊われ始めた冷蔵庫を分解してなだめ、クーラーをクリーニングし、外回りの木を切り倒し・・。

会社から帰れば、モゾモゾと整理を続け、休みの日はほんとにへろへろになってやった。

そうそう。苦労話を書きたいのではなかった。


最後の最後の会社へのご奉公を終え、関西に移動した。

もう仕事をしなくても、誰からも、じぶん自身からさえ、責められないのだ。

でも、新幹線に乗った時には、感慨も何もなかった。

移住先で、契約やら手続き、家具や家電の買い出しが山のように待っていた。


じぶんたちの手続きが終わった頃、九州から91歳のお義母さんを向かい入れました。

「わたしゃ、不安だったよ。でもね、清水の舞台からえいやって!、飛び降りる覚悟で来たよ」とお義母さんは言った。

わたしたちは良かったが、お義母さんにとって知り合いがまったいない土地だ。

そりゃ絶望的に怖かっただろう。


住所等の変更、ケア・マネの変更、ベットや歩行器のレンタル手配、デイ・ケア先の確定、病院まわりして主治医の変更とかやった。

この土地をタクシーで見て回り、スーパーにも何度か付き合ってもらい、コロナワクチン打ちに行き、街の感じをつかんでもらった。

お義母さんが落ち着くのに、3か月かかった。

とにかく、引っ越しと受け入れに半年近くかけた。

いい加減なところもあった。

けど、お気楽なあなたと供に、とにかくなんとかやったのだ、わたしっ。偉い!


これが5年後のことなら、出来そうでもう出来ない。

じぶんの脳ミソがだんだん怪しい。腰や膝がすぐ痛くなり、体力の低下がすんごい。すぐ、ヘロヘロになる。

浮いているように沈んで行く豆腐なんだ。

人は、定年後、心技体、すべてが坂を転げて行く。

受精を終えたサケの心境がよく分かる。ような気がする。

しかも、すぐに何かを思いつくお気楽なかのじょは、5年後もきっと健在だろう。

計画性が無い分、何でも出来そうにおもうのだ。

70歳を超えての引っ越しは、じつにやめておいた方が無難かと思います。



4.折り方が間違っている鶴の首 竹井紫乙


ああ、これでようやくと思ったとたん、

深夜、目が覚めてまだぼぉーとしていたお義母さんがベットから座ったまま床にずり落ちた。

自分ではもう尿意が分からないので3時間ごとにトイレに行く。

まずは体を起こし、ベッドに座り、しばらくして正気に戻ったら、立ち上がり歩行器を頼りにトイレに向かう。

その日、九州から孫がひ孫連れて、ばあちゃんの様子を見に来ていた。

昼間ウトウトできなかったからか、その夜はいつもと違った。

座ったまま、すとんと床に腰が落ちて行った。

「あいたたたーっ」と叫んだ。

すぐに、「ばか、ばかっ」と「領事」タイプのきっちりお義母さんは自分をひどく叱った。

傷みでどこかが折れたことが分かったのだろう。

入院とは、周りに世話に成り、お金もかかる。

「領事」タイプのお義母さんは、もう自身を統治できなくなっていた。


救急車が駆け付け、お義母さんを神戸の救急専門の病院に搬送するという。

救急車に同乗を許され、クルマはきびきびと突き進む。

高速にあがり、繰り返した。

「左右に寄り、中央を空けてください。

中央を空けてください。

救急車が通ります、救急車が通ります。」

驚いたことに、左右に止まった車たちに、通過しながら「ご協力、ありがとうございます」と都度、救急車は言葉を添えていった。

神奈川では、そんな礼儀正しい救急車を見たことが無かった。

救急車とは、そこどけそこどけお馬が通る!なんだと思ってた。

驚いたのは、と書いたけれど、ほんとは感動した。


着くと、すぐさま手術をするという。

若く忙しそうな外科医が、検査結果を見ながらきびきびという。

術後、24時間経ったらリハビリに入りますという。

ええーっ!

そんなにすぐに動かして大丈夫ですか?と聞くと、大丈夫っと、若く忙しそうな外科医はいう。


どこを骨折したかというと、唯一無事だった右の股関節だった。

ありゃりゃりゃ。

ああ、、マンションは完全フラットで大丈夫じゃなかったのか?

まさか、ベットから落ちるなんて。。

鶴の折り方を間違っていたのは、分かった。


骨にドリルで2か所穴をあけ、ボルトでしめた。

そこに2週間いて、こんどはリハビリが可能な病院へ転院。

そこで、さらに2か月ほど我慢の入院をした。

いったい、お義母さんを関西に呼んで良かったのか悪かったのかが分からない。

鶴の折り方を間違っていたのは分かったが、いったいどこで折り方を間違えたんだろう?


そうそう。苦労話を書きたいのではなかった。

仕事をしなくなって、人は何を思うのか、どう変わるのかをお伝えしたかったのだった。

まじめにちゃんと書きたかった。

でも、あまりに長くなってしまった前書きに、じぶんが書き疲れてしまった。

今度、また読んであげてくださいね。バイバイ。



P.S.

91歳。お義母さんは、誰と話し終えても電話の最後は、「バイ、バイ」って言う。

かわいいのです。

かのじょは、「わたしもうんと年取ったら、お母さんみたいな可愛いおばあちゃんに成りたいな」っていう。

ああ、あなたはきっとかわいいだろう。

わたし? わたしは絶対、かわいくはない。

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