武蔵野美術大学公開講座2019 第4回「人類の身体と道具と社会のデザインを学ぶ!」レポート

モデレーター:稲葉裕美さん(OFFICE HALO代表取締役)
講師:関野吉晴さん (探検家、人類学者、外科医)

9月から隔週で行われている、武蔵野美術大学による「デザインとアートの力」をテーマにした公開講座ですが、本日で4回目です。

毎度様々な(普段聞くことのないような)新鮮な話を聞くことができ非常に楽しいです!

今日のテーマは「人類の体と道具と社会のデザインを学ぶ」ということで、探検家であり人類学者、外科医という関野さんのお話です。可能な範囲でレポートしていきます。

(今日はわなみんさんによるグラフィックレコードはないようでした。↓は前回のグラレコ)

関野さんについて

探検家になりアマゾンやアンデスに行こう、と思ったが、実際にはそういう職業はない。学者になって調査・取材に行く、という流れ。

南米など、違う文化圏の人たちと、友人として付き合っていきたい、という思いがあった。現地の生活に入っていくには、どうやら医者になるのがよさそうだと思い、医学を学び始め大学に入り、医者になった。

医学の勉強は面白い。医学の先生は目の前の患者。「この人のためにどうすればいいか?」を一生懸命勉強する。医者として勉強しているときは南米のことはあまり意識せず、ただ楽しく勉強した。

外科医になった理由は、精神科などと違い患者離れがよく、内科と違い実技を多く経験できそうだったため。

旅路は「グレートジャーニー」とし、南米から出発し世界を旅をしたが、足掛け10年かかった。文明機器(車やオートバイ)など使わず、自転車などがメイン、動物などは乗る訓練をすれば乗っても良いというルール。

10年間の旅路を9分にまとめた映像を見せていただきましたが、過酷で魅力的な旅だったことが伝わってきました…。

ゴールした2ヶ月後には武蔵野美術大学の教団に立っていた。

テーマ「身体と道具と社会のデザイン」について

いちばん大事なのは「身体」。

身体のデザイン

1.6億年前のカンブリア紀に外骨格系と内骨格系に分かれた。人類の先祖「ピカリア」は内骨格系で、脊椎がある。
外骨格系は外部の刺激から見を守れるが身体が大きくなれない。
内骨格系はゾウ、クジラなど見て分かる通り大きくなれた。
内骨格系は大きいので世界を支配しているように見えるが、どちらが繁栄したかというと、実は外骨格系のほうが数は多い。

恐竜が絶滅したとき、我々の祖先が生き残ったことで、今の世界がある。ちなみに鳥類は恐竜の子孫で、空へ逃げた。

我々の祖先は森に入ったことで、劇的な進化を遂げた。
人体は球関節をもっている(360°まわる)が、森の中で適用するために進化した。
また、手も木から木へうつっていくため、握れるように拇指対向性という形状に進化し、指紋ができた。
そして目も、フルーツの色を見分けるために網膜が変化し、色を識別できるよう進化した。(色を識別できない猿は淘汰された)
鳥も同じ目的で、色を識別できる。
→この進化の代償として、人間も鳥目になった(夜目がきかない)
目が正面についているのも、木々を飛び移るため立体視できるように。

人の持つ基本的デザインの特性の80%以上は、樹上でほぼ準備された。
このような進化を遂げたことで、人類はアート活動ができるようになったと言える。

一子一胎

森は平和すぎて天敵もおらず、食物が豊富なため、ある種が増えすぎることがある。その結果滅びるようなケースも。

この問題を救うのが感染症、寄生虫だったりする。病気による人工調整作用が機能したため絵、霊長類は進化した。

また、人工の自己調整機能を作り出す(産児数や頻度を減らす)

対談タイム

グレートジャーニーをはじめたきっかけは?

今は温暖化で海面が上がっているが、2万年前の氷河期には逆に海面が低く120mくらい下がっていた。陸続きになっていることも多かったため、大陸間移動が多く発生しており、人類が世界中に散らばっていった。

その人達はどこからきたのか?人類の起源を辿るような旅をしたいと思った。

旅の中で自身の起源について、見えてきたことはありましたか?

旅をしている真っ最中は忙しいため考えている余裕はないが、途中ぼーっとするようなタイミングには、ゴーギャンの絵で表されているような「われわれはどこから来たのか?」「どこへ行くのか?」について真剣に考えようと思っていた。

とくに猿の研究者のところは回った。人類に一番近い類人猿と何が違うのか?例えば人間の特徴は「道具を使う」などあるが、チンパンジーも道具を使う。

人間ならではの特徴
・2足歩行
 →猿が2足歩行するときはドラミングなどアピールするとき
・家族がいて、コミュニティがある
 →両立しているのは人間のみ。両立させるには論理が必要。

人類の起源について考えること

人類が発生してから今まで13回も絶滅の危機があったと言われている。起源について考えたら、様々なものに感謝しなければいけない。
ものづくりの基本も縄文時代くらいまでに一通りできている。特に縫い針の発明は偉大。
今使っているようなスマートフォンやPCも、使っている自分は全然偉くなくて、先人たちが少しずつ積み上げてきた発明品。

人類の進歩としてよく農業革命、産業革命が挙げられるがそれはほんの1万年前で、人類の歴史700万年のうち699万年はそれらの技術無しで生きてきている。
それより前に重要な進歩を2つしている。
1つ目は森に入ったこと。
2つ目は10ヶ月に一回子どもを産めるようになったこと。1人ならともかく複数の子どもを育てるとなると母親だけじゃ無理になるため、家族・コミュニティができた。世話をするため2足歩行になり、ものを運搬できるようになった。また発情期がなくなったことで、逆にいつでも子どもを作ることができるようになった。

直立二足歩行するようになった理由の仮説

①エネルギー効率がよくなるため
②外敵への威嚇に用いるため
③食物を運ぶため

直立二足歩行のメリット

二足で立って歩けば、赤道直下の強い太陽光を頭だけで受けられる、地面からの反射熱を腹で受け止めずに済む。

最近わかったこと

・人間は狩る側ではなく狩られる側だった
 →ライオンが狩った獲物のおこぼれをもらっていた
 →チンパンジーはその場で食べ、人間は仲間のところに持って帰って分けて食べた
 →採集狩猟民は、蓄えられないのでその場でみんなで分けて食べる生活をしており、平等(これは現代の採集狩猟民でもそう)
・人間の脳が大きくなったのは肉食になったから
 →エネルギー効率がよい。脳はめちゃくちゃカロリーを使う。

人間の「ものを生み出す」という行為とは一体なんなのか?

武蔵野美術大学のゼミで、縄文船を作りでインドネシアから日本まで航海するというプロジェクトを行った。武蔵野美術大学は11学科あるが、1からものづくりをすることは殆どない。このプロジェクトでは九十九里浜で砂鉄を集めて、火をおこすための松を300キロ切り、タタラ場で火をおこし、工具を作ることから初めて、インドネシアで現地の人の協力を得て50mの木を切りカヌーを切り出し、航海に出た。航海は現役の学生を流石に連れていけないが、卒業生2名連れて行った。足掛け3年かかったPJだった。
こういうPJは基本は学生を巻き込むのは断っていたが、1からやることは気づきが大量にあるだろうと思い、これを一人だけやるのはもったいないと思ったため、はじめて声をかけた。結果、多くの気づきを得られたように思う。
例えばコンパスがなぜ使えるのかというと、地球の1/3は鉄でできているから。人間が被爆しないのは、地球には磁場があるから。

ほか、カレーライスを1から作るというプロジェクトも。野菜や米、スパイスを育て、家畜を飼って、最後は殺してカレーを作った。殺す判断をするときには、ゼミのメンバーで議論をした。

日々暮らしをしているなかで、デザインされているものが「どう作られているのか?」意識することが少ない。1からものづくりを体験することで、観点が変わっていく。

発想はどこからくるのか?

湧いてきちゃうもの。探すものでも見つけるものでもない。好奇心をもって行動をしていれば自然に湧いてくる。たくさん旅に出ているが、1回目の旅の終わりにはもう次の旅のことを考えている。
最近は「これをどうしてもやりたい」というものがない人が増えてきている。自分がなぜアマゾンに行ったか?それは高校まで自分もそういう人間だったから。違う環境に飛び込むことで自分を変えた。

新しい価値をつくるとはなにか?

どの時代にどの場所で生まれたか、環境で人間の人生や考え方はほぼ決まる。日本のパスポートは凄い。どこでも行ける。

創造的リーダーを目指すとは?

チャンスを待つこと。待てない人はだめ。時間をかける覚悟をする。短いスパンで失敗しないようにやれ、と言われたら人間はそつなくこなしてしまう。それが10年後までにやってみろ、失敗しても良い、と言われたらチャレンジしたくなるはず。

チャレンジしたいものの時代性を鑑みたり、今の生き方でいいのかな?と迷うようなとき、どうしていますか?

しょっちゅう迷っている…。でもえいやで面白いと思うことをやっている。行動しながら、「俺の人生これで変わるかな?」と考えている。

グレートジャーニーの旅路のなかでどのようにチームで助け合っていたのか?

旅の資金は、まずお金が尽きるまで旅をする様子を撮影し、それを売ることで調達していた。NHKなどいろんなテレビ局が欲しがるが時間が限定される上に担当者が変わる可能性がある。そんななかフジテレビが、なにか新しいことをしたいということで「最後まで付き合う」という条件だったので許諾。主導権は全部自分だったので、あらかじめメンバーを選ぶところから関わっている。そのためうまくやれたと思う。なお編集までしっかり入って関わっている。

グレートジャーニーについて、家族との関係性で印象に残ったことはあるか?

旅の途中、テレビ局がおらず、安全なタイミングで家族を呼んだりしていた。(娘は嫌がっていた)
父親の役割を果たすことは、ずっと言われていたし、意識していた。なので、旅の条件としては「娘を連れて行くこと」という前提はあった。現在は家族に海外渡航禁止令が出されている…。
自分たちの世代は、家族よりも仕事中心という考え方の最後の世代。現代は家族のほうが大事という人が多い。一緒に渡航していたスタッフ(下の世代)が旅程が伸びている中で「このままだと子どもの夏休みが終わってしまう…」という話があったが、自分たちの世代からすると驚きだった。(話を聞いていくうちに、たしかにそうだよね、と納得した空気になった)

ひとつのことを長い期間続ける、情熱を燃やし続けられるのは何が理由なのか?

好きでやっているため。もちろん辛いことはあるが、世界中には自分より辛い人はたくさんいる。何ならやめても誰も文句は言わない。(むしろ家族には喜ばれたと思う)

所感

今日も非常に面白かったです!関野先生の経験と知識の豊富さ、ずっとお話を聞いていたいと思いました。関野先生の授業が武蔵野美術大学で大人気というのもうなずけます。

ここまでのレベルで、ものづくりの過程を1から知り経験することって、全然やってこなかったように思います…。会場のとなりでちょうど「私の選んだ一品」という展示がやっていたりしますが、日々接するものの成り立ちなんかに思いを馳せることをしたいなと思いました。

例えば屠殺場を見るものづくりの過程を知ることで食に対しての捉え方が変わるように、過程に注目することで新しい観点が生まれるという考え方を、今日改めて学べて非常によかったです。

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