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【気づきのキロク】どんな時も平常心でいることは、じぶんの違和感を押し込めることではない。

こんにちは。
あさです。

先日、かなり不愉快な気分になることがありました。
一日ほど引きずっていましたが、翌日気づきがあり復活しています(^-^)

じぶん用の備忘録ですが、気づきをシェアしようと思い立ち
久しぶりにカード読み以外での記事を投稿をすることにします。


どんな時も平常心でいることは、じぶんの違和感を押し込めることではない。
どちらも同時に存在する。
違和感と平常心は羅針盤の針。
中心にいて、どちらでも好きな方を観察できるわたしがいるということを知る。

今回の気づき




平常心でいることは
中心点(軸)にいることだと
思っていました。

中心点が平常心なのだと。

✳︎


ある人がわたしの気持ちを揺さぶり
不愉快な気分にさせてその場を
掌握しようとしてきました。

わたしは
引き寄せの法則etcを少し理解していたつもりだったので
何が起こっているのかを脳内で分析しはじめました。
目の前の事象にジタバタしても仕方ないのだから。

とはいえお互いに日本語を話しているのに
会話にならないジレンマと不愉快な空気感に
しばらくなんとか立て直そうとしていましたが
線引きをして、その場を立ち去ることにしました。

その夜、今度は電話で再び不愉快な思いをします。
いったい、わたしの何がこの事象を引き起こしている?

はい…。

ここでミスリードが発生しました。
理解の範疇を超えて分析モードに入ってしまいました。

自己内観はやり方を間違えると
自己否定に入ってしまいます。

案の定、夜中も脳内劇場が暴走をしてしまい
穏やかに眠りにつくタイミングを失って
明け方ごろまで眠れませんでした。

そう。

わたしの何がこの事象を起こしたのかを考えるのではなく
この事象からわたしは何を感じるかを観察し理解すること…

そちらが大切だったのです。


✳︎


5/9の3行カード読み ↓

新たな視点をもつタイミング。
全てを調和した中心点に立ってみる嫌なことがあればその対極があるということ
じぶんの内なる創造性を信じてみるどの方向を向くかだけを決めて


今回もじぶんで読みながら
助けられた3行カード読み。


内観する方向性が違っていたと
気がつくことができたのです。

✳︎


そう。中心点にいて
どちらの感情も知っている状態。

そこから、どちらを向くかを
わたしが決めるということ。

不愉快な感情を消し去るのではないということ
不愉快な感情の対極にある平常心を自ら選ぶこと


不愉快な感情を手放すために内観を始めたけれど

違った。


不愉快な感情も、穏やかな平常心も同時に存在したまま
わたしがどちらのわたしを観察したいのか、するのか
それを明確にするということだったのだ、と。

わたしが常にどちらを向いて進むか。

羅針盤を手に
事象からじぶん自身を観察し
さらに深く理解していくことが
平常心への道だったと気がついたのです。

言葉での表現はムズカシイですね…

わたしが体感した感覚は
平面的な思考が立体的にみえる…
そんな感じでした…


✳︎


どんな時も平常心でいるためには
不愉快な感情を処理しないといけない
そんな風にどこかで思っていたわたしは

嫌な思いをどうにか処理して(昇華して)
平常心に戻ろうと足掻いて、戻れないことに
不愉快な気分が苛立つ感覚に囚われていました。


感情は処理しなくてよかったんだ。


中心点に立つ、じぶんの中心にいることが
平常心なのではなかったんだと、あらためて
気がつくことができました。


中心点にいるわたしというのは

不愉快な気分のわたしでもないし
平常心のわたしでもなかったのだ

ただ観察するわたしがいるだけ。


中心点にいて
どちらを向いているか
ただそれだけだったんだ…と。

中心点にて
不愉快な気持ちもわかっている
平常心でいる感覚もわかっている

どちらも否定もせず
ただそれらの感情があることを
わかっている状態でどちらを向くか

それを決めさえすればいいのだと解った。


完全に腑に落とせた瞬間から
脳内劇場で、あーどこーだと憤りを反芻することが
ぴたりと止まり、穏やかさを取り戻しました。


きっとこの先もいろいろ人生には起こるでしょう。
必ずしも嬉しい楽しいことばかりではないでしょう。

でも、きっとわたしは大丈夫なんだと解った。
こころの羅針盤を手にすることができたから。


その気づきは、強烈な不愉快な思いを通して
わたしに再確認をさせてくれました(^-^)

ある人を通して事象が起きただけでした。

その登場人物に「ご出演ありがとう」と
すでに言えるわたしになっています。


少し前に
父と向き合う中で
意識を意識する視点が
解ったと思っていましたが
本当にちゃんと理解しているか?と
抜き打ちテストを受けた感がありました。

これまでなら、今回のような出来事に
もんもんと引きずっていたかもしれません。
今はもう脳内暴走は止まっているので
テストに合格したのかもしれませんね( ´∀`)



【どんな時にも平常心でいるということについて】

否定的な感情を無理やり手放そうとしても
自己否定や脳内暴走がとめどなく起こる

否定的な感情の対極をみる中心点にいて

今の感情(良いもの・悪いもの)を否定するものではなく
全てを解ったうえで、どちらを選ぶのかということで手にする平穏

意識を意識する視点が大事

不愉快な感情も、穏やかな平常心も同時に存在したまま
どちらのじぶんを観察したいのかを明確にする

その羅針盤を手に進む道を読み解いていく

気づきのまとめ。











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