◆生々流転 ~カレー粉情話~
冬になると、土木作業員の父には仕事がなかった。
しかしどういう仕組みかは解らないが、収入が完全にゼロになるというわけではなかったらしく、仕事がない日は鹿撃ちに行ったり、猟銃の手入れをしたりして、日がな一日を悠々と過ごしている。
母が男を作って家を出て行ってから、家事全般はわたしの仕事になったが、冬の失業中だけは、気が向いた時に限り父が夕食を作ってくれることがあった。
昭和の頑固親父を絵に描いて額に入れたような父は、母が居る頃から「男子 厨房ニ立チ入ルベカラズ」といった気質を持っていたが、同時に、若い頃東京に居た時は和菓子屋さんでアルバイトをしていたとかで、その気になれば料理くらいできるんだ、という謎の自信も持ち合わせていたのだった。
その頃から、和菓子を作ることができる=料理ができる、ではないことくらいは理解していたが、包丁を握る時の父は大抵機嫌が良かったので、面倒なことは言わずに持ち上げておいた。
何しろ仕事は土木作業員、趣味は狩猟に釣り、若い頃は飯場という飯場を渡り歩いてはケンカもしょっちゅうだったという父は、生来が血の気の多いタイプで、怒らせると酷くタチが悪かった。
その上、文豪・開高健をこよなく愛し、書棚には文庫本がみっしりという有り様だったから、口喧嘩でもまずまず勝ち目はない。
機嫌を良くしておく方が、とにかく得策だったのである。
昭和の文化人においてグルメの代表格とも言うべき文豪に傾倒していたせいか、父は料理についても博識だった。
かと言って、よほどの手抜きでもしない限りは、人の作った食べ物に文句を言うようなことはしない。新しいものでも果敢にチャレンジし、いつも美味しいものを探していた。
わたしが作る料理についても同じで、今まで食べたことがない味付けのものが出てくると、クイズ形式にして調味料を当てたがる。
それは日頃あまり話す機会がない父との、数少ないコミュニケーションのひとつであった。
あれは、ある冬のこと。
仕事から帰ってきたわたしは、キッチンから漂ってきた何かの香りで、今日は父のご機嫌が良いこと、夕食の支度はしなくて良いことを察知して「ただいまー」と明るく言った。
「おかえり、おかえり」と弾んだ声で言った父は、続けて「ご飯用意できてるぞ」と誇らしげに胸を張り、キッチンを指さした。
どれどれ、とわたしは鍋を覗き込む。
そこには、キレイに切り刻まれてコトコト煮込まれた野菜や肉の、何らかのスープがあった。
とにかく残り野菜やきのこ、ウインナーなどを切ってぶちこんで煮たものらしい。
謎の料理ではあったが、それはとても美味しそうだった。
腹ペコで帰ってきたわたしはすぐにいそいそとご飯を盛りつけ、父と一緒に食卓を囲んだ。
いただきまーす!と、さっそくひとくち父が作ったスープ的な何かを口に運ぶ。
うん、うまい。
「美味しいね」と伝えると、照れくさそうにニヤニヤした父は、例のごとく「さあ、何が入っているでしょう」とクイズを始めた。
わたしは再びスープを口に運び、そこで使われている調味料を舌で探る。
「えー…コンソメ…塩コショウ…バター…それに…ガーリック…?あとは…なんだろ?ハーブ…?」
わくわくしながらこちらを見ている父は、わたしが調味料を言うたび「正解!正解!」と嬉しそうに答えている。
しかしそこで止まってしまったわたしに、父は更に得意気に「まだあるぞ、隠し味が」と続けた。
確かに、先に言った調味料より、それは深みのある味に思われた。
しかし当時のわたしには、その奥行きというか、深みというか、を形成しているものが何か、皆目見当がつかない。
何しろありとあらゆる野菜と肉類が放り込まれており、匂いの強いセロリまで入っていた。美味しいが複雑で、それ以上考えても答えに行き着きそうにない。
降参、と言うと、父は機嫌の良いときによくやる「むっふっふ」と芝居がかった笑いかたをし、いっそう得意気に「正解はカレー粉です」と胸を張ったのだった。
なるほどカレー粉。
言われてみれば微かにだが確かに、あの特徴的なスパイスが香る気がした。
しかしクツクツと長時間煮込まれて野菜のおだしが完全に染みでたそれは、どちらかと言えばクリームソースに近い味わいになっていて、全く予想だにできなかった。
かくして些か悔しい想いをしつつも、終始ご機嫌だった父のお陰で、その日は美味しい夕食を食べることができたのである。
それから10年。
わたしは15歳年上の男性と付き合っていた。
そこから7年ほど前に父は事故で急逝し、多くの思い出は頭の引き出しに大切にしまってあった。
付き合っていた男は自営業だったから、いつ働いていつ休んでいたのかは、よく解らない。
ただ、別れ際に知ったことだが、この男は息をするように浮気を繰り返す男で、出張だと言ってはしょっちゅう家を空けた。
しかしまぁ、当時のわたしのナンバーワン恋人は漫画を描くためのパソコンだったので、何も知らずに同棲生活を続けていた。
ほとんど彼に無関心なわたしは、ベースキャンプにはちょうど良かったのだろう。
ともあれ、彼は他の浮気性男の多分に漏れず、マメな男なのであった。
掃除・洗濯お手のもの。気が向けば料理もする。仕事もきっちりこなす。女にも朝晩のメール・電話は欠かさない。毎日臆面もなく「愛してるよ」と口にする。帰ってくれば漏れなく夜には身体のコミュニケーションも手を抜かない。
おそらくそれを全ての女(別れた当初は4股だった)にやっていたのに違いないのだから、天晴れなものである。
話が逸れた。
ともかく、あの日はへとへとに疲れて仕事から戻ったら、彼がフンフンと鼻唄を歌いながらキッチンに立っていた。
「おかえり」と言いながらキッチンから出てきた彼は、バカみたいに可愛い赤のエプロンまでつけており、おたまを振り回して「ご飯できてるで」と得意気に言った。
わ~嬉しいありがと~とスーツを脱ぎ出したわたしにわざわざキスをして「ささ、食べよ食べよ」と用意に戻る。
テーブルに着席したところでしっかり盛りつけされて出てきたのは、鶏の手羽元と色々な野菜をコトコト煮込んだスープなのであった。
いただきまーす、と手を合わせたところまでは、特別何も思わなかったのだ。
しかしスープをひとくち口に含んだ瞬間、懐かしい記憶の扉が激しい風に吹かれたように、バタンバタンと音を立てて開きだした。
わたしは鮮やかな驚きをもって、しみじみと「美味しい」と言った。
「そやろ?そやろ?」と、男は手を叩いて喜んでいる。
それから自らもひと口スープをすすり「さて問題です」と胸を張った。
「このスープには、何が入っているでしょう!」
記憶の扉は、わたしの頭の中でまだバタバタと音を立てていたが、平静を装ったわたしはゆっくりとスープを味わい、彼を見つめた。
浮気者のくせに、こちらを見つめ返してくる瞳はキラキラして一点の曇りもない。
わたしは指折り「コンソメでしょ、岩塩でしょ、ブラックペッパーでしょ」と、使われているであろう調味料を数え上げた。
最後に確信していた隠し味を残して数えるのをやめると、彼は得意気に「まだあんねん、隠し味が」とわたしを覗き込む。
在りし日の父の面影を思い浮かべて微笑みながら、わたしは彼よりも得意気に「カレー粉でしょ」と言った。
彼は「うおー!!すげえ!!何で解ったん!?」と大袈裟に背を反らして見せる。
父は、母が男を作って出ていっても新しい恋人を作ることもできない朴念仁だったが、女と見れば鼻息を荒くして次々と手を出す男が、父と全く似通った料理を出してきたことが、しみじみと面白かった。
ともあれ、この日わたしは父のお陰で面目躍如したのである。
あれから、また10年。
食卓では、夫がわたしの作った手羽先のスープをむしゃむしゃと貪っている。
夫はわたしの作るものは何でもウマイ、ウマイと食べ、文句のひとつもこぼしたことがない。
ただ、ひとつの癖があった。
「ねえ、カレー粉入れていい?」
煮込み料理が残り少なくなると、彼はたいてい味変と称してカレー粉を入れた。
最初の頃は、そのままでは不味かったのかな?などと気になったものだが、とにかく落ち着きのない男なので、日頃からちょろちょろ色んなことをし、どこで何かを食べても「これカレー粉入れたらもっと美味くない?」と言い出すので、単にずっとおなじことをしているのが苦手なカレー好きな男なのだ、と理解した。
いつも一応わたしを気遣って「カレー粉入れてもいい?」と聞く。
わたしは必ず笑いながら「いいよ」と答える。
うん、うまいよ!と弾んだ声で言った彼が「食べてみなよ」と差し出したスープを、わたしはひと口すすった。
記憶の扉がまたいつかのようにバタバタと音を立てるのを聞き、思わず笑ってしまう。
どうしたの?と首を傾げる彼を、父に会わせることはできなかった。
しかし今幸せいっぱいであることは、いつか向こうにいった時に必ず父に伝えようと思う。
ともあれ、カレー粉はわたしの思い出の扉をいつも楽しげにパタパタさせる、味覚の鍵のひとつなのである。
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